クロアチアから日本への帰国の旅は、まずドブロヴニクから首都ザグレブまで、空路を国内便(クロアチア航空)で飛ぶ。
国境通貨のわずらわしさより、バスによる長時間の移動を避けたものだと思う。 その後は来たときの逆コース、ザグレブ=ドーハ、ドーハ=関西空港といずれもカタール航空で、そして関西空港から名古屋駅へは、バスで。 私たちのスーツケースは、ドブロヴニクで預ければ、ザグレブで預け直ししなくても、関西空港まで届くという。 わずらわしさが一つ減って、そのときは喜んでいたのだが... ザグレブを出発した便は途中ブダペストにより、そこからの乗客を乗せ、ドーハに向かう。 一つ目の不愉快な出来事は、そこから乗り込んだ中国の団体客。 といっても、10~15名くらいに過ぎないのだが、そのうるさいこと・マナーの悪いこと。 5~6列以上も離れた席に分かれて座ったのに、私たちの頭越しに喚きだす。 一人が話し終えていないのに、別の人がしゃべりだし、さらに別の人がそれにかぶせて話し出す。 言葉の分からない私たちには、まるで喧嘩をしているみたい。 そして延々と。 すぐ後ろの席から、英語で「静かにして欲しい」との声が上がったが、彼らの声の方が大きくてまったく届かない。 着陸時に、「座席を元の位置に...」という声にも耳を貸そうとしない。 客室乗務員が手を出して起こさないといけない。 旅行先でたびたび中国人観光客と出会うが、こんなことはほとんどない。 あるいは観光客ではなく、旅行などの経験があまりない出稼ぎ労働者たちだったのだろうか? 経済大国となり、世界中の人が中国と中国人に注目している今、公衆の場でのマナーを国として教育して欲しいと、残念に思った。 2つ目の不愉快な出来事は、関西空港についてから。 ターンテーブルを流れてくる妻のスーツケースを受け取ろうとして、異常に気づく。 取っ手が取れ、鍵が引きちぎられている。 私のスーツケースの方は一見異常がなかったのだが、「中が荒らされている」との他の乗客の声に、もしやと思って確かめてみると、私の方もTSAロックが壊され開けられていた。 ロックは鍵を使っても、再び閉めることができない。 旅行保険で修理ができるが、余計な手間が相当かかるし。 私たちのグループの半数以上が被害にあい、一方大勢の乗客のうち、私たち以外には被害の様子が見られなかったことから、一番疑わしいのはドブロヴニク空港。 添乗員によれば、「元社会主義国では、あまり泥棒をする人はいないんだけど、最近では移民が増えているから...」と。 そのことはともかく、空港などは他の国の人にとっては、その国の玄関。 国の威信をかけても、犯罪などの起こらない場所にして欲しいと。
今回の旅の最後の観光地は、モンテネグロのコトル。
国名のモンテネグロは、黒い山という意味のイタリア語に由来する。 ただしフランスのモンブラン(白い山)のように特定の一つの山ではなく、黒い山の連なる地域の意味だそうだ。 1991年からのユーゴスラビア紛争では、セルビアに強調的な立場をとり、連邦にとどまった。 しかし1997年以後、徐々に独立の気運が高まり、2006年の国民投票(賛成55.5%)により独立した。 ドブロヴニクを後にした私たちのバスは、3カ国目の国境へ。 ここが、運転手の「日本からの観光客」との一声で通過できた国境。 アドリア海はリアス式海岸という、山が直接海に突き出たような複雑な海岸線が続く。 山峡の間に広がる湖と思うと、「実はアドリア海」と添乗員に告げられる。 コトルはそのアドリア海でも、もっとも内陸に入り込んだ湾にある。 中世には、ベネチア、ラグーサ共和国(ドブロヴニク)と覇を競った商業都市である。 