アンコールワット(12/13~18)
 1日目(セントレア⇒バンコク泊)
 いよいよ、アンコールワットへの出発。 朝は今年初めての積雪。
 今年2月の流氷ツアーの時も大雪だった。 JRのダイヤは大混乱。 名古屋についても、空港(当時は小牧空港)へのバスが動いてない。 名鉄⇒バスを乗り継いで、ヤットの思いで空港へ着いたのを思い出す。
 名古屋に近づくにつれ、雪が少なくなってきてほっと安心。

 セントレアからは直行便がなく、1日目はバンコク泊。 空港にはスルーガイドが出迎え。 言葉も通じないのだから、これがなければホテルに着くことさえできない。 私たち2人だけにガイドと運転手がついて、ホテル(ホリディイン)へ。 ホテルでほっと一息してから、再び車で夕食のレストランへ。 タイスキを始めて食べる。 周りは、ほとんど日本人旅行客。 私たち以外はもう少し大勢の団体だった。

 夕食後、ホテル近くを散歩。 屋台のお土産やが沢山出ている。 そして通りは来るまでいっぱい。 横断歩道があるのだが、向こう側へ渡るのに一苦労。 車優先とでも言うのか、歩行者が渡ろうとしていても、車はとまらない。 交差点で信号が赤になっていても、左折する車はドンドン進む。 そういう交通規則なのか。 そして歩行者用信号は青にならない。 どこかにボタンがあって押さないと青にならないのか。 仕方がないので、地元の人が横断するのに、ついてやっと渡る。

 テラス風の喫茶店で、一休み。 価格が、観光客料金で高いのか、客は私たち以外は西洋人の観光客ばかり。 支払時、サービス料が必要だった。

 2日目(バンコク⇒シェムリアップ空港⇒プリヤカーン⇒ニャックポアン⇒アンコールワット⇒プノンバケンの丘見学)
  朝が早く、ホテルから朝食のサンドイッチを受け取り、空港で出発前に食べる。 実は飛行機で、機内食(1時間くらいのフライトなのに)が出た。 朝食2回は食べられない。
f0066555_10123886.jpg バンコクからシェムリアップへの移動、小さなプロペラ機だったので、一緒に乗り込む人から「オオー」と驚きの声が沸く。 一行は西洋人と日本人(?)観光客が半々くらい。 
 大都会のバンコクから、湿地帯のような所の上を通過、やっとシェムリアップに。 日本だと国内空港クラスだが、国際空港でカンボジアではプノンペンに次ぐ、第2の都市だそうだ。
 空港には、ガイド(メイさんという女性)と運転手が出迎え、客は私たち2人だけ、これから4日間お世話になる。 一度ホテル(アンコールセンチュリースパ)へ入り、荷物を降ろし部屋で2時間ほど休憩。 カンボジアでは、昼食の後これくらいの休憩(昼寝)をとる習慣があり、4日間毎日このパターンだった。
 プリヤカン遺跡 長い間忘れ去られた石造りの遺跡、今にも壊れそうだが、当時のカンボジアの国力の大きさを感じさせる。
 夜はバイキングの夕食を採りながら、アップサラダンス観賞。

 3日目(アンコールトム⇒タ・プロム寺院⇒プレイループ寺院⇒スリスラン⇒バンディクダイ)f0066555_121683.jpg
 早朝、アンコールワットの朝日を見に行く。 暗いうちに出かけるのでこの時、懐中電灯が必要。 最初のうちは小雨が降っていたので、朝日は見られず。 再びホテルへ戻り朝食後、アンコールトム等を観光。 こうした遺跡が作られた当時は、仏教とヒンズー教が仲良くしていたが、後にヒンズー教が支配的だった時代に、仏教的な彫刻などは削り取られたという。 残念だが、それも歴史なんだと思う。

