<   2010年 10月 ( 18 )   > この月の画像一覧
メキシコ旅行⑥ 今日はのんびりと…
 最終日の今日は1日のんびりと。
 実は、出発までの半日のオプションツアーがあり、半数ほどはそちらに参加した。

 行かなかった人の理由を聞くと、ホテルのチェックアウトが午後1時までなので、「帰国の荷物詰めが忙しい」、「熱いので、出発前にシャワー・着替えをしたい」、「きれいな所なので、のんびり散歩でもしたい」と、私たちとほぼ同様。


 メキシコのリゾート地は、プレスリーの映画時代からアカプルコが有名だが、最近はカンクンを訪れる人も多い。
 日本の新婚さん?の何組かにも会った。

f0066555_9502028.jpg カンクンは、1970年にメキシコ政府がここをリゾート地として開発。 政府の規制もあるので、海水の透明度などすごくきれいだ。

 ホテルの部屋から、朝焼けの海を撮ってみた。
 ちょっと遅かったが、雲がピンクに染まっているのが分かる。



f0066555_10104467.jpg ゆっくりの朝食をとってから、おもむろに散歩に出る。 ツアーに参加しなかった人の行動パターンは同じなのか、ホテルのレストラン・町のお土産屋・街中などで何度も遭遇する。

 カンクンは遺跡からも近いので、お土産屋さんもこんな茅葺きのお店もある。


 カンクンのホテル街は、陸地から広いうち海を挟んだ砂州のような狭い土地に集中する。
 市民が利用するスーパーなどは、バスで10分ほどの陸地側まで行かなければならない。
 ホテル周辺にもお土産屋はあるが、少し高め。 本格的にショッピングを楽しむには、そちらまで足を伸ばさなければならないが、出かけた人がいたかどうか?

 最も優雅に過ごした人は、水着を買って泳いだという。 水が本当にきれいだからなぁ。



f0066555_1016591.jpg カンクンからメキシコシティへは2時間30分、国際線に乗り換え3時間40分で一度ティファナに着く。
 ここで乗務員の入れ替え等があり、機内で待機する。

 この先さらに13時間。 往路に比べると、カンクンからの6時間ほどが長くつらい。


 メキシコの夏時間は10月最後の日曜日に終わる。
 ティファナを離陸してまもなく、午前2時を午前1時に戻す。 飛行機を降りた先は日本時間、時計の針を戻す人も、カウントダウンの声もなかった。 (初めての経験なのに…)


 さらにこの先のどこかで、日付変更線を通過する。 機内で1回寝るだけなのに、日付が2日も進んでいる。 なんだか損をしたような。

f0066555_8151995.gif



 私たちがウシュマル・チチェンイツァなどにいる間に、日本列島を台風14号が通り過ぎた。
 帰国日に重ならなかったのは、ラッキーだった。 台風一過の晴天とはならなかったが。


 成田からは、国内線で中部空港に向かう。

 眼下に富士山の姿が見えてくる。 今まで何度かこの上空を飛んだはずなのに、気がつかなかったのが、飛行ルートが微妙に違ったのか、初めての上空からの富士

f0066555_10445511.jpg
 ちょっと雲が多かったのが、本当に残念…
[PR]
by t_ichib | 2010-10-30 08:13 | 今日もまた旅の空
メキシコ旅行⑤ 血なまぐさい話ばかり…
 メリダは1泊だけのホテル、朝食を済ませると早々に出発。 遺跡の観光をしつつ、最後の宿泊地カンクンに向かう。


 昨日と同様に荒地の中の国道・高速道路を1時間ほど進み、ユカタン半島最大のマヤ遺跡、世界遺産:チチェン・イツァに到着。


 遺跡の中に入り、たくさんの土産物屋の間を通る。
 本当は遺跡の中での物売りは禁止されている。 そんなにしつこくもなく、あまり苦にならなかったが、確かにウシュマルなどでは節度を守り、中まで入ってはいなかった。