【世界遺産】コトル コトル旧市街 ![]() 正門付近に掲げられた旧市街の略図、東が上に描かれており、西・北・南の3つの入り口がある。 ほぼ正三角形の形をしており、右はアドリア海・左に川・背後を黒い山が守る。 しかも、山の中腹にまで及ぶ総延長4.5Km の城壁が、旧市街を取り囲む。 川側の城壁と要塞私たちの位置は上の図の左下。 入場前に町を取り囲む城壁を撮ったのだか、午前中は何とか待ってくれた雨が降り出し、山の中腹は低い雲に覆われ見通しが悪い。 海の門(西)上の略図では下側、現在地を示す赤い▲の位置、ここが正門になる。 人の身長に比べて、城壁の高いこと、入り口がそんなに大きくないことが分かる。 時計塔とその下の三角のもの?西門を入るとその正面にあるので、すごく目立つ。 時計塔は分かるが、この黒い台は? 罪人をさらす、さらし台だったとか。 良く見ると塔の中ほどに同じ形が? 以前はあの位置にさらし台が取り付けられていた? 武器の広場西門と時計塔の間、左に広がる広い空間。 右手の1階が武器庫、2階が総督府だった。 左側の貴族たちの邸宅跡は、カフェやみやげ物屋になっている。 聖トリフォン大聖堂コトルの守護聖人トチフォンを祀る、カトリックの教会。 1667年の地震のあと再建。 当初は壮大のものを再建する予定だったが、資金が続かず(現地ガイド談)、二つの鐘楼のうち左側は未完成。 聖ニコラ教会東方正教会の教会。 正教会では、「十字架の縦横の棒が同じ長さ」だと以前に聞いたが、ここではカタカナの「キ」にさらに斜めの棒を加えたような、八橋十字架が屋根の上などに取り付けられている。 同じ広場に同じく正教会の聖ルカ教会があり、小さいけれどそちらの方が歴史・由緒があるらしい。 川の門(北)いったん旧市街から北門を出て、橋の上から写真を撮る。 青い標識は、もちろん世界遺産のマーク。 再び、旧市街に戻るが、添乗員からは「ここのガイドさんは、とても丁寧に説明されたので、フリータイムがほとんどありません」と。 そう言われなくとも、この雨では足元も危ないし、見晴らしも利かないから、背後の城壁方面を歩くことなど考えもしなかった。 再び、逆コースで国境を越え、昨日と同じホテルへ。 翌日は帰国の旅を残すのみ。
昨夜おそく、大きな雷鳴とともに激しい雨が。 悪い予感が当たるのは2日続けて...
ホテルは旧市街ではないものの、同じドブロヴニク市内なので、バス移動も15分ほど。 【世界遺産】ドブルヴニク ロープウェー山頂駅から見下ろした旧市街 ![]() 写真中央の城壁に囲まれた部分が、旧市街。 私たちが入ったピレ門(西)は右端あたり、反対側の港が旧港、右下の城壁に沿った丸い建物がミンチェタ要塞。 実際にロープウェーに乗ったのは、現地ガイドに旧市街を案内された後のこと。 それなのに旧市街は同じような赤い屋根がびっしりで、どれがどれなのか区別できない。 ピレ門ドブロヴニクは、中世にはラグーサ共和国という都市国家だったそうで、海洋貿易などで栄え、また他民族の脅威などから、独立を保ってきたようである。 この高い城壁と堀で堅固に守られていても、何度も脅威にさらされたことだろう。 オノフリオの大噴水 ピレ門を入ったすぐの広場にある。 この後のフリータイムの後の集合場所が、ここ。 ここなら迷うこともないようだ。 ![]() 噴水というと、「盛大に水を噴き上げている」さまを思い浮かべてしまうが、16面のレリーフの人の顔の口が蛇口になっており、そこから水が流れ出ている。 噴水以外に適当な日本語がみつからない、ということなのだそうだが。 