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ベトナム⑦ 最後の最後でトラブル
 1月21日 ミトー観光(メコン川クルーズ)-タイソン島-出国

 旧正月を間近に控えたベトナムでは、一斉に首都ホーチミンを離れ地方を目指す。 少し遠い人だと列車、料金の安い長距離バスを利用する。
 比較的近い人はバイクで。 50cc、100ccのバイクに2人、あるいは子供を入れた3人が乗る。 故郷へのお土産などは、運転手の足元などに積んでいる。

 そうしたバイクの列と共にホーチミンを出発したので、国道はすごい渋滞。


 …少し郊外のほうに来た時、片側5車線くらいの広い道路。
 しかも、中央寄りの3車線は車専用。 分離帯があり右側の2車線はバイクと路線バス専用。 車はバイクに妨げることも無く、バイクもより安全に走れる。

 やがて、車2車線・バイク1車線となったが、そのあたりでは交通量も減り、十分快適・安全なドライブを車・バイク共できたはず。
 ハラハラ・ドキドキのドライブをしてきた私たちのとって、このシステムを考えた人に「ノーベル賞をあげて」と思うほど。


f0066555_1161629.jpg とは言っても、前半の渋滞での遅れを挽回することはできず、予定時間を大幅に過ぎる。

 それで、順番を入れ替えて先に食事、その後に観光を。
 エレファント・イヤー・フィッシュの昼食。

 唐揚げにしたものを、野菜と一緒にツユにつけて食べる。 おいしい。 ボリュームが多く、少し早めの昼食だったので、とても食べきれない。



f0066555_11575266.jpg 乗船した船の中から、最近完成したばかりだと言う橋を撮影。
 それまではフェリーでメコン川を渡らねばならず、大幅に時間短縮になるとのこと。

 橋は、これから下船するタイソン島を経由して対岸に渡る。

 このあたりでは、メコン川は汚れた土の色。 もっともこれが肥沃なメコンデルタを作ったのだが。


 メコン川の中洲にはいくつもの島があり、タイソン島は長さ12Km。 島に下りると、椰子をはじめ豊富な果物の木々。
 米は取れないが、ほぼ自給自足。 最近では観光収入もあるが、まだまだ貧しい暮らしという。 それを聞いては、たとえ一つでも何かお土産をと思ってしまう。

f0066555_128593.jpg お土産以外の観光収入が、この手漕ぎボート。

 中洲の島の中の水路を手漕ぎ船で巡る。
 私たちの船はご夫婦が漕いでくれたが、年配の女性が多い。 写真のようなノンラとアオザイ姿。


 帰り道は、帰省のバイクとは反対方向なので遅れることも無く、ホーチミンに着く。

f0066555_12205357.jpg 飛行機の時間にはかなり余裕があり、ガイドさんは「もう1ヶ所、ショッピングとかご案内しましょうか?」と言ってくれたが、早目に着けてもらうことに。

 ホーチミン20:10発ハノイ22:10着の国内線に乗り、ハノイ発0:30発の便に乗り継ぐ。


 ハノイ・フエなどと違い、国内線にもかかわらず搭乗者以外のガイドなどは中に入れない。
 で、搭乗手続きは自分でおこなう。

 特に、預け入れの荷物をハノイで確実に名古屋便に載せて貰うこと。 少々頼りない英語で、そのことを係に告げる。
 ボーディングパスはハノイ行き・名古屋行きの2枚を発行してくれたものの、マネージャーらしき人の所へ行けという。

 それからがトラブル。 マネージャーは「待合のイスに座って、待っていてくれ」と。 私の英語がカタコトなせいか、詳しい説明も無く長い間待たされる。
 結局、「Delay」と言う単語で飛行機の遅れだと分かる。

 彼らは乗り継ぎの時間が厳しいので、預け入れの荷物が確実に乗り継ぎ便に積み替えられる手はずを整えてくれたようだ。 名古屋で受け取った荷物には「Business Class」の札が付いていた。

 待たされた理由は分かったが、今度は上手く乗り継ぎ出来るかが心配。
 当初1時間少々の遅れとの説明だったが、実際にはなんと2時間遅れ。

 ハノイでは空港係員に説明すると、国際線乗り場まで案内してくれた。 名古屋行きも30分ほど遅れていたので、何とかセーフ。
 到着便が遅れていたため、名古屋便を遅らせたのかも。 もしかするとホーチミンで待たされたのも、こうしたことの連絡も含まれていたかも。

 とはいえ、もう一つ忘れられない経験。
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by t_ichib | 2009-01-28 13:11 | 今日もまた旅の空
ベトナム⑥ ベトナム戦争は遠く
 1月20日 クチトンネル-統一会堂-中央郵便局-ペンタイン市場