 その通路を、中ほどから右方向に曲がる。

f0066555_14382278.jpg 高僧の墓
 これも後世に勝手に付けられた名だが、貴重な宝物がそこから発見されてもいるらしい。

 発見時には原型をとどめないほどに崩壊していたが、修復が完了し美しい姿を見ることができる。

 階段の一番下には、後で見るカスティーヨと同様に大蛇の彫刻がある。


 さらに奥へと進む。

f0066555_14492465.jpg 天文台
 マヤ文明は、数学・暦・天文に優れていた。
 レンズなどのない時代、肉眼で太陽・月・星の運行を観測していた。

 春分・秋分の日没を正確に観測できる窓があるなど、天文のレベルは高かった。

 1年が365.24日になることも知っていた。 彼らの暦は20日×18ヶ月+5日、最後の5日は「不吉な日」とされる。


 その道の突き当たりまで進む。

f0066555_14573691.jpg 尼僧院
 同名のウシュマル遺跡と同様、後世に付けられた名。
 何のための建物だったかは不明という。

 この奥にも、修復中と思われる崩れた石積みがあり、新たな発見もあるだろうし、この遺跡の規模はもっと広がっていくことだろう。



 そこからは、先ほど右に曲がった場所まで同じ道を引き返す。

f0066555_1459508.jpg カスティーヨ

 この遺跡中の最大の建造物、4面すべてに91段の階段が設けられている。
 最上段の祭壇の1段を加えると(91×4+1)365となり、1年の日数となる。

 そのため、別名を「暦のピラミッド」ともいわれる。

 このピラミッドはククルカンと呼ばれる羽毛を持つ蛇(=マヤの最高神)を祀る。


f0066555_1551146.jpg 4面の階段のうち、北側にはその大蛇の彫刻がある。

 年2回、春分・秋分の日没時には、太陽の光が石段の影を落とし、大蛇の首から斜め上へとうごめく胴体のように見える。
 その日には、特に大勢の観光客がここを訪れる。

 カスティーヨの台座は東西南北からわずかにずらし、ぴったり春分・秋分の日に蛇の胴体が現れるよう計算されているというのだから、彼らの暦・天文に関する知識はすごい。

 以前の写真を見ると、カスティーヨに観光客が登っている姿が見られたが、現在では禁止されている。


 神殿の北側には大きな広場がある。 当時もすでにククルカンの出現を、大勢の人々が固唾を呑んで見守ったのだろうか?

 その広場の奥には

f0066555_1585017.jpg 戦士の神殿
 神殿の前には角柱が並び、それぞれに戦士の像が彫刻されてる。

 右側にはたくさんの丸い柱が整然と並ぶ。 当時はこの上に屋根が載り、王の宮殿へと続く通路になっていた。

 この神殿にはいけにえの心臓が捧げられたという。



 血なまぐさい話が続くが、この広場の別の一角には

f0066555_1517369.jpg ツォンパトリ
 この基壇の石一つ一つに骸骨の彫刻がある。

 この檀はいけにえになった人の頭蓋骨を並べておくものだった。

 何故これほどまでいけにえが必要だったのか? それは、豊作と太陽の復活を祈る儀式だったといわれている。


f0066555_15195490.jpg 球戯場
 同じようなものをウシュマルでも見たが、ここのものはずいぶん高いところにある。
 腰でボールを打ち、石の輪に通す。(手は使えない)

 実は、これもいけにえの儀式と関係があり、勝ったチームの選手の首が切られ、いけにえとして捧げられたという。 (負けたチームとも)

 ずいぶん残酷な話だが、証拠となる彫刻まで残されている。


f0066555_15331899.jpg さらにはこの広場からず~っと奥に、セノーテ(聖なる泉)と呼ばれる池がある。

  雨の少ないこの地方だから、「聖なる泉」と呼ばれるのかと思っていが、やはり血なまぐさい話になる。
 雨乞いの儀式として、いけにえや財宝がこの泉に投げ込まれたという。
 実際にアメリカの探検家により、この泉の底からたくさんの人骨や財宝が発見されている。




 チチェン・イツァの観光を終え、そこから70kmほど離れた、少し規模の小さいエク・バラム遺跡に向かう。

f0066555_15353916.jpg 遺跡に入りすぐに目にするのは、茅葺きの小さな家。

 貴族の立派な石造りの家ばかり見てきたが、庶民はこのような茅葺きの家に住んでいたようである。
 ユカタン半島を走行中に、マヤの末裔らしき人々の集落の屋根も、こんな茅葺きだった。


f0066555_15383869.jpgアクロポリス

  この遺跡が発見されたのは1997年のこと。
 ガイドさんが始めてここに来た時はこんな風ではなく、藪に覆われていた。
 といって、左右のこんもりとした樹木の生い茂る小山を指差す。

 つまり、ここにはもう2つこんな神殿があるという。



f0066555_15235040.jpg 写真では大したようにも見えないが、階段は100段ほどある。

 上から見下ろすとこんな風となる。

 テオティワカンやウシュマルでしっかり登ってきたからと、ここでは登らなかった人も何人もいた。

 下に見える樹木の左右が、次の発掘対象になる。


 2つの遺跡を終え、カンクンへ。 最後の夕食は日本食、急に我が家へ帰るのが待ち遠しくなった。
[PR]
by t_ichib | 2010-10-29 14:35 | 今日もまた旅の空
メキシコ旅行④ 魔法使い? イグアナ? 尼僧?
 メキシコ4日目は3連泊のメキシコシティを離れ、メリダに向かう。 広い国なので、国内の移動も飛行機を使う。

 メキシコシティは高地になので朝夕はちょっと肌寒い。 到着したメリダはほとんど平地で、空港に着いた途端にその暑さに驚く。
 ゆっくりの出発だったので、到着時間が午後1時過ぎだったこともあるが、日本の9月前半までの猛暑を思い出し、観光をする前からぐったりしてしまう。


