「たまにはリアルタイムのブログを」とノートパソコンを持ってきたのに、インターネットが使えない宿があったのと、やっぱり遅筆のせいで自宅に帰ってから4日分。
まるで夏休みの宿題の積み残しのよう。 それでもようやく今日で最終日。 昨日の勝連城跡と対で見る予定だった中城城跡。 修復中の石垣には、一つ一つの石に番号が貼り付けられており、きっちり原状通りに積み上げられることが分かる。 石積みはキッチリとした布積み(豆腐積み)、亀甲積み、野面積みがある。 この背後に見えるのは野面、正門とかの近くには布積みがされている。 城の中の聖域、首里遥拝所(うとうし)・久高遥拝所などが設けられている。 最後まで首里王朝に従わなかった勝連城主と異なり、王朝側の城主が住んだことが伺える。 勝連城との戦いでは中城の方が破れるが、最後には勝連城も滅亡する。 次の目的地は読み方が難しく、カーナビに打ち込むことができない。 すぐ近くまで来ているので、道路標識を見るだけで行き着けるが。 行き着いてその読み方に、のけぞってしまう。 斎場御嶽(せーふぁうたき) これだったら読めなくても恥ずかしくない。 琉球最高の聖域で、少し入った所にある御門口(うじょうぐち)より先は一般の人は入れず、そこから御嶽の方を拝んだ。 また、男子は入ることを禁じられており、国王と言えども女装して入ったという。 御嶽の中には5つの神域があり、それぞれ首里城の施設と同じ名が付けられている。 その中でも最も見応えのある三庫裏(さんぐーい) 見上げるような巨岩の間を抜けると、久高(くだか)遥拝所が設けられている。 琉球の始祖アマミキヨは当初久高島に降り立ち、そこから知念半島に渡りここに御嶽を作った。 その久高島は周囲8Kmほどの小島、人口200名ほどで小学校がある。 斎場御嶽からすぐ近くに、琉球神話から名前を取ったと思えるニナイ橋・カナイ橋がある。 下の国道からも良く見えるが、私たち同様この橋を渡ってすぐ引き返していくレンタカーがたくさんいる。 地図で見るとこの先には自衛隊の駐屯所・刑務所などがあるが、私達も引き返すことに。 沖縄南部に来たからには、平和記念公園に立ち寄って少し厳粛な気持ちで平和を祈らなくてはと。 前回ここに来た時は慰霊式典の前日で、手前の時計塔と平和の丘の間の式典広場にはたくさんのイスが並べられていた。 平和の礎に刻まれたたくさんの犠牲者の名、摩文仁の丘の各県ごとの慰霊碑に戦死者の望郷の思いを感じる。 最後に訪れた喜屋武岬 岬へは細い曲がり道が続き、カーナビと標識だけが便り。 平和の塔 先の戦争の激戦地の一つで、米軍に追い詰められた住民がこの岬から身を投げた悲しみの地でもある。 かくて9日間の沖縄・離島の旅を終え、中部空港に降り立った途端、寒い! 沖縄では連日最低気温20℃。 空港の温度計の4℃に震えが来る。
by t_ichib
| 2009-03-03 22:47
| 今日もまた旅の空
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