 ホーチミンのホテルは、今回の旅行中で一番きれい。 お風呂も、2人目が入る頃にはぬるま湯になってしまうことも無かった。
 種類も豊富なおいしい朝食を食べ、午前中はクチトンネルへ。

f0066555_10145544.jpg クチトンネルは、ホーチミンから40Km。 ベトコンの米軍に対する抵抗の拠点。
 実際にはフランス植民地時代の抵抗組織ベトミンの時代から掘り始められ、全長は250Kmにも及ぶ。

 地下は3層になっている。 トンネルは米軍に見つかることもあったそうだが、体の大きな米兵には入れず、また真っ暗なトンネルの中で待ち受けるベトコンの恐怖に、入口付近を破壊することぐらいしかできなかったようだ。

f0066555_10273497.jpg 地下トンネルの空気穴。 これは観光客によく分かるようにしてあるが、当時は落ち葉などで覆い隠されていた。
 周囲は林になっているが戦争当時は枯葉材が撒かれ、現在の木々は戦争終結後に育ったもの。

 一帯には、病院・会議場・武器工場などが復元されている。 炊事場もあり、発見されないように、煮炊きの煙は数百メートルも離れた所へ、分散して出していた。


f0066555_10362359.jpg 当時のニュースで聞いたことのあるホーチミンサンダル。

 破壊した米軍の車のタイヤから、手製のサンダルを作った。
 「お土産に…」と勧められたが…


f0066555_1042316.jpg 戦闘の合間にも付近の畑では農作物を作っていたようだが、兵士の空腹を補ったのがタピオカ。

 栄養分は少ないが、戦後の食糧難を救った食料。 ちょっと試食してみると、サツマイモのような食感。

 今回のガイドさん達は全てベトナム戦争終結以後の生まれ。 ハノイは水牛(丑>)歳生まれの23才。 一番年長のホーチミンのガイドも戦争の翌年。
 「私の体が小さいのは、こればかり食べていたから」と。 確かに彼はベトナム人の中でも小柄だった。

f0066555_12463286.jpg クチに入る手前にあったタピオカの林。

 見た感じはどこにでもある雑草のようで、たぶん東南アジアの気候に合ってよく育つのだろう。 この根を食用にする。

 私は知らなかったが、粉末にしたものを加工してデザートの材料にもなるらしい。


f0066555_12525989.jpg ゴムの木の林。
 道路沿いに植林されており、「えっ何?」とガイドさんに訊いたもの。

 上の写真のタピオカは道路の反対側にあり、ガイドさんに訊くまで雑木としか思えなかった。

 ベトナムでは、お米は北・中部では年2回、南部のホーチミンでは年3回収穫される。
 麦はあまり栽培されず、先ほどのタピオカからフランスパンなども作る。 芋からパン? ちょっと信じられない思い。



f0066555_1334614.jpg 午後はホーチミンに戻り、市内観光。 その最初は統一会堂。

 サイゴン陥落までは南ベトナム大統領宮殿。 (陥落の瞬間、ほとんど無抵抗で解放戦線の旗が掲げられるのを全世界がテレビの映像で見た。)
 1階は様々な会議等で使用されるが、2、3階の豪華な大統領応接室、大統領の住まいなどは観光用に残されているのみ。


f0066555_13165232.jpg 北・中部では本当に「やかましい」と思ったバイクや車の警笛。
 ホーチミンではひっきりなしに聞こえることなど無く、交通マナーも(ちょっと失礼な言い方か?)成熟してきたように思える。

 中央郵便局。 フランス植民地時代の建物。
 高い天井の豪華な建物。 ホーチミン市内では激しい戦闘は行われておらず、無傷で残ったのだろうか。

 すぐ隣には、美しいサイゴン大教会があった。


f0066555_13253472.jpg 歴史博物館。
 内部は撮影不可と言われたので、壁面のレリーフのみ。

 石器時代から現代まで様々な展示品がある。
 他の国々と接するベトナムは、攻めたり攻められたりの歴史を持つ。 (南部は元々他の民族の土地だった。)

 興味深かったのは、かの大帝国を築いた蒙古に(神風に救われた日本同様)破れなかった数少ない国。
 その戦術は、干満の差が大きい河に(満潮時には見えないように)杭を打ち、海戦に不慣れな蒙古の船を串刺しにするというもの。



 ベンタイン市場は大きく活気がある。 宝石、鮮魚・お肉・野菜・衣類など何でも揃う。 さながらデパート。
 ガイドさんと離れ小一時間の買い物。
 「こんにちは」、「安いよ」などの声がかかる。 どうして私たちが日本人と分かるんだろう。
 私たちなど、「アレは日本人」と思った人が、知らない言葉を話すのを聞きビックリするのが、しょっちゅうなのに。

