北九州・山口旅行⑥ コンパクトなナイヤガラ?
 国東半島を後に杵築(きつき)城に向かう。

f0066555_1436279.jpg 着いたのは早朝で、落ち葉などの掃除や庭の砂にきれいな筋目をつける作業の最中だった。

 熊本・姫路などの名だたる名城と比べれば、こじんまりとしている。
 それは藩の豊かさと比例するわけでやむを得ない。

 元々は木付城とされていたが、幕府からの朱印状に「杵築」とされていたことから、現在の城の名・地名となった。


f0066555_14544544.jpg 城からやや離れたところにある武家屋敷。
 離れているのは城下町のすべてが、昔のまま残されていないだけかもしれない。

 通りの右側が2~300石の武家屋敷、左側に藩校などがあった。

 子供たちの姿は見えなかったのだが、藩校は現在の小学校の一部となっており、観光客向けに「静かにしてください」の注意書きもあった。



f0066555_1573858.jpg 臼杵(うすき)の石仏
 大日如来を中心に数体、阿弥陀如来中心に数体というように、いくつもいくつもの仏様が彫られている。
 軟らかめの石灰石は石仏を彫りやすいが、その分だけ痛みやすい。
 長い年月の間に、顔・体・手足の損傷が激しく、顔かたちからどの仏様か分からなくなっており、言い伝えにより「伝釈迦如来」というように「伝○○」と表示されている。


f0066555_15105395.jpg 別の場所にある最も大きな石仏群。

 中心にある大日如来は長く首から上がもげ、地上に安置されていた。

 写真の一番左にいる女性は、石仏の補修をされている職員。

 前の写真のほうがよく分かるが、石仏の下のほうが青い苔に覆われる。
 (その説明によると)苔による湿気が石仏の損傷を加速する。 石仏を傷つけないように、丁寧に苔をそぎ落とす作業をされている。
 

f0066555_1518370.jpg 臼杵城跡
 天守閣などお城は残されておらず、写真の櫓や門が残されているのみ。
 それでも、白い塀と櫓が美しい。
 
 たまたま城跡を散策していた人に私たちが岐阜から来たと告げると、「ここと岐阜とは縁がある」と言う。
 元々は岐阜郡上八幡にいた稲葉氏がここの城主となっている。 それだけのことで、親しみを感じていただけるのはありがたい。



 そこから阿蘇に向かう途中で、原尻の滝に立ち寄る。

f0066555_15282410.jpg 深山渓谷にある滝と違い、滝の上流は田畑などの広がる普通の川。

 滝の上流側は歩いて渡ることができる。

 後で聞くと今は水流が少なく、水の多い時だともっともっと迫力があるそうだ。


f0066555_15333071.jpg 滝の下流側には、長いつり橋がある。 滝はこの右側になる。

 私たちは滝の右側からこのつり橋を渡り、滝の左側に出る。
 そして滝の上の道を歩いて、滝を一周する。
 もちろんこのつり橋の上からも滝を見ることができる。


 原尻の滝を後に、竹田へ向かう。

f0066555_15482682.jpg 竹田市に入る手前、道路を車が通ることにより、メロディが奏でられる。 曲は「荒城の月」

 竹田には作曲家滝廉太郎の住んだ家があり、現在は記念館となっている。

 滝廉太郎がここに住んだのは、少年時代のわずか2~3年。
 それなのに、名曲「荒城の月」のモチーフとなった「岡城址」の存在が、滝廉太郎と竹田と結びつけるのだろう。
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by t_ichib | 2010-10-12 22:04 | 今日もまた旅の空
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