9月以来、久々のブログ投稿となってしまった。
なんとなく億劫になっていただけで、別に寝込んでいたわけではない。 (年末に孫たちからありがたくない贈り物=ノロウイルスをもらってしまい、2日ほどダウンはしたが) 10月には7度目となる北海道にも出かけ、たまたま奥尻島にいたころに台風が近づき、「島から帰れなくなる?」との心配したこともあった。 朝早い出発だったため空港内のホテルに前泊し、1月17日に中部空港を出発。 香港で乗り継ぎクアラルンプールに到着。 プトラジャヤまでバス移動しホテルに。 直行便のある東京・大阪なら、もう少しユッタリできる出発か、あるいは初日に少し観光が加わったのに…と、路線が減る一方の中部空港に悲哀を感じる。 【プトラジャヤのホテル】 プトラジャヤという(私にとって)聞き覚えのない地名は、マレーシアの行政の新首都。 (商業の首都はクアラルンプール) 経済関係を除く行政機関はすべてここに移転したというのだが、周辺はホテル・ゴルフ場のほかには、民家もあまり見かけない「郊外」といった雰囲気。 マレーシアは日本と比べ、四国分少ない国土、5分の1くらいの人口。 人口の半分を占めるマレー人、4分の1弱の中国人、先住民、インド人、その他と続く多民族国家。 国の財政を支えるのは、スズや原油などの鉱物資源(産油国なので、ガソリンは1リットル60円くらい)、油ヤシや紅茶の栽培などを含めた農業(暖かいので米は2年で5回の収穫)、観光業などの順。 マハティール大統領の時代に工業化に成功し、GDPは東南アジア第2位。 経済の発展で人手不足の状態にあり、ネパール・バングラデシュなどからの出稼ぎ労働者も多い。 国教はイスラム教だが、宗教の自由が認められており、各地で仏教寺院・ヒンズー寺院・キリスト教会を見かけた。 ただし、イスラム教徒は女性の服装など厳しく戒律を守っており、飲食物は中東以上と思ってしまうほど。 日本のしょうゆなどは、わずかにアルコールが含まれているからダメとか。 旅行2日目からいよいよ観光開始。 バスで2時間ほど揺られ、マラッカに向かう。 【マラッカ海峡】 行ったことはなくともマラッカ海峡の名は知っていた。 知らなかったのは、この海岸近くの海が泥海だってこと。 写真の海が青くないのは空が曇っていたからではなく、泥の色だから。 地元の人もこの海では泳がない。 海峡を望むこのあたりは「ポルトガル広場」と呼ばれる。 (何にもないけど) 【ポルトガル広場近くの住宅】 広場の名のいわれは、最初にヨーロッパからやってきたポルトガル人がこのあたりに住み、今もその末裔たちがここに暮らすから。 その家々の玄関の上には、キリスト教徒であることを示すように、キリストの像や絵が必ず掲げられている。 スマトラ島との間の狭い海峡は、見ている間にも何艘もの船が通過していくが、海岸には何のモニュメントもなく、ただ海を眺めたというだけで…。 【マラッカ旧市街】 昼食後、マラッカの旧市街を散策。 ジョンカーストリートは骨董品街という意味だそうだが、その名に反し今は飲食店・土産物屋のほうが多い。 マレーシアでは旧正月が近く、通りに吊るされた赤いちょうちんはその飾りつけ。 古い通りなので一方通行になっているが、その上にこんなに車が駐車している。 大きな観光バスがここを通るが、交差点を曲がるときなどはヒヤヒヤする。 町で見かける車には、トヨタ・ホンダなど日本車が多く、ダイハツとの合弁企業プロドゥア社の車などを加えると、半数近いのではと思うほど。 【青雲亭】 お寺らしからぬ名だが、れっきとしたそしてマレーシア最古の仏教寺院。 元々町の人々が寄り集まる場所だったここに、後にお寺が建ち名前だけを受け継いだ。 左側には海運を司る仏様がいるなどは、マラッカらしいかと。 【オランダ広場】 植民地だったマレーシアはポルトガル⇒オランダ⇒イギリスと支配国が変わったが、そのオランダ時代の建物がこの付近に多く残る。 広場の中心のこの噴水の台座に刻まれたレリーフは、そのあとの英国女王の横顔。 【同じくオランダ広場の周辺】 近くにはオランダらしい風車などもあったが、それはきっと観光用。 (必要性もないし) 赤いオランダレンガで建てられた質素に見えるキリスト教会には、豪華な装飾の石造りのカテドラル同様の歴史的価値があるのだろうと。 【セントポール教会】 ポルトガル時代のこの教会には当然屋根があったのだが、今は壁だけが残されている。 この教会は日本史でおなじみのフランシスコ=ザビエルとは縁がある。 日本での布教を終え、中国で亡くなったザビエルの遺体は本国に向かったが、ここで季節風の風向きが変わり、再び船旅ができるようになるまでここに数ヶ月安置された。 教会のそばにザビエルの像が建つが、後に聖人となったとはいえ、彼の名は日本以外でも有名なのだろうか? 【サンチャゴ砦】 実はオランダ広場、セントポール教会、サンチャゴ砦は歩いて回れる近さにあり、この写真も教会から降る途中で撮った。 同じくポルトガル時代のこの砦の城壁は丘全体を取り囲むほど広いものだったが、イギリス時代に取り壊され、この門だけが残されている。 マラッカの観光を終え、クアラルンプールまで戻りそこで夕食。 宿はプトラジャヤに連泊。 【クアラルンプールのスズ採鉱跡の湖】 夕食レストランのすぐ横に広がる湖(というよりは大きな池)は、スズを露天掘りにした後にできたもの。 クアラルンプールの観光は明日だが、たまたま目にした光景と、その成り立ちが面白かったので。
by t_ichib
| 2014-01-18 08:51
| 今日もまた旅の空
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