 進め上手の店員さんの口車に乗り、妻は貝殻のポーチなどを買う。



 ベトナム最後の夕食は少しだけ豪華なレストランに案内された。

f0066555_13453112.jpg 左は珍しい1弦琴。
 左手で弦の張りを微妙に変化させ、音階を奏でる。 右側は張られた弦を木琴のようにバチで叩く琴。 中央も膝の上に載せて弾く琴。
 いずれもベトナムで始めて目にする琴。 美しい装飾が施されている。


 珍しい帽子なので「少数民族?」と思ったが、「キン族」とのこと。 キン族といえば、ベト族ともいい、ベトナムの80%を占める主要民族。

 伝統音楽だけでなく、「北国の春」の演奏などサービス。
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by t_ichib | 2009-01-27 10:54 | 今日もまた旅の空
ベトナム⑤ 世界遺産の都市フエ
 1月19日 ハイバン峠-グエン朝陵-フォン川クルーズ-グエン朝王宮

 今日はダナンからフエまで、ハイバン峠越えの車での移動。

f0066555_10203226.jpg ダナンを出発してまもなく海に面白いものを見つけ、車を停めてもらい撮影。

 以前テレビでも見たことのある竹を編んだ船。 コールタールで固められて沈まないようになっている。
 実際には夜に灯りをつけ、寄ってくる魚を獲る。
 形が丸いので、「素人では思うように進めない」とガイドさんの説明。


f0066555_10273480.jpg ハイバン峠の頂上(500m)

 越えてきたダナン方面、行き先のフエ方面の両方が見下ろせ、絶景をしばらく楽しむ。
 私たちが通ってきたこの道は、ハノイからホーチミンまで続く国道1号線。
 途中ですれ違った列車はずっと下、海沿いを走る。

f0066555_10375984.jpg ベトナム戦争時代に、米軍がきずいたトーチカ。

 交通の要衝だったので、解放戦線がここを通って攻め込んでくるのを想定したもの。
 実際には、山の中の「ホーチミンルート」が利用され、ここでの戦闘は無かった。



f0066555_1043239.jpg 峠を下りきると、目の前に美しい湖が広がる。

 奥の方に見える橋は、完成したばかりのハイバントンネルの出口。
 全長6.3Kmで、東南アジア最大。 日本のODA援助が利用された。
 峠越えだと45分、トンネルだと10分に短縮。

 トンネル火災防止のため、ガソリン・プロパンガス等を運ぶ車は通行できない。
 それと私たちのように展望を楽しみたい観光客も。



 グエン王朝の陵墓に向うため、バイパスにそれる。 一旦はきれいに舗装された広い道路なんだが、傷んでとんでもないガタガタ道になっている。
 通行する車は道路の穴を避けるため、蛇行運転。

f0066555_1055391.jpg グエン王朝の最後から2番目、12代カイディン帝の陵。

 フランスの植民地時代の王なので統治の実権が無く、苦しむ国民に重い税金を課して贅沢の限りを尽くした。
 現在の国民からは尊敬されていない王。 その立派過ぎるお墓。

f0066555_1131141.jpg この王はお墓を自分で設計した。
 建物内部の壁の装飾。
 陶器の破片を使い、色落ちしないように工夫している。

 植物の茎のこげ茶色は、輸入した日本のビール瓶。
 屋外の龍の目玉も、フランス製のワインの瓶を使っている。

 建物の中には、フランスから贈られた高価な品がいっぱい。 「もっと多くのものをフランスは取っていった」と、ガイドさん。



f0066555_11115950.jpg 第4代トゥドゥック帝の陵。

 この王の時代にフランスと戦い破れ、植民地となった。
 多くの土地を奪われ、愚かな兄弟たちとの仲も悪く、小さい頃の病が元で子供にも恵まれず、淋しい王様だったそうで、ここは王の別荘。
 王宮よりここにいることが多かった。 その別荘を陵にした。

f0066555_1122975.jpg そうは言っても、中はこんなに広い。

 ここを作るのに、国民はさぞ苦しんだことだろう。
 でも、そのおかげで現在世界遺産になり、観光資源になっているのだからとも思う。


 昼食後フエ市内に入り、フォン川クルーズ。 船が着いた先が、ティエンムー寺。

f0066555_1129357.jpg グエン王朝以前の王朝はハノイにあり、祖先に当るグエン爺さんはその役人だった。
 フエで、力を蓄え外国から武器を買い、元の王朝を倒した。

