メキシコ旅行⑤ 血なまぐさい話ばかり…
 メリダは1泊だけのホテル、朝食を済ませると早々に出発。 遺跡の観光をしつつ、最後の宿泊地カンクンに向かう。


 昨日と同様に荒地の中の国道・高速道路を1時間ほど進み、ユカタン半島最大のマヤ遺跡、世界遺産:チチェン・イツァに到着。


 遺跡の中に入り、たくさんの土産物屋の間を通る。
 本当は遺跡の中での物売りは禁止されている。 そんなにしつこくもなく、あまり苦にならなかったが、確かにウシュマルなどでは節度を守り、中まで入ってはいなかった。


 その通路を、中ほどから右方向に曲がる。

f0066555_14382278.jpg 高僧の墓
 これも後世に勝手に付けられた名だが、貴重な宝物がそこから発見されてもいるらしい。

 発見時には原型をとどめないほどに崩壊していたが、修復が完了し美しい姿を見ることができる。

 階段の一番下には、後で見るカスティーヨと同様に大蛇の彫刻がある。


 さらに奥へと進む。

f0066555_14492465.jpg 天文台
 マヤ文明は、数学・暦・天文に優れていた。
 レンズなどのない時代、肉眼で太陽・月・星の運行を観測していた。

 春分・秋分の日没を正確に観測できる窓があるなど、天文のレベルは高かった。

 1年が365.24日になることも知っていた。 彼らの暦は20日×18ヶ月+5日、最後の5日は「不吉な日」とされる。


 その道の突き当たりまで進む。

f0066555_14573691.jpg 尼僧院
 同名のウシュマル遺跡と同様、後世に付けられた名。
 何のための建物だったかは不明という。

 この奥にも、修復中と思われる崩れた石積みがあり、新たな発見もあるだろうし、この遺跡の規模はもっと広がっていくことだろう。



 そこからは、先ほど右に曲がった場所まで同じ道を引き返す。

f0066555_1459508.jpg カスティーヨ

 この遺跡中の最大の建造物、4面すべてに91段の階段が設けられている。
 最上段の祭壇の1段を加えると(91×4+1)365となり、1年の日数となる。

 そのため、別名を「暦のピラミッド」ともいわれる。

 このピラミッドはククルカンと呼ばれる羽毛を持つ蛇(=マヤの最高神)を祀る。


f0066555_1551146.jpg 4面の階段のうち、北側にはその大蛇の彫刻がある。

 年2回、春分・秋分の日没時には、太陽の光が石段の影を落とし、大蛇の首から斜め上へとうごめく胴体のように見える。
 その日には、特に大勢の観光客がここを訪れる。

 カスティーヨの台座は東西南北からわずかにずらし、ぴったり春分・秋分の日に蛇の胴体が現れるよう計算されているというのだから、彼らの暦・天文に関する知識はすごい。

 以前の写真を見ると、カスティーヨに観光客が登っている姿が見られたが、現在では禁止されている。


 神殿の北側には大きな広場がある。 当時もすでにククルカンの出現を、大勢の人々が固唾を呑んで見守ったのだろうか?

 その広場の奥には

f0066555_1585017.jpg 戦士の神殿
 神殿の前には角柱が並び、それぞれに戦士の像が彫刻されてる。

 右側にはたくさんの丸い柱が整然と並ぶ。 当時はこの上に屋根が載り、王の宮殿へと続く通路になっていた。

 この神殿にはいけにえの心臓が捧げられたという。



 血なまぐさい話が続くが、この広場の別の一角には

f0066555_1517369.jpg ツォンパトリ
 この基壇の石一つ一つに骸骨の彫刻がある。

 この檀はいけにえになった人の頭蓋骨を並べておくものだった。

 何故これほどまでいけにえが必要だったのか? それは、豊作と太陽の復活を祈る儀式だったといわれている。


f0066555_15195490.jpg 球戯場
 同じようなものをウシュマルでも見たが、ここのものはずいぶん高いところにある。
 腰でボールを打ち、石の輪に通す。(手は使えない)

 実は、これもいけにえの儀式と関係があり、勝ったチームの選手の首が切られ、いけにえとして捧げられたという。 (負けたチームとも)

 ずいぶん残酷な話だが、証拠となる彫刻まで残されている。


f0066555_15331899.jpg さらにはこの広場からず~っと奥に、セノーテ(聖なる泉)と呼ばれる池がある。

  雨の少ないこの地方だから、「聖なる泉」と呼ばれるのかと思っていが、やはり血なまぐさい話になる。
 雨乞いの儀式として、いけにえや財宝がこの泉に投げ込まれたという。
 実際にアメリカの探検家により、この泉の底からたくさんの人骨や財宝が発見されている。




 チチェン・イツァの観光を終え、そこから70kmほど離れた、少し規模の小さいエク・バラム遺跡に向かう。

f0066555_15353916.jpg 遺跡に入りすぐに目にするのは、茅葺きの小さな家。

 貴族の立派な石造りの家ばかり見てきたが、庶民はこのような茅葺きの家に住んでいたようである。
 ユカタン半島を走行中に、マヤの末裔らしき人々の集落の屋根も、こんな茅葺きだった。


f0066555_15383869.jpgアクロポリス

  この遺跡が発見されたのは1997年のこと。
 ガイドさんが始めてここに来た時はこんな風ではなく、藪に覆われていた。
 といって、左右のこんもりとした樹木の生い茂る小山を指差す。

 つまり、ここにはもう2つこんな神殿があるという。



f0066555_15235040.jpg 写真では大したようにも見えないが、階段は100段ほどある。

 上から見下ろすとこんな風となる。

 テオティワカンやウシュマルでしっかり登ってきたからと、ここでは登らなかった人も何人もいた。

 下に見える樹木の左右が、次の発掘対象になる。


 2つの遺跡を終え、カンクンへ。 最後の夕食は日本食、急に我が家へ帰るのが待ち遠しくなった。
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by t_ichib | 2010-10-29 14:35 | 今日もまた旅の空
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