エジプト旅行⑤ ナイル西岸(死者の町)見学
 エジプトは5000年以上の歴史を持つが、当初南エジプト(ハスの花が象徴)と北エジプト(パピルスの花がシンボル)が統一されるのは、ピラミッドが建設された「古王国時代」成立前後。

 (2つの花は、神への捧げもの・統一エジプトの王位の象徴として、欠かせない。)

 その後ピラミッドは作られなくなり、ルクソールに首都が置かれた「新王国時代」(3600年前)には、「王家の谷」が築かれ始めた。



 昨日、私たちが観光したナイル東岸は生者の町、対して西岸は死者の町と明確に分けられていた。

 東と西を結ぶ橋は、停泊した場所よりかなり上流。
 バスで橋まで移動する間に、何ヶ所もクルーズ船が繋留されている場所を通り過ぎる。 それぞれ船を所有する会社が異なるのか、まったく無作為に泊められているだけか?

 それにしても、休眠中のクルーズ船は相当な数に上る。


f0066555_15211069.jpg 王家の谷に着く。
 が、ここから先は撮影禁止

 以前は、撮影禁止だったり、有料でなら撮れたり、場所によりバラバラだったが、今ではお墓はすべて禁止。 (王家の墓、ピラミッドなど)

 他はカイロ博物館、アブ・シンベル神殿など。

 仕方がないので、購入した絵はがきから2枚をコピー。


f0066555_1719331.jpg ラムセス6世の墓の壁画

 描かれているのは、天空の女神ヌト
 夫である大地の神ゲブとの間を、大気の神シューにより隔てられた。

 この絵は、日没後の太陽を口に飲み込み、夜の間にヌトの体内を通り、翌日には太陽が復活すると言う神話が描かれる。
 王自身の復活の願いから、他の墓にも好んでこの絵が描かれている。


 当時の王たちは、現世より来世を重要視し、墓の中を豪華に飾り、(盗掘されているが)さまざまな副葬品がそこに運び込まれた。


f0066555_17534141.jpg ツタンカーメンの墓の玄室

 未盗掘で発見されたので、人気の高いツタンカーメンだが、あまりに早い死に、墓が間に合わず当時の大臣のために用意された墓を流用した。
 ...とガイドの説明だが、臣下の者の墓が「王家の谷」に作られたか疑問。

 絵の上部に描かれたスカラベ(フンコロガシ)は、糞を転がすさまから、日の出の太陽を持ち上げると信じられていた。
 これも王の復活のための、大きな要素として描かれる。


 通常なら王は墓の出来具合を何度も確かめ、気に入らないところは手直しを指示した。

 他人のために準備された墓だったかはとにかく、18才か19才で亡くなったツタンカーメンの墓は急ごしらえで、他の王よりいくぶん質素に思える。

 それでも翌日訪れたカイロ博物館のツータンカー面の部屋では、よくもこれだけの宝物があの狭い部屋に入っていたと感嘆した。



f0066555_1828896.jpg ハトシェプスト女王葬祭殿

 この光景を見て、どうしても真っ先に頭に浮かぶのは、1997年のイスラム原理主義者による無差別テロ、その中には若い新婚旅行のカップルもいたのだから。

 近くにはあと2つ葬祭殿の跡が発見されているが、修復されているのはここだけ。


 2つの遺跡の見学を終えた後、船に戻る。
 クルーズ船には、ルクソールから新たな乗客が乗り込むため、私たちは朝の出発時に既にチェックアウト。

 それでも昼食はこの船で摂り、出発する16時までは個室には入れないものの、ロビー・ラウンジでくつろぐ。



 その後、空路でルクソールからカイロへ飛ぶ。 最初に仮眠をとったギザのホテルに最後の宿泊。
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by t_ichib | 2012-07-09 20:16 | 今日もまた旅の空
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