 その頃この地に住む一人の老婆が、「この地に新しくベトナムの王になる人が来る」との神のお告げを受けたという。
 グエン爺さんは「それが私だ」と言い、老婆を祭る寺を建てた。


f0066555_11385546.jpg そんな為政者に都合のいい話より、この寺にはベトナム戦争時代に日本でも報道された別の話がある。

 この寺の住職が、展示されている車でサイゴンまで出かけ、アメリカへの抗議の焼身自殺をした。 車の後ろに貼られた写真は、その瞬間を撮影したもの。



 そこから再び車で、グエン朝の王宮に移動。

f0066555_11463949.jpg 王宮の周りは日本のように、外堀・内堀に囲まれている。

 中国と同様、南に面した午門が正面。 この上に王が立ち、国民にお言葉を発する。

 中央の入口は王だけのもの。 左右の2つは大臣など高位の人々。
 兵や象などはさらに外側、横に付けられた入口を通る。


f0066555_11544935.jpg その午門の上に立ち、王宮の内部を見下ろす。

 フエは、ベトナム戦争の激戦地。 王宮の大部分が破壊され、現在復旧中。

 それでも、残された豪華の建物の中には劇場などがあり、無形世界遺産に登録されたベトナムの雅楽が、毎年ここで上演される。

 王宮の中にあふれる漢字に、ここはベトナムなのか、中国なのかとの錯覚も。


f0066555_1272820.jpg フエでの観光を終え、ガイドさんの行為でフォン川クルーズで見かけたスーパーマーケットに案内してもらう。

 すでにお土産は十分買っているけれど、息子から頼まれたベトナムコーヒーなどを。

 ベトナムの通貨は4,000円相当しか持っていないので、足りなくなることを心配しどおし。
 ガイドさんからは「物価が安いから大丈夫」と、笑われる。
 確かにコーヒーを始め、お菓子など目に付いたものをずいぶん買ったと思うのに、日本円にして800円ほど。 0の数の多さに惑わされる。

 ベトナムでの、また新しい経験をし満足。


 これでいよいよ、フエからホーチミンへの飛行機に乗るのみ。 …と?

f0066555_12182843.jpg 妻が運転手さんに車を停めてもらい、ベトナムの女子高生の姿を撮影。

 ベトナムの女性といえば、アオザイと特徴的な三角の笠(ノンラ)姿。
 が、若い女性がバイクに乗るようになり、ヘルメットにジーパン姿に。 物売りの年配の女性くらいしか、ノンラ姿を見かけない。
 アオザイは商店の店員さんの制服として、よく見かけるが。

 女子高生のアオザイ姿を「かわいい」と思ったのは、私ばかりでなく妻もだった。
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by t_ichib | 2009-01-25 12:37 | 今日もまた旅の空
ベトナム④ 2つの世界遺産
 1月18日 ミーソン遺跡-ホイアン-ダナン市街散策

 今朝の出発は少しゆっくり。 ガイドを待つ間に昨夜歩いた道程を、もう一度歩いてみる。
 ダナンはベトナム第4の都市。 (ホーチミン800万人、ハノイ600万人に比べ、ダナンは80万人)

 道幅も広く、交差点はロータリーになっており、ハノイに比べ混雑・混乱は少ないように思えた。


 今日の最初の観光は世界遺産のミーソン遺跡。 ダナン市内から約1時間。

f0066555_17582224.jpg 私たちが遺跡に着いた時、チャンバ族の民族舞踊が始まる所だった。

 舞台の背景は、この遺跡の名にもなったミーソン(=「美しい山」の意)。
 この遺跡は、ベトナム中部に元々住んでいたチャンバ族のもの。

 ベトナム人はハノイなど北部に住んでいたが、中国に圧迫され南下した。 チャンバ族はさらに南部へ追いやられ、現在ではベトナムの少数民族となる。
 ベトナムの少数民族は50以上、人口の10%を占める。


f0066555_18142489.jpg 遺跡を見た第1印象、「アンコールワットに似てる」

 同じヒンズー教を信じる民族なので、外観はよく似ている。
 ただしアンコールワットが石造りなのにたいし、ミーソンはレンガを積んだもの。

 立っている人と比較して、遺跡の大きさもアンコールワットよりかなり小さいことも分かる。
 王が代るたび、こうした神殿・経典を収める図書館などが建てられたようで、比較的狭い区域にいくつ物建造物がある。
 またここは、儀式などをおこなう聖域で住居などは別の所にあった。


f0066555_1835881.jpg 遺跡は4世紀から17世紀にかけて作られたといわれ、風化による破損も進んでいる。

 しかし、比較的保存状態の良かった遺跡も、ベトナム戦争の時に米軍の爆撃で破壊された。

 ちょうど今、イスラエルの爆撃によって破壊されたガザ地区のことが連想される。

 遺跡が世界遺産に登録され、ユネスコの費用で遺跡の修復が進められている。
 しかし、圧倒的な軍事力の差、弱い者イジメとしか思えないアメリカやイスラエルに、ミーソンやガザの復興への義務が無いのだろうか。