プラツァ通り旧市街のメイン通り、 左右はカフェ・商店が軒を並べ、クロアチアでもっとも古い薬局も健在。 私たちが入った時間が早いので人通りも少なく、ピレ門からルジャ広場方面へ向かう人ばかり。 フリータイムのころには、西側にある新港に大型観光船が着き、その観光客でいっぱいに。 ルジャ広場上の写真の突き当たりにあるのがルジャ広場。 時計塔の左がスポンザ宮殿、右に市庁舎、旧総督府が並ぶ。 その総督は1ヶ月交代で任命され、任期中は一歩も外出できない慣わしだったとか。 さぞ一日千秋の思いで、任期の明けるの待ったことだろう。 オルランドの像ルジャ広場の中央に、小噴水と並んで建つ柱の下部にこの像がある。 像の右腕から肘までの長さ、51.2cmが織物の商取引の単位となった。 実際には計りにくいため、同じ長さが台座に直線で刻まれている。 背後の建物は、聖ヴラホ教会。 教会の屋根に立つ聖ヴラホヴラホは、ベネチア軍が攻め込むのをいち早く人々に知らせ、町の危難を救った。 ドブロヴニクを手にしているのは、町の守護聖人であることを表し、ピレ門をはじめすべての門に同じような彫刻がある。 大聖堂プラツァ通りはルジャ広場で右に折れ、大聖堂に突き当たる。 正式名は聖母被昇天大聖堂で、主祭壇にイタリアの巨匠ティツィアーノが描いた「聖母被昇天」が飾られている。 ラグーサ共和国時代には、カトリック以外の教会の建設が禁じられていたが、その後はモスク・シナゴーク・セルビア正教会などが立てられている。 さまざまな民族・宗派の人がここを訪れ、居住したこと、それだけ交易が盛んだったことが分かる。 外から見る城壁プロチェ門からいったん外へ出てロープウェー乗り場に向かう。 背の高い方が城壁、右端がミンチェタ要塞。 この高さなら、攻め込まれる心配はかなり低いと。 城壁の上の遊歩道遊歩道は1周約2キロ、左回りの一方通行になっている。 写真は、ミンチェタ要塞から旧港方面を望む。 聖ルカ要塞で入り、大半の人がピレ門で降りる中、私たちはそこを通り過ぎた。 入り口が3箇所しかなく一方通行なので、次の聖イヴァン要塞まで少し急ぎ足で進むことになった。 一周でも2Kmしかないから、急ぐこともなかったのだが。 最初にも書いたが、ちょうどこの頃に入場した観光船からの大集団に巻き込まれ、集合場所のオノフリオの大噴水までたどり着くのに、少々難儀した。
今度の旅行に出かけてから、飛行機の中やホテル、移動中のバスの中などで泥縄式に、ガイドブックをめくり、やっと気づいたことがある。
旅行社か用意した今回の旅の日程表、その表紙に印刷された美しい石の橋が、きょうの午後に訪れるモスタルのスタリ・モストだと。 旧ユーゴから独立した各国の中で、もっとも悲惨な内戦を経験したのが、ボスニア=ヘルツェゴビナ。 既に、ユーゴスラビア軍の攻撃で悲惨な状況にあったモスタルに、クロアチア軍までが加わったのである。 ボスニアはイスラム教徒が多い国だが、カトリック教徒も少なくない。 ボスニアからの分離独立を主張する勢力を支援して、クロアチアが介入した。 スタリ・モストはその戦闘の中で、クロアチア軍が爆破した。 1995年の停戦合意後、国連などの支援により町及びスタリ・モストは2004年までに復興した。 そして、2005年にはスタリ・モストと周辺の旧市街が世界遺産に登録された。 沿岸部のトロギールを出発したバスは、途中から山道に入り国境を通過。 今回の旅では何度も国境を越えたので、記憶が定かでないが、警備官がバスに乗り込み一人一人のパスポートに、スタンプを押していったのは、この国境だっただろうか? 建物に残る銃弾の痕バスが町に入ってすぐに、こんな銃弾の痕が残る廃墟を目にし、全員の口から「おおーっ」という声が漏れる。 