 出迎えてくれたガイドは、メキシコ人と結婚し1児の母である日本女性。
 案内してくれるユカタン半島の地図、マヤ文明や遺跡などの簡単な図表を持参し、予備知識を与えてくれたのはありがたかった。 (手作り)

 案内の合間に、去年の新型インフルエンザ時のことを話してくれる。
 発祥地とされるメキシコのガイド業はさっぱり、その期間は他にすることもなく、子供をつれて日本へ里帰りしていたという。



 世界の4大文明が興った理由の一つに大河の存在があげられている。 洪水の繰り返しによる肥沃な大地が、文明と繁栄をもたらした。

 しかし、ユカタン半島には川がない。 平らな石灰岩の上に開けた広大な土地で、所々に豊かな土の盛り上がった土地がある。


f0066555_9474936.jpg その一つが、世界遺産:ウシュマル遺跡だが、川がないから水不足に悩まされる。

 そのため地下に雨水を貯めた。 写真はその取入れ口の一つ、もっと小規模なものがいくつもあり、全体で3万だか30万トンだったとかの説明を受けた。



f0066555_9504465.jpg 魔法使いのピラミッド
 数年前まではこの階段を登ることができたが、今は禁止されている。
 急勾配で、手すりもなく、途中に小休止する所もない。 つまり危険だからというのが、禁止された理由だという。

 上のほうにいる人が倒れたら、将棋倒しで…と、 想像するだけで怖い。
 登れないことを残念がるより、美しい形なので下から見上げるだけで満足。


f0066555_9552081.jpg 遺跡で最初に私たちを迎えてくれたのは、このイグアナ

 「あまり近づくと逃げる!」と、遠くから一斉にシャッターを押す。
 1匹見つけるたび大騒ぎ。 が、その後も続々と姿を現し、誰も何も言わなくなる。

 ここだけではなく、他の遺跡にもいたるところで見かける。 ガイドさんの家の庭にも出没するという。
 ひなたぼっこしている様はユニークでかわいい。


f0066555_9595946.jpg 尼僧院
 スペイン人は尼僧院とイメージしたが、実際には支配者の宮殿だった。

 矩形の庭園を囲むように建物があり、その最も高いところから庭園・左右の回廊部分・入り口を見下ろす。
 幾何学模様や動物の彫刻が美しい。 マヤの時代は鉄器が使用されておらず、黒曜石など硬い石で刻んだとされる。


f0066555_102625.jpg 大ピラミッド
 あまり近くで撮ったので、全体が分かりにくい。

 名前は大がつくが、「魔法使い」が36m、「大」は30mとかなり低い。
 見た目にも危険そうでもなく、禁止されてもいないので全員が登る。

 遺跡全体が平地で、ピラミッド自体が小高いところにあり、上からの眺めはさえぎるものがない。
 ぐるっと360度を見渡せ、ジャングルのような木々・遺跡の他の建物が一望でき、気分は爽快。


f0066555_10105972.jpg その大ピラミッドから見下ろした総督の館

 すっきりした均整の取れた建物ので、遠くからでも壁面の幾何学模様が見られます。
 ネーミングはやはり後世のもので、ガイドからも何のためのものか聞かなかったような。

 以前調査隊がここに宿泊したというが、現在はもちろん立ち入り禁止。


 ウシュマル遺跡から18kmはなれたカバー遺跡へ移動
 その間は、というよりユカタン半島全体がそうだったが、高速道路や国道がまっすぐ通り、その両側は雑木が茂る。
 つまり、移動中は集落や建物など見るべきものもなく、睡眠にいそしめる。

 ガイドの説明どおり、半島全体が肥沃な土地でもなく、また国土が広いのでこんなところまで、開墾を進める必要がないのか?


f0066555_10172891.jpg ウシュマル遺跡に比べ小規模な遺跡で、ここの中心はコズ・ホープと呼ばれる建物。

 その正面の壁をぎっしりと覆いつくすのが、「雨の神」の顔。

f0066555_10183873.jpg

 上下左右にぎっしりと並ぶので最初は見分かられなくて、「丸く2つ並んだのが目、四角い突き出たのが鼻」とガイドに教えてもらう。


 空港に着いたのが遅かったので、メリダの町に着いた頃には夕暮れ時になっていた。

f0066555_10231713.jpg オーラン病院にある野口英世博士の銅像
 博士はこの地で、黄熱病の研究をした。
 現地ではあまり知られていなくて、この銅像の写真を撮るのは日本人観光客だけだとか。