f0066555_18463967.jpg 昼食後は2つ目の世界遺産、ホイアンへ。

 ホイアンは中国とインドをつなぐ海路の中間に位置し、商業都市として繁栄。

 オランダ・ポルトガル・中国に加え、日本からも後朱印船が来航した。

 19世紀末には、このトゥボン川に土砂が堆積したことにより、繁栄の中心は海に面したダナンに移った。


f0066555_20463263.jpg 右側の日本人街、左側の中国人街をつないでいるのが「日本橋」。

 当初この街に住んだ日本人により作られた。 正確には橋を日本人、屋根を中国人が作り、来遠橋(遠くから来た人が作った)というのが、正式名。

 鎖国政策により日本からの往来がなくなると、町全体が中国人の町に。


f0066555_20533374.jpg その元日本人街にある、いかにも中国風のお寺「金山寺」。


 周囲には軒に提灯を下げ、一目で中国風と分かるお店。 そして一部には、植民地時代のフランス風の建物が並ぶ。

 幸いにもベトナム戦争で破壊されることも無く、世界遺産に登録されることに。
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by t_ichib | 2009-01-24 18:49 | 今日もまた旅の空
ベトナム③ 物価、安~い!
 1月17日 ホーチミン廟-文廟-旧市街散策-ダナン


 今年の旧正月は1月26日ということ。 ベトナムでは金柑や桃の花を飾る。
 国道沿いにはその花や木の市場が開かれる。 荷台に金柑の鉢をくくりつけたバイクを何台も見かけた。

f0066555_1445330.jpgf0066555_1451676.jpg
 私たちが宿泊したホテルのロビーも、この通りすっかり飾り付けを終え、新年の客を待つ。


f0066555_1493557.jpg 今日がハノイの最終日。

 ベトナム社会主義共和国の指導者、ホーチミン主席の廟。

 廟の中は撮影禁止でした。 廟の前は広い道路。 一般の車の出入りは制限されているので、広場のようになっている。

 学生時代、銃や竹槍しか持っていなそうな北ベトナムに対し、アメリカが圧倒的な軍事力で爆撃したことに怒りを覚え、「ベトナム侵略反対」のデモに参加したことなど、懐かしく思い出した。

 今回の旅行のガイドさん達(ハノイ、ダナン、ホーチミン)は皆、ベトナム戦争終結後の生まれ。
 ベトナム戦争は実体験ではなく、学校で習う歴史の一つ。



f0066555_14315942.jpg ホーチミン廟からはそのまま徒歩で、一柱寺へ。

 元々は11世紀に建てられた仏教の寺。 1955年に再建、現在の柱はコンクリート製。


 今度は車で文廟に移動。

f0066555_1441322.jpg 孔子を祭る廟は中国・台湾・日本にもあるが、ベトナムでは「文廟」と呼ばれ学問全般を祭る。
 ベトナム最古の大学跡でもある。

 中はかなり広くいくつかの庭園があり、一番奥に孔子の像が祭られている。 左右に孟子・老子の像も。


f0066555_1452176.jpg 入口から2つ目か3つ目かの庭園の左右に、このような建物が並ぶ。

 ベトナムでも中国と同様に「科挙」制度があり、その成績優秀者の名がこの石碑に刻まれる。

 一つ一つの石碑は大きな亀の背に載る。 この亀の頭をなでると、「頭が良くなる」といわれ多くの受験生などがなでるのか、亀の頭はピカピカ光っている。



f0066555_1522628.jpg ハノイ観光の最後に旧市街を散策。

 このような市場は車の移動中に各地で見かけたが、ここは市内なので規模が大きい。
 魚・野菜・お肉・雑貨… 何でも揃っている。
 日本では、スーパーに取って代わられ見かけなくなったが。
 驚いたことに、この通路をバイクで買い物をする人も。


 ハノイの観光を終え、ダナンへは飛行機での移動。
 旧正月までまだ10日近くもあるのに、ハノイから地方へ帰省する人で空港はごった返し。

 荷物の中には、南の方では暖かすぎて咲かないと言われる桃の花を手にする人たちも多い。
 もちろんダンボール梱包されたたくさんのお土産も。



 ダナン空港では次のガイドさんの出迎えを受け、ホテルへ。
 今日の夕食はツアーに含まれていないので、外食することに。 この時までベトナムの通貨は持っていなかったので、両替を依頼。
 とりあえず4000円分。 ガイドさんも「それだけ有れば十分」と。

      4,000円 = 720,000ドン

 「ちゃんと注文できるかな?」と、ベトナムでの初体験に少々ビビリながら街中へ。
 教えられた方向には、表の道路にまで机・イスを並べた屋台。 ちょっと躊躇を覚え、かなり歩いてもう少しマシなお店に。

