相変わらず旅行前の予習に欠ける私だが、今日の午前中に訪れる【世界遺産:シギリア】について、特にその美しいシギリアレディの映像は、ごく最近テレビで見たばかり。
…ということもあって、今回のスリランカ旅行でも特に期待していた。 その有名なエピソードは、父王を殺し異母弟から王位を奪った妾腹の王は、弟の報復を恐れ首都アヌラーダブラを離れたシギリアに王宮を建設した。 建設に7年を要した王都は、弟の攻撃を受け王が自殺するまで、18年の短い首都だった。 岩山の中腹に描かれた美しい美女たちは、王の多くの妻妾たちとも、あるいは父を殺した仏教徒としての悔恨の日々を送る王が、天女の姿を描かせたとも。 【シギリアロック全景】 その頂上に王宮が築かれたというシギリアロックを前方に見て、美しい庭園を進む。 左右の池は、愛妾たちが水浴したプール。 王はプールのそばに座り、「愛妾たちの姿を眺めた」というガイドの説明には、「悔恨?」、「根暗?」と思ってしまう。 この先には、美しい「花の庭園」、岩ばかりの「石の庭園」へと進み、見た目ほどきつくはないが、岩山の頂上まで登る。 【ふもとの岩壁に消え残った美女の絵】 左の岩の右下部分。 最初の写真と同じような女性らしき姿が薄く見える。 王宮ができるまでは、この地は僧侶たちの修行の場であった。 兄王が敗れ去った後、再び僧の修行の場となったが、肌もあらわな美女たちは瞑想の妨げ。 というわけで意図的に消されたり、自然の風化で消えたりで、当初500体あったといわれるシギリアレディたちも、わずか18体が残る。 【鏡の壁】 岩山の頂上へ向かう通路の壁。 この少し手前に、シギリアレディの描かれた場所へ通じる垂直の階段があるのだが、観光客たちで鈴なり状態だったので、順序を変える。 王はこの壁に、日記や詩とかを書き連ねた。 多くは王の愛妾たちのことだったとか。 【中腹から見下ろした庭園】 登り道は「それほどでもない」と書いたが、やはりきつい。 ひと息入れながら、眼下の景色に目をやる。 やや左に白く筋のように見えるのが、私たちが通ってきた庭園の中の道。 ここに限らず、スリランカはどこへ行っても緑がいっぱい。 大きな象からサルやリスまでが、私たちが歩く目の先にいる。 【ライオンが待ち構える最後の登り道】 階段の上り口の左右には、ライオンの前足。 当初、石段はライオンの大きな口へとつながり、「侵入する者は、ライオンに食われてしまうぞ」との、脅しの目的もあったとか。 その先の階段には、観光客が連なる。 手前は広場になっており、登る前にもうひと息入れる人や、記念写真を撮る人たちでいっぱい。 【頂上の王宮跡】 頂上の平坦な部分は思いのほか広い。 そして遠くまで見渡せる。 王は攻め入る弟の軍を見たのだろうか。 【同じく頂上にある王のプール】 実際には王宮は、ふもとにももう一つあったというので、飲み水・食料など便から「そちらで過ごすことのほうが多かった?」と思われる。 それだからこそ余計に、「こんな高いところに、プールまでも!」と。 頂上から鏡の壁の先まで戻り、シギリアレディたちとの対面の場に。 先ほどは「急な階段」としか書かなかったが、観光客のために設けられた螺旋階段。 絵画を描くにも、頂上から「ロープを伝って降りた?」と思われる場所。 そのために意図的に消されることもなく、今日まで残ったと思われるが。 【再び、妖艶な天女】 残された18体の美女たちは、(王の妻妾だとすれば)顔かたち・肌の色・装飾品、そして残されていた中国の貨幣などから、中国からアフリカにいたるまで、世界中から集められたという。 わずか18年の王都、この美女たちがいなければ、ここが「世界遺産にはならなかったのでは?」とも。 【王と閣僚たちの会議場】 帰り道の途中にあった平たい岩、ここが閣僚たちとの会議の場だった。 実際には大きな岩の上半分を削り、平らな岩とした。 左側の岩には階段がきざまれ、そこに警備の兵がついた。 ここばかりでなく、要所々々に兵が警備に当たる場所が設けられ、弟の軍への王の脅えがうかがえる。 ここでの18年間、王にとって幸福の日は少なかったかもしれない。
by t_ichib
| 2013-01-22 12:51
| 今日もまた旅の空
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