 ただ、この近くに博士の名が付いた研究所だかがあって、医学を志す人には無名ではないと思い、少しほっとする。


f0066555_1025059.jpg メリダのソカロ
 あまり大きな広場でもなかったが、周りには「征服者モンテホの家」、大聖堂などがある。

 少し暗くなっていたので、そちらよりはこちらを。
 きれいにライトアップされた市庁舎

 メキシコ大学の時に触れたが、1810年(独立運動の発祥)、1910年(メキシコ革命)から200年・100年になるので、メキシコ全体でお祝いのイベントがあった。
 イルミネーションは、緑・白・赤と鷲のメキシコ国旗をイメージ化したもの。
[PR]
by t_ichib | 2010-10-28 09:43 | 今日もまた旅の空
メキシコ旅行③ 観光地にも搾取の跡が
 昨日は書き漏らしてしまったが、メキシコシティの歴史地区とテオティワカン遺跡の2つは世界遺産となっている。
 今日も2つの世界遺産を訪れる予定。


f0066555_22284893.jpg オリンピックスタジアム
 日本は体操・レスリング・重量挙げで金、男女のバレーボール・マラソンで銀、サッカー・ボクシングで銅など、計25個のメダルを獲得し、国別順位は3位と好成績を収めた。

 それなのに、メキシコらしい?この壁画のスタジアムの記憶がなかった。
 それは私だけのことで、他の参加者にとっては懐かしい映像として残っていたのだろうか?


 そのすぐ隣(歩いて行ける)には、メキシコ国立自治大学がある。 1551年創立の南米第1位の評価を受け、卒業生から3人のノーベル賞受賞者を輩出する名門大学。

f0066555_22304214.jpg その中央図書館
 壁面を覆う壁画は「モザイクではない」という。
 細かく砕いた色つきのタイルを張り合わせて、モザイク画を作成する。
 しかしここでは、メキシコ各地から集められた自然の石が、この壁画に用いられている。

 この壁画は世界最大の壁画とされている。


 広いキャンパスには、このような壁画・彫刻など現代作家の芸術作品が多く、大学全体が世界遺産となっている。

f0066555_22352928.jpg 文盲の多かったメキシコでは、文字に代わり壁画により民衆に訴える壁画運動が起こった。

 総長事務棟の壁画の腕が指し示すいくつかの年号は、1810年(メキシコ独立の発端)、1910年(メキシコ革命)など重要なエポックを表わし、最後の19??年は更なる未来の改革を目指したもの。


 メキシコシティは標高2200m位の高地にあるが、そこからさらに山々を登った高地へと向かう。
 その先に待っているものは?


f0066555_22421740.jpg クエルナバカのコルテス宮殿
 アステカを滅ぼしてメキシコを征服したスペイン人のコルテスは、ここにあった神殿を破壊して宮殿を造るよう命じた。

 中央部分にこそバルコニーがあるが、全体のイメージは宮殿というより要塞。
 征服したとはいえ、常に群集の蜂起にさらされていた?


f0066555_22454616.jpg クエルナバカの大聖堂は、なんとも古色蒼然としている。

 この高地にあるたくさんの修道院群とともに世界遺産となっている。
 この時代の宣教師たちは、征服者の前にあるいは後からやってきて、民衆をキリスト教徒化し、征服・支配をしやすくした。
 と、私は思っている。 自身がカトリックだというガイドの口からではないが。
 

f0066555_22482452.jpg この大聖堂は日本と妙な縁がある。
 バテレン弾圧時代の日本に漂着し、秀吉の命により処刑された神父たちが聖人として、その受難を壁画にしている。

 その壁画は、コレラが蔓延した時代に石灰が塗られたことにより、キリストの顔などいくつもの部分が消えてしまっている。


f0066555_22494223.jpg 庭園にある十字架には、磔にされたキリストの像がない。
 征服当初の教会は現地の民衆に、キリストが処刑された事実を知られたくなかったという。

 十字架のすぐ下の不気味なドクロのマークはこの宗派のマークであり、大聖堂入り口の三角の上にも描かれている。


 そこからさらに山道を進む。

f0066555_2256976.jpg 18世紀に銀鉱山が発見され栄えた美しい町、タコス

 今も、多くの銀職人が住み、銀細工のお店が並ぶ。
 私たち一行の女性の多くも、指輪・ネックレス・ペンダントなどに熱い視線を注ぐ。


f0066555_22575475.jpg その銀の利益は計り知れないものがあったらしく、このサンタ・ブリスカ教会は銀で財を成した個人が寄付したもの。

 個人の財でできたとは思えないほど、内部の装飾は豪華。
 現地人を酷使した結果と、つい思ってしまう。


 タスコの町の道路は狭い上に、曲がりくねった急勾配の坂道。 もちろん観光バスは入ることができず、タクシーに乗って移動。

 そのタクシー、神風タクシーとしか形容しようがない。
 特に下り道がすごい。 勢いに乗ったままカーブに突っ込む。 タクシーを降りた私たち一行は、口々にその恐怖?の体験を語り合う。


f0066555_22595387.jpg このタクシーは2ドア、後部座席に乗り込むため助手席をはずしてある。

 そのドアには紐がつけられており、運転席から引っ張って閉める「自動ドア
 メキシコ人の陽気さが、乱暴な運転振りも楽しいものに変える。
 写真撮影にも快く応じてくれる。