 注文は身振り手振りで、この店のお勧め。 「どんなの?」と訊くと、隣の人の食べているものを指差す。 Buncha Hanoi というものらしい。
 スープにベトナムの麺や野菜をつけて食べる。

 料金は1人20,000ドン。 0の数の多さに「そんなに高いの!」とためらうが、冷静に計算すると、なんとたった110円。
 小さな雑貨屋でミネラルウォータを買う。
 4,000ドン。 別の店では3,000ドンだった。 それぞれ22円、17円。


f0066555_1536797.jpg お腹も良くなったので、ユッタリとした気分で夜のダナンを散策。

 椰子の木の並木の向うは海。 手前のレンガが敷き詰められた広場では、夕食後に集まった子供たちがサッカーに興じていた。
 ベトナムで一番の人気スポーツはサッカー。 そういえば、飛行場の待合室のテレビの前には人だかりがしていた。
 ガイドさんも「〇〇に勝った」と、喜んでいたっけ。
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by t_ichib | 2009-01-24 15:57 | 今日もまた旅の空
ベトナム② しつこくバイクの話を
 1月16日 ハロン湾クルーズ-ハロン鍾乳洞-水上人形劇


f0066555_21315458.jpg 昨夜はホテルのごく周辺さえ見回っていない。 ガイドさんが迎えに来るのを待つ間に、ホテル周辺を歩いて見る。

 写真の黒いスダレ状のもの。 昨日から気になっていたので、ガイドさんに聞くと電気配線とのこと。
 ベトナムでは変圧器などから、店舗・家庭へ個別に何十本のケーブルとなって配線されている。
 チョットした驚きと、資源と電力のロスになるのではという疑問から写真を撮ってみた。


 2日目の観光のメインは、世界遺産のハロン湾クルーズ。

 ハノイから船着場のあるバイチャイまでは、往復では7時間。 かなりのドライブとなる。
 昨日も言ったが、市街地ではバイクが片側2車線を占領しているので、車は思うように走れない。 というか、強引に割り込むバイクの方がずっと早い。

 少し郊外になるとバイクの数も減り、市街地のノロノロ運転のうっぷんを晴らすように、私たちの乗った車はカミカゼ運転。
 今度は逆に道路わきを走るバイクに対して、「どけ、どけ」と警笛を鳴らしっぱなし。


f0066555_2293489.jpg 港にはこのような遊覧船が何十艘も。
 私たちなどは別の船の中を通り抜け、目的の船に乗るほどの混雑ぶり。

 ただし、船内は6人掛けの机に2人づつ10組が腰を降ろす。 それでもガイドさんは「今日は賑やか」と言うほど。
 昼食つきの観光船なので、これくらいがちょうどいいのかも。



f0066555_22161657.jpg ハロン湾は「海の桂林」とも言われる。
 この日は朝のうちは少しモヤが多く、まさに水墨画の風景。

 観光船は途中で魚の生簀のある艀で休憩。 生簀の中にはさまざまな魚、なんとカブトガニまで。
 そこで買ったエビなどは船で調理もしてくれる。


f0066555_22574287.jpg 風光明媚な島影から小船が何艘かやってくる。
 実はこの近くに住む人たちで、観光船の窓ごしに声を掛け果物などを売る。

 ベトナムではお土産屋などでも、他の国のように店員がくっついて離れないなどの「しつこさ」はない。 あるいは客の買う気が無いことへの見極めがいいのか。
 この船の人たちもたいへん見極めが良かった。


f0066555_23203692.jpg 島々の一つにある鍾乳洞にも立ち寄る。

 さまざまに色にライトアップされ肉眼ではきれいに見えたが、写真では少し毒々しく見えるのが残念。
 この鍾乳洞は上から滴り落ちる水が無く、すでに鍾乳石が形成される時期が終わっているらしい。



 ハロン湾クルーズを終えると、再び3時間半をかけハノイに戻る。
 道中が長いので、車の中から目にすることをきっかけに、ベトナムのいろんなことを知る。 中には目からウロコのことも。

 渋滞のことから、「明日からは少しマシになる。 大学生が旧正月の休暇に入るから…」とかの話になる。
 小中学校は義務教育で無料。 校舎・教師の数が足りなく、子供は午前か午後のどちらかだけ通う。
 経済の好転と共に大学の進学率も高くなり、50%くらい。 都市部では70%くらいになる。


 かなり整備された有料道路もある。 料金所は車の左側。 で、「ベトナムでは左ハンドルの車しか認められていないのか?」と訊くと、「その通り、ラオスなどから国境を越えてくるバスツアーは、別のバスに乗り換えなければならない」と。