 4日目(クバルウピアン遺跡⇒パンティアイスレイ)
 前日、3日目の午後が空いているからとオプションツアーを勧められた。 旅行前、オプションを申し込んであるので、連絡をとってもらった。 旅行社からの連絡ミス。 現地のパンフレットを見ると、1人当たり40~60ドルと日本で申し込んだ時よりかなり高額。f0066555_1040210.jpg
 クバルウピアン遺跡(川の中に彫刻)を見た後の昼食場所で、スカーフや絵葉書を売り来た子達も、中学生くらい。 上手な日本語を話すので、聞いてみると他に、英語・フランス語・スペイン語などが話せるそうだ。 少し英語を話してみると、私の貧弱な語学力ではとても太刀打ちできない。 まさに必要に迫られた生きた語学力だ。 ベッタリ私たちにくっついているので、後から来た観光客の方を指差し、「あちらに行ったら…」というと、「まだ食事をしているから」とのこと。 礼儀正しい。
 パンテアイ・スレイ(女の砦の意)は随所に美しい彫刻が施されている。 東洋のモナリザといわれるデバターがある。

 5日目(トンレサップ湖遊覧⇒ロリュオス遺跡⇒シェムリアップ空港⇒バンコク)
 トンレサップ湖遊覧に出かける。 雨季と乾季では広さが大きく異なる湖だそうで多き時は琵琶湖の13倍とか。 この遊覧船も私たちだけの貸切だった。

 (カルチャーショック①) シェムリアップ市内に外国の援助で建てられた立派な子供病院がある。(毎日観光に出かけるたびその前を通る) 15歳まで、子供の医療費はタダ、小中学校の教育費も無料。(ただし学校の数が少なく、児童が半々づつ午前と午後に分かれて通う) 子供を大切にする政策がとられている。 が、残念なことに貧しくて学校に通えない子供も少なくない。 アンコールの遺跡などで、小さな子が「これ、1ドル」と言ってお土産を売っている姿を目にする。 (カンボジアでは、米ドルが通用している。)
 ガイドになぜ私達が日本人だと分かるのかと聞いたら、「案内するガイドを見て分かる」そうだ。
f0066555_128183.jpg 救われるのは、日本人の寄付で立てられた学校もいくつかあったり、ロリュオス遺跡で会った小学生の学用品が日本からの援助物資(リュックになまえと書かれた札がついている)だったりすることだった。
 長く放置されていた為、今にも崩れそうな遺跡があるが、日本政府の援助で修復が図られている。

 (カルチャーショック②) ナンバープレートが付いていない車が半分くらいある。 今日のように田舎の方へ行くと、9割くらい。 聞いてみると、税金を納めていないそうだ。 他の州へ行くと罰せられるとのこと。 運転免許を持っていない人も多い。
 車は中古だが、トヨタのカムリが人気。 でも、左ハンドル。 どこから輸入?
 バイクはホンダが人気。 運転免許はいらないそうだ? ヘルメットなんかはしていない。 2人乗り、3人乗りは当たり前、家族5人を乗せているお父さんを発見。
 郡部へ行くと、電気は来ていない。 でも車のバッテリーで電灯を付け、テレビを見る。 テレビはソニーが人気。
 国は貧しいんだろうけど、むしろ私達は(戦後の日本もこうだっただろうと)バイタリティを感じた。

 最終日(バンコク⇒セントレア)
 アンコールワットからの帰路もバンコク空港経由。 乗り継ぎ便を待つ間、空港内のタックスフリーの店を見て回ったりする。 13日着いた時は気がつかなかったが、セントレアよりずっと大きい気がする。 それでも手狭になって、別の所に国際空港を建設中だとか。

 乗り継ぎの手続きとか、VISAの申請とか出かける前は心配したが、何とかなるものだ。

 それと、日本のある程度のニュースもホテルのテレビで見ており、帰ったら大雪だということもあらかじめ分かっていた。
 帰国便は大幅に遅れ、0:40発に。 帰国してから着るつもりのコートがちょうど良いくらいの気温になっていた。 周りの人たちもそうしていた。

 実は、16日の夜、家内が体調を崩した。(いつもはむしろ私のほうなのに) 少し治まったので、17日の観光もできたが、帰国時の健康状態の調査票?には、元看護師の良心から正直に記入。 係員に少し尋ねられていたが、無事通過。(私は保健所に連れて行かれるんじゃないかと心配していた)

 と言う訳で、いろんなことを経験してアンコールワットの旅を終えた。
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by t_ichib | 2005-12-18 20:47 | 今日もまた旅の空
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