 2箇所の観光を終え、再びメキシコシティへと3時間強の道を戻る。 今夜は良く眠れそう。
 道路はよく整備された国道で、帰り道はすでに寝付いている人も多かった。
[PR]
by t_ichib | 2010-10-27 22:23 | 今日もまた旅の空
メキシコ旅行② 太陽・サボテン・遺跡
 結局、海外からのブログ更新は1回で終わり、いつもどおり帰国してからのブログとなった。
 最初の3日間は同じホテルの連泊だったが、4、5日目は1泊づつ。 移動時間も半端でなく、その分遅い到着、早朝の出発と日程が厳しく、時間が取れなかった。


 今日26日はメキシコ観光の実質的な1日目。 昨日散策したレフォルマ通りからソカロ広場へと向かう。

 そのレフォルマ通り、実は今日の早朝にもちょっと散策、昨日の独立記念塔より先の方向へ。
 その通りには、いくつもの銅像が立ち並ぶ。 ガイドによれば多すぎて、どれが誰なのか分からないとのこと。
 ただ、唯一の日本人として野口英世博士の銅像があるそうだ。


f0066555_12251187.jpg 散策していて楽しいのは、写真のような造形作品がたくさん置かれていること。

 また、コンクリートの「橋の欄干?」のように見えるものが随所にある。
 そこで一休み、あるいは朝食のパンを食べている人もいる、
 通りに置かれたベンチだったのだ。 欄干と思ったのは背もたれ。

 レフォルマ通りは市民が散策を楽しみ憩うことができる、ちょっと贅沢な通り。



f0066555_12271928.jpg ソカロ広場にある大聖堂
 メキシコはカトリックの国なので、いたるところに教会・大聖堂があり、私たちもそのいくつかを回った。
 どこでも「帽子を取って、写真撮影はノーフラッシュで」だった。 デジカメの設定が難しく、どうしてもフラッシュを止められない人もいた。
 ワザとではないので…



f0066555_1432951.jpg ソカロとは中央広場とか言う意味らしいが、メキシコシティのソカロの正式な名は「憲法広場」という。
 すごく広く、大聖堂のほか市役所などに加え、この国立宮殿などが広場を取り囲む。
 この宮殿には大統領も住む。

 実はこのソカロ広場には、先住のアステカ民族の遺跡があったそうだが、征服したスペイン人がそれらを壊して、その石材を利用して、こうした建築物を造ったといわれる。



f0066555_14353273.jpg グァダルーベ寺院 三つの奇跡を起こしたマリア様が祀られていることで有名。

 ただし地盤沈下により教会が傾き、現在はこの建物には入れない。
 この左側に近代的な教会が立つ。 近代的過ぎて、教会とは思えない。

 ここのマリア様は、メキシコ人からもっとも愛されているマリア様だという。
 マリア様の起こした「奇跡」以外に、お顔が黒っぽく、現在のメキシコ人風だということも一因らしい。

 現在のメキシコの人口の70%は、インディオとスペインの混血だという。 そのことも一因なのか、元の征服者スペインに対する反発は少なく、むしろアメリカに対する反感が残っているという。


 ガイドの日系2世による説明を聞き、メキシコへの知識・理解が乏しかったかを思い知った。
 現在のメキシコは日本の5倍の広大な国土を持つが、米墨戦争(この戦いのことすら知らなかった)の敗戦により、カリフォルニア・テキサスなどそれ以前の国土の3分の1を失った。
 しかもそれらは後に観光都市となり、金鉱や油田の豊かな資源が発見されることになった。

 現在のメキシコも農産物を輸出し、銀などの鉱物資源も豊かな国ではある。
 原油も産出する。 しかし、原油の精製施設がなく、原油を輸出しガソリンを輸入しなければならない。


f0066555_154086.jpg メキシコシティから郊外に移動中に、車窓から見た風景がこれ。

 地方では生活できず、都市を目指し逃れてきた人々の住まい。
 一つの山を覆い尽くすほど。
 その山が埋まれば、また次の山へと。 当初は水も電気も引かれていなかっただろう?

