メキシコ旅行② 太陽・サボテン・遺跡
 結局、海外からのブログ更新は1回で終わり、いつもどおり帰国してからのブログとなった。
 最初の3日間は同じホテルの連泊だったが、4、5日目は1泊づつ。 移動時間も半端でなく、その分遅い到着、早朝の出発と日程が厳しく、時間が取れなかった。


 今日26日はメキシコ観光の実質的な1日目。 昨日散策したレフォルマ通りからソカロ広場へと向かう。

 そのレフォルマ通り、実は今日の早朝にもちょっと散策、昨日の独立記念塔より先の方向へ。
 その通りには、いくつもの銅像が立ち並ぶ。 ガイドによれば多すぎて、どれが誰なのか分からないとのこと。
 ただ、唯一の日本人として野口英世博士の銅像があるそうだ。


f0066555_12251187.jpg 散策していて楽しいのは、写真のような造形作品がたくさん置かれていること。

 また、コンクリートの「橋の欄干?」のように見えるものが随所にある。
 そこで一休み、あるいは朝食のパンを食べている人もいる、
 通りに置かれたベンチだったのだ。 欄干と思ったのは背もたれ。

 レフォルマ通りは市民が散策を楽しみ憩うことができる、ちょっと贅沢な通り。



f0066555_12271928.jpg ソカロ広場にある大聖堂
 メキシコはカトリックの国なので、いたるところに教会・大聖堂があり、私たちもそのいくつかを回った。
 どこでも「帽子を取って、写真撮影はノーフラッシュで」だった。 デジカメの設定が難しく、どうしてもフラッシュを止められない人もいた。
 ワザとではないので…



f0066555_1432951.jpg ソカロとは中央広場とか言う意味らしいが、メキシコシティのソカロの正式な名は「憲法広場」という。
 すごく広く、大聖堂のほか市役所などに加え、この国立宮殿などが広場を取り囲む。
 この宮殿には大統領も住む。

 実はこのソカロ広場には、先住のアステカ民族の遺跡があったそうだが、征服したスペイン人がそれらを壊して、その石材を利用して、こうした建築物を造ったといわれる。



f0066555_14353273.jpg グァダルーベ寺院 三つの奇跡を起こしたマリア様が祀られていることで有名。

 ただし地盤沈下により教会が傾き、現在はこの建物には入れない。
 この左側に近代的な教会が立つ。 近代的過ぎて、教会とは思えない。

 ここのマリア様は、メキシコ人からもっとも愛されているマリア様だという。
 マリア様の起こした「奇跡」以外に、お顔が黒っぽく、現在のメキシコ人風だということも一因らしい。

 現在のメキシコの人口の70%は、インディオとスペインの混血だという。 そのことも一因なのか、元の征服者スペインに対する反発は少なく、むしろアメリカに対する反感が残っているという。


 ガイドの日系2世による説明を聞き、メキシコへの知識・理解が乏しかったかを思い知った。
 現在のメキシコは日本の5倍の広大な国土を持つが、米墨戦争(この戦いのことすら知らなかった)の敗戦により、カリフォルニア・テキサスなどそれ以前の国土の3分の1を失った。
 しかもそれらは後に観光都市となり、金鉱や油田の豊かな資源が発見されることになった。

 現在のメキシコも農産物を輸出し、銀などの鉱物資源も豊かな国ではある。
 原油も産出する。 しかし、原油の精製施設がなく、原油を輸出しガソリンを輸入しなければならない。


f0066555_154086.jpg メキシコシティから郊外に移動中に、車窓から見た風景がこれ。

 地方では生活できず、都市を目指し逃れてきた人々の住まい。
 一つの山を覆い尽くすほど。
 その山が埋まれば、また次の山へと。 当初は水も電気も引かれていなかっただろう?

