雨が予定より1日早く降ったため、今日の萩の町歩きは「きっといい天気」と思っていたのに、今にも降り出しそうな空模様のため、傘を手にしての散策となった。
ありがたいことに、その傘を開くことは一度もなかったが。 萩の町も今回で2度目。 ただ20年近くも前のことなので、ほとんど記憶に残っていない。 比較的小さな住居が続く中、白い塀が長々と続く区画がある。 「これって本当に1軒の家?」と思いつつ、表に回るとそこが豪商菊屋だった。 藩の御用達を勤め、たびたび殿様がこの屋敷を訪れることもあり、写真のこの門は位の高い人しか通れなかったという。 その贅を尽くした庭。 中央の平たい巨石は、直接この庭まで乗りつけた殿様の駕篭を、その上に下ろすもの。 こうした殿様専用の物には、大きな自然石を利用した手水鉢なども。 無論、家来が差し伸べた殿様の手に、柄杓で水をかける。 殿様が客と会う「謁見の間」が有ったり、町家には許されていなかったケヤキの縁側を普段は杉板で覆い、殿様が来た時だけそれをはずしたと言う。 実は菊屋住宅がある一帯は、下級武士たちが住む町。 私でも名前を知っている高杉晋作の住居も、その一角にある。 あるいは別の一角には、木戸孝允の住宅もあったりした。 両家とも、NHKの大河ドラマのおかげ?で大人気。 そうした住居を取り囲む側溝に太い竹を、正月の門松のように斜めに切った物が立ててある。 昨夜からこの連休中いっぱい「竹灯篭」といって、その中に蝋燭を灯すイベントがあるそうだ。 幻想的で美しいそうだが、昨夜は残念ながら雨、今夜こそ! 上級武士たちの住まいはお城に近い側、お堀の内側にあるためか「堀の内」と呼ばれる区画に有る。 広さも圧倒的。 駐車場でいただいた城下町の地図によると、先ほどの菊屋住宅より広い。 その一角にある萩博物館でもう少し歴史を勉強した後、上級武士の住む一帯に。 旧周布家長屋門、横幅は25mもある。 折から人力車に観光客を乗せてきた車夫?さんの説明を横で聞いていると、この長屋には中間など召使が住んでいた。 その観光客は「着物 in 萩」とかのイベントで着物姿。 城下町のあちこちで着物姿の女性に出会う。 明治維新という大変革を成し遂げた主役たちが下級武士だったのは、身分制度をはじめ変革の必要性を生活の上からも、ひしひしと感じていたからかと思う。 大満足で、少し疲れて今夜の宿津和野に向かう。 その途中、たくさんの車が駐車しているところがある。 小高いところにたくさんの人が、並び立つ。 「何か? お祭り…?」と一瞬思うが、その人たちが三脚・カメラなどを構えているのを見て、「たしか、今日このあたりをSLが通過する!」と気づく。 急遽私たちもその仲間入りをする。 少し手前で、「ぼーっ」という大きな汽笛。 待ち受けるカメラマンへのサービスか? 私たち同様に偶然SLに遭遇し、カメラに収めた見ず知らずの観光客たちと、お互いの幸運を祝い、喜び合う。 宿に着いたのが早い時間だったので、明日の予定だった津和野の散策に出かける。 古い町並みが残されているのが一筋だけと、ちょっともの足りない気も。 白と黒が美しいなまこ壁が続く。 教育委員会の建物なども、よく町並みにマッチして立てられいるな…と。 水路には大きな鯉が放流されている。 十分に餌を貰っているらしく、小さな子供が餌をやっているのに見向きもしなかったり。 観光ガイドブックには、「乙女峠・マリア聖堂」というのが載っており、最後にそこに向かう。 距離は短いのだが、上り坂が急で少々ばてる。 キリシタン受難史と聞き、「江戸時代のこと?」と思ったのに、明治元年から信教の自由が認められる明治5年まで、その拷問が続いた。 萩博物館などで、迫害を受けた刑死した吉田松陰、その遺志を受け継いで新しい世の中を作り出したその弟子たちの活躍に気をよくしていたのに、まだまだ苦難が続いていた人たちを知る。
by t_ichib
| 2010-10-09 21:41
| 今日もまた旅の空
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