昨日は書き漏らしてしまったが、メキシコシティの歴史地区とテオティワカン遺跡の2つは世界遺産となっている。
今日も2つの世界遺産を訪れる予定。 オリンピックスタジアム 日本は体操・レスリング・重量挙げで金、男女のバレーボール・マラソンで銀、サッカー・ボクシングで銅など、計25個のメダルを獲得し、国別順位は3位と好成績を収めた。 それなのに、メキシコらしい?この壁画のスタジアムの記憶がなかった。 それは私だけのことで、他の参加者にとっては懐かしい映像として残っていたのだろうか? そのすぐ隣(歩いて行ける)には、メキシコ国立自治大学がある。 1551年創立の南米第1位の評価を受け、卒業生から3人のノーベル賞受賞者を輩出する名門大学。 その中央図書館 壁面を覆う壁画は「モザイクではない」という。 細かく砕いた色つきのタイルを張り合わせて、モザイク画を作成する。 しかしここでは、メキシコ各地から集められた自然の石が、この壁画に用いられている。 この壁画は世界最大の壁画とされている。 広いキャンパスには、このような壁画・彫刻など現代作家の芸術作品が多く、大学全体が世界遺産となっている。 文盲の多かったメキシコでは、文字に代わり壁画により民衆に訴える壁画運動が起こった。 総長事務棟の壁画の腕が指し示すいくつかの年号は、1810年(メキシコ独立の発端)、1910年(メキシコ革命)など重要なエポックを表わし、最後の19??年は更なる未来の改革を目指したもの。 メキシコシティは標高2200m位の高地にあるが、そこからさらに山々を登った高地へと向かう。 その先に待っているものは? クエルナバカのコルテス宮殿 アステカを滅ぼしてメキシコを征服したスペイン人のコルテスは、ここにあった神殿を破壊して宮殿を造るよう命じた。 中央部分にこそバルコニーがあるが、全体のイメージは宮殿というより要塞。 征服したとはいえ、常に群集の蜂起にさらされていた? クエルナバカの大聖堂は、なんとも古色蒼然としている。 この高地にあるたくさんの修道院群とともに世界遺産となっている。 この時代の宣教師たちは、征服者の前にあるいは後からやってきて、民衆をキリスト教徒化し、征服・支配をしやすくした。 と、私は思っている。 自身がカトリックだというガイドの口からではないが。 この大聖堂は日本と妙な縁がある。 バテレン弾圧時代の日本に漂着し、秀吉の命により処刑された神父たちが聖人として、その受難を壁画にしている。 その壁画は、コレラが蔓延した時代に石灰が塗られたことにより、キリストの顔などいくつもの部分が消えてしまっている。 庭園にある十字架には、磔にされたキリストの像がない。 征服当初の教会は現地の民衆に、キリストが処刑された事実を知られたくなかったという。 十字架のすぐ下の不気味なドクロのマークはこの宗派のマークであり、大聖堂入り口の三角の上にも描かれている。 そこからさらに山道を進む。 18世紀に銀鉱山が発見され栄えた美しい町、タコス 今も、多くの銀職人が住み、銀細工のお店が並ぶ。 私たち一行の女性の多くも、指輪・ネックレス・ペンダントなどに熱い視線を注ぐ。 その銀の利益は計り知れないものがあったらしく、このサンタ・ブリスカ教会は銀で財を成した個人が寄付したもの。 個人の財でできたとは思えないほど、内部の装飾は豪華。 現地人を酷使した結果と、つい思ってしまう。 タスコの町の道路は狭い上に、曲がりくねった急勾配の坂道。 もちろん観光バスは入ることができず、タクシーに乗って移動。 そのタクシー、神風タクシーとしか形容しようがない。 特に下り道がすごい。 勢いに乗ったままカーブに突っ込む。 タクシーを降りた私たち一行は、口々にその恐怖?の体験を語り合う。 このタクシーは2ドア、後部座席に乗り込むため助手席をはずしてある。 そのドアには紐がつけられており、運転席から引っ張って閉める「自動ドア」 メキシコ人の陽気さが、乱暴な運転振りも楽しいものに変える。 写真撮影にも快く応じてくれる。 2箇所の観光を終え、再びメキシコシティへと3時間強の道を戻る。 今夜は良く眠れそう。 道路はよく整備された国道で、帰り道はすでに寝付いている人も多かった。
by t_ichib
| 2010-10-27 22:23
| 今日もまた旅の空
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