既に戦争から20年、これらは意識的に残されているのだろうか? 上の写真では、特に下のほうに集中して無数の銃痕が残っている。が、小さくて分かりにくいので、もう1枚。 こちらはバスを降り歩き始めてから、目にしたもの。 上の写真の建物の手前に道路があり、その東西にイスラム教地区・キリスト教地区と別れ、激しい戦いが続いた。 聖ペーター教会現在では、キリスト教会・イスラム寺院ともに修復し、民族・宗派間の融和も進んでいる。 私たちを案内してくれたイスラム教徒の現地ガイドも、キリスト教徒の娘さんと挙式の予定だとか。 少しほっとする。 そして、スタリ・モストの全景 ![]() スタリ・モストとは、古い橋という意味、都市の名モスタルもこの橋に由来する。 中央部が少しとがっていて、左右に傾斜のある美しい橋。 橋脚がない。 「滑りやすいので気をつけて」とガイドブックにあるが、それほどでもない。 ただ、今日が雨だったなら? 幅4m、全長30m、水面からの高さ24m。 夏場には「度胸試し」に、橋から川に飛び込む人がいる。 まだ時期が早いし、今日は曇り空で寒いからとあきらめていたが、そろそろ帰ろうかというころに、一人の若者がやってくれた。 観光客の間からは拍手が。 橋の上からの景観もすばらしい。先ほどの飛び込みの話だが、私たちには川の深さの見当もつかないが、水温は冷たく危険なのだとか。 添乗員の話によれば、川に飛び込むための「学校」があり、及第点をもらった人だけが飛び込めるとか。 「度胸試し」は古くから行われているようで、最も古い記録は1664年だという。 爆破された元の橋の残骸橋の下には、説明されなければ気づかない橋の残骸が残されていた。 ![]() 右は同じく爆破された橋のかけらに刻まれた「DON'T FORGET '93」の文字。 爆破されたのは1993年11月のこと。 平和と復興のシンボルとして、新しい橋の片隅に置かれている。 クユンジュルク通り銀細工のお店が多く、ほかには背後に見えるスタリ・モストを描いた絵画を売る店も多い。 お勧めと思ったのはアイスクリーム、ザグレブなどでは7クーナ(100円)だったものが、ここでは5クーナ(75円)くらい。 安いのだが、「今日の天候では...」と皆さんはあきらめていた。 ボスニア=ヘルツェゴビナのごく一部を見ただけだが、まだ傷跡が残る町が痛々しい。 が、首都は今も私たちの記憶に残る、冬のオリンピックを開催したサラエボ。 オリンピックを開催できるほどの力のあった国、遠からず復興できるだろう...と。 再び国境を越えクロアチアへ、そこから一気にドブロヴニクへ...と思っていたが。 実はドブロヴニクは珍しい飛び地となっていて、クロアチア本土とは接していない。 陸続きなのだが、間の10Kmほどの海岸線は、ボスニア=ヘルツェゴビナ領。 この10Kmの区間で入国・出国をするのでめんどうだが、その間にあるネウムという町が面白い。 私たちもそこで休憩を取ったのだが、そこのお店では現地通貨だけでなく、ユーロ・ドル・日本円なども使える。 クロアチアより物価が安いので、酒・タバコなどを買うために、国境を越えここを訪れる人も多いとか。(クロアチアのクーナも使える。) そしていよいよアドリア海の宝石、ドブロヴニクへドブロヴニクに着く前に、「ここからの眺めが絶景だから」と、運転手がバスを止めてくれた場所。 しばし、バスを降り撮影タイム。 実際の観光は明日だが、期待が高まり、明日が待ちきれない。 一抹の不安は天候のみ。
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