 資源豊かでありながら、国民の大半は貧しい。
 豊かな隣国への反発は、その歴史もあり根強いものがある。



 一方、同じガイドがこんな話もしていた。
 日本人以外のガイドもする(英語で説明し、添乗員がその国の言葉で説明する)そうだが、「韓国のガイドは断っています」と。
 「Are you Japanese!」と、むき出しの反発を受けたのが、その理由。

 米墨戦争は150年前、第2次世界大戦からはたかが60年。 叩いた方は忘れても、叩かれた方は忘れない。 私たちもよくよく心しなければ…

 ただ、ガイドは「彼らの素行の悪さも原因でしたが…」とも。 「素行の悪さ」とは、朝食バイキングのパンを1個持って帰ったことくらいではなさそうだ。
 「旅の恥はかき捨て」とならぬよう、もう一つ心がけねばならぬことが。



f0066555_16185945.jpg メキシコシティから50Km北にあるテオティワカン遺跡
 「サボテンと太陽の国」というのが、ガイドブックに載るメキシコの形容詞だが、「それに遺跡も付け加えて欲しい」とも。
 遺跡を訪れるのはヨーロッパ人、中でもドイツ人が多い。
 「アメリカ人はアカプルコなど、リゾート地にしか来ない」と、日系2世ながらメキシコ人のガイドは厳しい。

 テオティワカン遺跡は紀元前2世紀に建設。 ピーク時には20万の人口があった巨大都市。
 8世紀には謎の滅亡を遂げるなど、古代史ファンにはたまらない魅力。 らしい?


f0066555_16384269.jpg 同じ遺跡にある月のピラミッド
 遺跡に関する難しい話はその場では感心して聞き入ったけれども、すでにほとんど忘れてしまって、このピラミッドに登ったことなどしか。

 わずかにピラミッドを取り囲む神殿に壁画が描かれ、その彩色の一部が残っていることや、その赤がカイガラムシをつぶした血の色であることなど。


 うかつにも、デジカメのバッテリーがここで尽き、以下は携帯電話のカメラ。 前回の九州旅行中に一度充電したきりだった。
 それでも妻の携帯は今年買い換えたばかりで、私のものより数倍は精度が高い。


f0066555_1761396.jpg 月のピラミッドから、両側に神殿跡の立ち並ぶ「死者の道」を通り、太陽のピラミッドに着く。
 「月」が42mなのに対し、「太陽」は65m。 階段が5層位に分かれていて、そのたびに小休止しながらやっと頂上にたどり着く。

 それぞれの名称は、後にここにやってきたアステカ人が大きさなどからつけたもの。
 しかしながら「月」の方が古く、周りにある神殿などからより重要視されていたとされる。



 再び同じ道をメキシコシティへと戻り、国立人類学博物館

 詳しく見て回れば「3日くらい必要」だそうで、第7室「アステカ」と第10室の「マヤ」のみを見る。

f0066555_17271647.jpg アステカの「市場のにぎわい」を立体的に見せているジオラマ。
 製作者は女性人類学者で、6人の弟子とともに3年を費やして再現した。
 左から農産物・魚介・薬・陶器・衣類等の売り買いが見られ、右端には敵国の男女が奴隷として売られているさまも。

 アステカ文明は、様々な神を刻んだ見事な石像が特徴で、さらに「太陽の石」といわれるカレンダーも有名。
 1年を365日(20日×18ヶ月+5)とするなど、文明の高さをうかがわせる。

 そのカレンダーを読み解くと、「ノストラダムス」に継ぐ2012年12月21日が、世界の週末だとする説に導かれるそうなのだが。


f0066555_1841251.jpg マヤ文明の部屋のチャックモール像
 この像は博物館以外にも、遺跡で実物を見た。 人だけではなく、ジャガーの像も。

 人の腹部・ジャガーの背などにくぼみが作られており、そこに「いけにえ」となる人間の心臓が供えられた。

 太陽の復活を願う儀式で、当初は志願者の心臓が捧げられたというが、後に多ければ多いほど良いとされ、たくさんの心臓が必要となり、志願から強制となった。
 そのことから国が衰退したとも…。


 マヤ文明は穏やかな農耕民族というように思っていたが、意外に血なまぐさい面も。
[PR]
by t_ichib | 2010-10-26 23:08 | 今日もまた旅の空
メキシコ旅行① 海外から初のインターネット
 メキシコ旅行1日目はずっと空港あるいは飛行機の中。 それが1日以上、疲れた。

 とは言っても、ホテルに着けばゆっくりできる。 …はずだったのだが、部屋に着くとまだ部屋が掃除中。 (こんなことは始めて。 他の何組かも同じ目にあっていた。)

 体を休めることができないのはちょっとつらいが、そう怒ることでもない。 恐縮したメイドさんが、しきりに謝りながら大急ぎで部屋の準備をしているのを見たら、なおさら。


 ともかく重い荷物だけは預かってもらい、待つ時間を利用して近くの散策でも。


f0066555_10275474.jpg 適当に歩き始めてしばらくの交差点で、ふと右の方を見ると噴水らしきものが。
 「行ってみよう!」とその噴水の方へ。

 後で分かったのだが、そちらは有名な「レフォルマ大通り」、噴水の上の像は「女神ディアナ」だとか。


f0066555_10301688.jpg その大通りのこちら側・向こう側にちょっと不気味な、こんな飾り物がたくさん並べてある。

 不気味と言ったがとてもカラフルで、よく見るとユーモラスでかわいい。
 たまたま出会った子供たちも大喜びで、その前でポーズを取り親たちに写真を撮ってもらっていた。


f0066555_10312124.jpg このハリボテたちは、カトリックの国メキシコの休日でもある「死者の日(11月2日)」を祝うパレードを彩る「お化けたち」らしい。