 その有料道路も、バイクは無料。 料金所の横をスイスイ通り抜ける。
 バイクは日本のホンダが人気。 ある駐車場で数えたら、8割がホンダ、残りもヤマハ・スズキなど日本車が優勢。
 乗用車はやはりトヨタ。 ホンダ・スズキやフォードも人気。 韓国のKIAも。


f0066555_0131478.jpg ハノイに戻り、夕食後は水上人形劇へ。

 舞台左側では民族音楽の演奏。
 そして人形は(最後になってわかったのだが)、舞台に下がった簾の後から操作する。

 棹の先に人形が付けられ、回転したり、腕を上下させたりの動作はロープを引くなどしているのだろうか。

f0066555_023581.jpgf0066555_0241871.jpg
 仕掛けが分かっても、人形の素早い動き、水が吹き出したりの細かい工夫に驚く。
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by t_ichib | 2009-01-23 22:17 | 今日もまた旅の空
ベトナム ① すごい交通渋滞
 1月15日 中部空港-ハノイ空港-バッチャン(陶器の村)

 10:35にセントレアを出発。 現地時間14:18(時差2時間)にハノイ空港着。 気温は20℃を超える。 当然日本で着ていたダウンのコートは荷物の中へ。

 入国審査も実に厳重なため、長蛇の列。 さらに機内に預けた荷物がなかなか出てこない。 国際空港というのに、荷物が出てくるラインが1つしかない。
 私たちが着いたときには、少なくとももう1機の到着便があった。 そして、旧正月をベトナム国内で迎える海外からの帰国者が多い。 そのお土産の荷物もすごい量。

 ようやく荷物を受け取り、現地ガイドさんの出迎えを受けたのは、到着から1時間20分。 疲れた。
 以前アンコールワットでもそうだったが、私たち2人にガイドと運転手の2人。


f0066555_15251781.jpg 空港を出ると、いきなりものすごい数のバイクの列。
 そして交通マナーも悪い。 横断歩道を歩行者が渡っていても、強引に突っ込んでくる。

 車のすぐ前を右折左折のバイクが横切る。 信号の無い交差点での光景は本当に恐い。

 前を行く車に「そこどけ、そこどけ」って、感じでコンマ何秒か毎に警笛を鳴らす。 日本だったらひんしゅくモノ。


 今日の観光は1ヶ所のみ。 日本人に人気の陶器の村、バッチャンへ。
 空港を出てすぐの有料道路こそ快適だったが、バッチャンに向うホン川沿いの土手の道は、舗装もじゅうぶんでなく土ぼこりが舞い上がる。


f0066555_16122582.jpg 海外に来て陶器のお土産などタイヘンと思うのだが、先ほども言ったようにここが日本人に好評なんだそうだ。
 もう少し北では、中国人に好まれる模様、そして大きな物が多いとか。

 地元の買い物客も、バイクや自転車の左右に大きな壺をくくり付けて走る。



f0066555_16251946.jpg 案内されたお土産屋さん。
 1、2階がお店。 3、4階に陶器を焼く窯、絵付けをする工房など。

 日本人客相手のお店だから当然だが、店員さんは日本語が上手。
 言葉巧みに勧められるが、やはり陶器では重いし…



f0066555_16334821.jpg バッチャンはハノイからは車で40分ほど離れた田舎。
 それでも店先をたくさんのバイクが通る。

 ここで、そのバイクの列を縫って通りを渡る練習。
 写真で見るとそれほどでもないが、私が渡った時はもう少し多く、渡るタイミングが難しかった。

 この後、水牛の曳く車に乗ってこの通りを散策。


f0066555_1647823.jpg 観光を終え、案内された夕食のベトナム料理のお店。
 最初に並べられたスープと前菜。 ベトナムの食事はボリュームがすごい。

 そして、お皿に添えられた手の込んだ飾り。 左の真っ赤なバラはカブ、右はトマトで作られている。

 ベトナムの飲食店では、飲み物は有料。 このお店の緑茶は1.5$。 でもおいしかった。


 ホテル到着は19:30と早かったのだが、疲れて早寝することに。
 部屋の中まで、街を通る車やバイクの警笛がひっきりなしに聞こえる。 それをものともせずに眠れたのは、長旅のおかげ。
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by t_ichib | 2009-01-23 17:18 | 今日もまた旅の空
初雪。 成人の日
 例年になく雪が降るのが遅い。 …やっと降った。

 1月11日。 朝起きると、真っ白な銀世界 黒い中に何やら白いものが。 あっけなく8時過ぎには消えてしまった。
 我が家は山すそから1Kmも離れていない。 もう500mも離れた所では、始めから「積もりもしなかったのでは?」と思っていたら、