 資源豊かでありながら、国民の大半は貧しい。
 豊かな隣国への反発は、その歴史もあり根強いものがある。



 一方、同じガイドがこんな話もしていた。
 日本人以外のガイドもする(英語で説明し、添乗員がその国の言葉で説明する)そうだが、「韓国のガイドは断っています」と。
 「Are you Japanese!」と、むき出しの反発を受けたのが、その理由。

 米墨戦争は150年前、第2次世界大戦からはたかが60年。 叩いた方は忘れても、叩かれた方は忘れない。 私たちもよくよく心しなければ…

 ただ、ガイドは「彼らの素行の悪さも原因でしたが…」とも。 「素行の悪さ」とは、朝食バイキングのパンを1個持って帰ったことくらいではなさそうだ。
 「旅の恥はかき捨て」とならぬよう、もう一つ心がけねばならぬことが。



f0066555_16185945.jpg メキシコシティから50Km北にあるテオティワカン遺跡
 「サボテンと太陽の国」というのが、ガイドブックに載るメキシコの形容詞だが、「それに遺跡も付け加えて欲しい」とも。
 遺跡を訪れるのはヨーロッパ人、中でもドイツ人が多い。
 「アメリカ人はアカプルコなど、リゾート地にしか来ない」と、日系2世ながらメキシコ人のガイドは厳しい。

 テオティワカン遺跡は紀元前2世紀に建設。 ピーク時には20万の人口があった巨大都市。
 8世紀には謎の滅亡を遂げるなど、古代史ファンにはたまらない魅力。 らしい?


f0066555_16384269.jpg 同じ遺跡にある月のピラミッド
 遺跡に関する難しい話はその場では感心して聞き入ったけれども、すでにほとんど忘れてしまって、このピラミッドに登ったことなどしか。

 わずかにピラミッドを取り囲む神殿に壁画が描かれ、その彩色の一部が残っていることや、その赤がカイガラムシをつぶした血の色であることなど。


 うかつにも、デジカメのバッテリーがここで尽き、以下は携帯電話のカメラ。 前回の九州旅行中に一度充電したきりだった。
 それでも妻の携帯は今年買い換えたばかりで、私のものより数倍は精度が高い。


f0066555_1761396.jpg 月のピラミッドから、両側に神殿跡の立ち並ぶ「死者の道」を通り、太陽のピラミッドに着く。
 「月」が42mなのに対し、「太陽」は65m。 階段が5層位に分かれていて、そのたびに小休止しながらやっと頂上にたどり着く。

 それぞれの名称は、後にここにやってきたアステカ人が大きさなどからつけたもの。
 しかしながら「月」の方が古く、周りにある神殿などからより重要視されていたとされる。



 再び同じ道をメキシコシティへと戻り、国立人類学博物館

 詳しく見て回れば「3日くらい必要」だそうで、第7室「アステカ」と第10室の「マヤ」のみを見る。

f0066555_17271647.jpg アステカの「市場のにぎわい」を立体的に見せているジオラマ。
 製作者は女性人類学者で、6人の弟子とともに3年を費やして再現した。
 左から農産物・魚介・薬・陶器・衣類等の売り買いが見られ、右端には敵国の男女が奴隷として売られているさまも。

 アステカ文明は、様々な神を刻んだ見事な石像が特徴で、さらに「太陽の石」といわれるカレンダーも有名。
 1年を365日(20日×18ヶ月+5)とするなど、文明の高さをうかがわせる。

 そのカレンダーを読み解くと、「ノストラダムス」に継ぐ2012年12月21日が、世界の週末だとする説に導かれるそうなのだが。


f0066555_1841251.jpg マヤ文明の部屋のチャックモール像
 この像は博物館以外にも、遺跡で実物を見た。 人だけではなく、ジャガーの像も。

 人の腹部・ジャガーの背などにくぼみが作られており、そこに「いけにえ」となる人間の心臓が供えられた。

 太陽の復活を願う儀式で、当初は志願者の心臓が捧げられたというが、後に多ければ多いほど良いとされ、たくさんの心臓が必要となり、志願から強制となった。
 そのことから国が衰退したとも…。


 マヤ文明は穏やかな農耕民族というように思っていたが、意外に血なまぐさい面も。
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by t_ichib | 2010-10-26 23:08 | 今日もまた旅の空
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