 パレードがこれから先の予定なのか、すでに終わったあとの「お化けたち」を展示しているのか、スペイン語オンチの私には分からない。

 ガイドに言わせると、「死者の日」は日本の「お盆」だという。 してみるとこの飾り物は、青森の「ねぷた」?
 大きさはねぷたの何分の一しかないが、数はすごい。 100を超えている?


f0066555_1032278.jpg 「お化け」を見ながら歩いていくと、ようやく「独立記念塔」のあたりで途切れる。

 ちゃんと事前にガイドブックで予習してあった妻は、この「塔」を一目で分かり、「女神の像の台座まで上がれる」ことなどを教えてくれる。



 海外旅行で初めてのインターネット、パスワードさえ教えてもらえば、ホテルの無線LANにアクセスできる。
 ただ、そのパスワードは1日限り、しかも午後9時前にはアクセスが切られてしまう。

 そんなことを知らないものだから、24日はお風呂に入っている間に接続が切れていた。
 翌25日は、ほとんど1日分の「ブログ完成!」という時に、アクセスできなくなり、全部がパーに。

 せっかくパソコンを持ってきたのに、1日のブログ投稿もできないのでは悔しいので、今消えたばかりの文章を思い出しては、メモ帳に保存。

 …というわけで、現地時間では27日午後8時37分、日本では28日午前10時37分にやっと1日目のブログを投稿。
[PR]
by t_ichib | 2010-10-25 10:26 | 今日もまた旅の空
メキシコ旅行(0) その前日
 明日からメキシコに出かけることになった。
 そのツアーは成田発。 中部空港から成田まではJAL便となるが、その集合時間は朝6時50分という。



 以前なら4時くらいに起きて、早朝に家を飛び出していたが、今回は空港近くのビジネスホテルに前泊することにした。
 前回のツアー参加者に、「ホテルに宿泊すると、駐車料金が10日間無料」というサービスを教えていただいたから。

 そのビジネスホテルは日曜日の宿泊代を割引しており、駐車料金より安くなる。 なんといっても早起きしなくても良い分、体がラク。



 集合は7時前だが、8:35中部発9;50成田着。 再び成田を出るのはなんと15:25。 成田での待ち時間5時間余り。
 その先は13時間のフライト、現地時間で14:20着となる。 飛行機の中で眠れないと、かなりつらい。
 だから、東方向に向かう海外旅行は少し苦手。


 不安もいっぱいだか、「どうなるかなぁ?」という期待も有る。
 海外旅行で、初めてパソコンを持って出かける。 「ちゃんとインターネットにつながるかな?」と。

 海外からのeメールや、ブログ更新を楽しみに。
[PR]
by t_ichib | 2010-10-24 20:20 | 今日もまた旅の空
収穫
 先日の九州旅行に出かけるときの一抹の不安があたって、春音が風邪をひいたようだ。

 そして昨夜から春音・彩乃の二人が我が家に来ている。
 今回は病気とかではない。 娘が急な出張に出かけ、帰りが遅くなりそうだとのこと。 そして、2人のお父さんは(ちょっと気の毒だが)、前々からの予定で「親知らずを抜く」ことになっていた。
 歯を抜いた後は、「きっと相当痛むだろうから…」保育園のお迎え・子守ができない。


 いつもどおり、夫婦2人で保育園にお迎えに行く。
 帰りの車の中は本当に賑やか。 姉の春音もそうだったが、「(言葉が出るのが)ちょっと遅い?」と思っているうちに、「洪水」みたいにしゃべる。

 2才半の子供と、普通に会話できる。 (たまについていけない時も)



 一夜明けた今朝。 昨日からの約束で、我が家のリンゴを2個だけ収穫する。

f0066555_14533051.jpg 袋がけしてあったリンゴの袋を、3日ほど前に破り太陽の光を浴びさせていた。
 心もち赤さが増しているようにも見える。

 ちょっぴり高いところになっているので、踏み台に乗っての収穫。
 その2個のリンゴをお土産に、少し前に帰っていった。

 残りのリンゴはもう少し先まで、楽しみを残しておこうと。



 この時期はもうひとつ収穫がある。

f0066555_152499.jpg 去年は不作で少なかったが、今年は80個以上。

 近くの農家の軒先には、誰からも見向きもされず熟しきった甘柿を見かける。
 渋柿だと、干し柿にして気が向いた時に食べられる。

 ただし、2人の孫娘も親たちも干し柿には見向きもしない。 …甘くておいしいのに。
[PR]
by t_ichib | 2010-10-23 15:15 | 今日もまたジジ馬鹿・親ばか
北九州・山口旅行⑨ あっという間
 9日間の旅行も今日が最終日。 飛行機の出発までの半日を残すのみ、最後の観光は志賀島(しかのしま)にした。