 1月12日。 昨日の言い訳のようにもう少しだけ積もった。 それでも白い中に、黒い地肌が見える。 そして、9時くらいまでの命。

 1月13日。 起きた時は雪がなかったのに8時近くになって降り始め、見る間に真っ白な世界が出現。 夕方、「7Cmの積雪」とのニュースを聞く頃には、すっかり消えてしまったが。


 最近は雪の量が少ない。
 すっかり埋まってしまった車を雪中から掘り起こして、出勤したこと。 学校に通う子供たちのため、早朝近所の人たちと雪かきをしたこと。
 大変だったけど懐かしく、(雪が積もらなくなったことを)どうして?と思う。


 その初雪の降った11日は、各地で消防の出初式。 翌12日は、成人の日。
 ひところ、眉をひそめた新成人の(一部の)バカ騒ぎのニュースはなく、代わりに表情を引き締めた新成人の「2年後には就職なので…」とのコメントなど。

 大変な時代に生きている。 それを実感していることが、その表情から伝わってくる。


 雪は少ないが、冷え込みは今の時代のように厳しい。 ・・・明日から少し暖かいところへ出かけてきます。
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by t_ichib | 2009-01-14 10:30
そんなに邪険にしなくても…
 年末から帰省していた息子を、3日に京都の下宿に送り届け、その後、妻の実家にのんびり2泊。 さらに家へ帰った私たちの元に、孫娘2人を連れた娘が1泊。
 今日からはようやく、我が家に静けさと寂しさが戻ってきた。


 この春には大学院を終了し、社会人になる息子。 今は「この会社を選んだことが、本当に良かったんだろうか?」と、少しブルーな気持ちになっているが、6年前に京都に送り出した頃と比べ、ずいぶん大人になったと満足もし、離れて暮らしているのをもどかしく思うことも。


 昨日までいた春音は、保育園でもらった「3ヒントクイズ」を持参。 私たちを遊んでくれる。
 「パンダです」「赤い服を着ています」「ブランコに乗っています」の3つのヒントで絵札を取るもの。

 「読むのは私」ともうすぐ4才になる春音が、突っかえ突っ返しながら読む。


 もう一つ得意なのが、同じ絵札を使った「神経衰弱」。 3枚づつ絵札をめくり、同じ動物が2枚揃えば取れる。

 「特別ルール」があり、春音だけは同じ絵札がそろえば、もう3枚めくることができる。 どんなに大人ががんばっても、前半のリードを後半に逆転されてしまう。


 そうして楽しそうにしているのを見ると、彩乃はじっとしておられない。 床を這ってきて絵札に手を伸ばす。
 春音はそれを取り上げ、絵札からブロックする。 …そのやり方が荒っぽい。 体を抱きかかえひっくり返す。
 見ている私たちはヒヤヒヤ。


 娘の家ではそれが日常茶飯事らしい。 春音がおもちゃで遊んでいると、彩乃が手を出そうとする。 それを無慈悲に取り上げる。
 自分が遊んでいないおもちゃであろうと。

 8才も年の離れた我が家の姉弟では記憶にないが、親の目から隠れてつねっていたのかも。


 せめて、これからも揉まれて育つ彩乃が、たくましく育ってくれるように。
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by t_ichib | 2009-01-08 11:32 | 今日もまたジジ馬鹿・親ばか
明けましておめでとうございます
 昨年のお正月は啄木の歌にあるような「朝晴れて風なし」だったが、うって変わって今年はやや風も強く寒い正月を迎えた。

 それでも、わが家では帰省中の息子に加え、お昼には娘夫婦が顔を出し、フルメンバーが揃ったうれしいお正月。
 彩乃は出産の時以来だから、ほとんど初対面の「オジサン」にさっそく「人見知り」。 母親の手を離れるとわざわざそちらを見ては、盛大に無く。
 泣かれて戸惑う息子の顔を眺めるのも、家族全員が揃ったお正月の楽しみ。


 早朝に届いた年賀状に、旧友の近況を知るのもお正月らしい楽しみ。

 その中の1通。 「小学2年生くらいの男の子に席を譲られました」との、初体験を書いてきていた。
 思わず「フフフ」と笑ってしまう。 その友人は20代の学生時代から、私たちから見ても同級生とは思えないほど、「オッサン」の雰囲気もあった。

 とはいえ、普段はバス・電車を利用しない私。 実際に席を譲られたらどうするだろうか。 なんか、うろたえてしまいそう。

 友人は席を譲ってくれる心優しい子供に出会ったことがうれしくて、私たちに報告してきたんだろう。
 合わせて、お互いにそういう経験をする年令になったんだから、「うろたえることのないよう」心の準備をしておけと伝えてきたのかもしれない。


 最後になりましたが、最近はブログの更新もなかなかできていませんが、今年もよろしくお願いします。
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by t_ichib | 2009-01-01 16:25