 福岡市内からだと、朝の渋滞もあり1時間弱かかる。 海ノ中道公園あたりまでは車の量は多かったのに、志賀島に着く頃には前後を走る車は途切れてしまうほど。


f0066555_9421258.jpg 休暇村近くの資料センターに着く。

 館内にあった志賀島の地図。
 右側の三角形の部分が「海の中道公園」があった辺り。 ここまでは交通量も多く、鉄道も通っていた。
 その先の細い砂州で島は陸続きになっているのが分かる。

 資料センターは島の左上にあり、私たちが通ってきた島の右側の道路は、途中に集落も少なく比較的に走りやすい。
 ここから先は「飛び出しがあるかもしれないので(気をつけて)」と、資料館の人の親切な注意。



 志賀島といえば、なんと言っても「漢倭奴国王」の金印。

f0066555_9552072.jpg 「金印公園」から海を見下ろす。

 江戸時代にこの近くの水田から金印が発見された。
 資料センターでその金印のレプリカを見たが、公園の中央にその形をした碑が建つ。

 発見場所は公園からちょっと奥。 広々とした水田ではなく、昔は棚田みたいなものだったんだろう。

 「なぜこんな場所に?」と言う疑問。
 有力な説は有力者の「墳墓」説。 金印はその副葬品だったと。
 博多湾を眼下に見下ろすこの場所は、お墓にふさわしく納得できる。


 最後に塩見公園展望台に登り、志賀島を後にする。
f0066555_1083673.jpg
 海の中道公園から、砂州でつながっているのが良く分かる。
 その左側が玄界灘。 右は博多湾。


 9日間、長いと思っていたが「あっという間」だった。
 何といっても、念願の関門橋を渡れたこと。 想像以上に海峡は狭く、こちらの方こそ「あっという間」に渡ってしまった。

 本州と九州とは本当に近いと。
[PR]
by t_ichib | 2010-10-15 22:41 | 今日もまた旅の空
北九州・山口旅行⑧ もっと前に来ていれば…
昨夜の宿に着いた時、宿の主人が「少し前はザーっとかなりの雨だった」と言う。 走っていた場所が違うせいで、フロントガラスがポツポツと濡れる程度だったが。


そのせいで、昨日は阿蘇の山々を見ることができなかった。

f0066555_15433379.jpg  「ラストチャンス!」と、宿からすぐ近くの「あざみ台」に上がってみる。
 結局、阿蘇は見えなかったが、反対側の山並みは見られた。 昨日はこんな近くの山さえ見えなかったのに。

 右から2番目が最も高い久住山(1,787m)



 牧ノ戸峠を越え、長者原(ちょうじゃばる)へ。

f0066555_1551759.jpg ビジターセンターで丁寧な説明を受けた後、散策コースへ。 1周50分ほど。

 係りの人の説明でも「花はねぇ…(もう遅い)」で、タデ原の湿原にも咲き遅れた2~3種類の花のみ。
 タデ原を抜けると林の道になる。 樹木の区別がつかないので、一口にドングリと言う外はないミズナラ・クヌギなどが多い。
 林を育てるため伐採してしまったので、ブナ等はほとんどないという。


 この旅行中、いくつもの橋を渡ってきたが、(関門橋には及ばないかもしれないが)大人気の橋、九重夢吊橋へ。

f0066555_16162939.jpg 高さ173m長さ390mは日本一
 当初年間2~30万人が目標だったが、10倍の300万人の観光客が入場したという。

 九重町は「平成の大合併」の中、「自立のまち」を目指している。 大きな入場料収入がその後押しになっている。

 ただし短時間の観光客が多く、いかに滞在型の観光地にしていくかが課題らしい。
 確かに、他に観光施設らしきものもなく、私たちも橋を後に曲がりくねった九酔峡の道を、次の目的地に向かった。


 慈恩の滝は駐車場も少なく、うっかりすると通り過ぎそうになる。

f0066555_16373489.jpg 上段20m、下段10mあわせて30mだが、近づきすぎると下の滝しか見えない。
 これより下がると、上を通過する道路の橋が邪魔になる。

 滝の裏側を通り一周することができる。 滝の下では岩からしたたり落ちる水のため、ほとんど走り抜けることになる。
 今年のように猛暑の夏には「お勧め」の観光ポイント。


 今日最後の観光は日田市豆田町

f0066555_165126.jpg 日田は九州の交通の要所にあったらしく、秀吉の時代にも徳川の世になってからも、天領となり栄えた。

 町並みの保存が早くから開始されたせいか、(九州の小京都として名高い竹田などより)保存区域がずいぶんと広い。

 道幅も広く整然としすぎているような気もするが、「天領」ゆえの豊かさのためかもしれない。
[PR]
by t_ichib | 2010-10-14 22:11 | 今日もまた旅の空