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今日で終わり
 今日で高速道路の「上限1000円」も終わり。 考えてみると、そんなにそのチャンスを利用してこなかった。 数えてみても、10回になるかならないか?

 当初、利用する側はありがたいと思うものの、地球環境には良くないと思ったものだ。 それでも観光地などでの経済効果、一般道路の渋滞緩和など良いこともたくさんあった。

 今回の一人旅の目的地は金沢、2~3年前にも来たことがあるが、それは能登へ出かけたついでに寄っただけ。 雨が降っていたこともあり、ほんの短時間だったし…。


 駐車場は事前にインターネットで調べた兼六園の近く。 ここは時間制でなく、1日500円の低料金。 時間を気にせずゆっくり回れる。


f0066555_13443871.jpg 重要文化財の石川門とコの字形に門を取り囲む石川櫓

 兼六園を後に回して、先に金沢城に入る。
 石川櫓は公開されており、左の櫓に入りコの字形に右の櫓へ進む。

 そこの係りのオジサンが若い女性に説明している。 「ここの柱は真四角でなく菱形になっている」と、横で聞いていた私も柱に手を触れてみる。
 86度という微妙な角度は、説明を聞いてからでないと分からない。


f0066555_1462434.jpg 石川門を入ってすぐに目に入る美しい菱櫓と土塀

 この櫓は名前に菱がついている。
 真四角より建物を菱形にした方が、侵入する敵を見張るのに都合が良い。
 建物が菱形なら、柱も当然菱形になる。 が、その技術は大変だっただろうと思う。

 左の土塀にしても、大きな石を積み上げ壁を塗った。 敵から矢・鉄砲を浴びてもビクともしない。


f0066555_1420171.jpg 重要文化財の三十軒長屋

 長屋と言っても、熊さん八つぁん住んでいたような居住のためのものではなく、武器などを収めた倉庫だった。

 建物の屋根が白く輝いて見えるのは、鉛瓦で葺かれているため。
 瓦の形の木に鉛を被せたもの。 軽く外観が美しいばかりでなく、有事の際には鉄砲の玉に利用できたという。

 お城を抜け、大手堀を見る。 廃藩置県の後、ほとんどのお堀は埋められてしまい、ここだけが残ったという。 惜しいような気もするが、そのおかげで今の金沢の発展があるのだから。


 金沢では、武家屋敷なども見たいと思っていたが、町歩きのためガイドブックを車の中へ置いてきてしまって、見つけ出すことができなかった。

 唯一、当時の家老であった邸宅の跡地を見つけた。 もちろん当時の建物はなかったのだが、「八家」と呼ばれた家老たちのそれぞれの禄高が、5万石に始まり少ない家柄でも1万石という。
 数字だけでは大名に匹敵する。 加賀百万石のすごさ!

 もう一つ出かける前には期待していた「金沢21世紀美術館」にも入ったが、私にとってはまったくの期待はずれ。


 残念だったが、コーヒーつきのランチで気を取り直して兼六園に。

f0066555_1520036.jpg 霞ヶ池徽軫(ことじ)灯籠

 園内を歩いていると「ことじ灯篭」という道しるべを目にした。 それと徽軫灯籠が結びつかなった。(まったく読めない)

 入園の際にいただいたリーフレットにも、この灯篭がメインで載っていた。
 ということは、ここが兼六園でも最も重要ポイント? 私などにとっては、どこもすばらしいに尽きる庭園だったが。


f0066555_15364670.jpg 霞ヶ池との落差を利用した噴水

 高さ3.5mに達するこの噴水は日本最古のものといわれる。

 この他にも、瓢池・翠滝や曲水と呼ばれる美しい流れもある。


f0066555_1553265.jpg そうした「水」を意識したのは、最初にこの辰巳用水を目にしたから。

 犀川から11Kmの水路で水を引き霞ヶ池に貯める。 さらに高低差を利用し、逆サイフォンの原理で道を隔てた金沢城に水を送っていた。
 1632年のこと、1年で完成したというのだからすごい技術だった。


f0066555_1655753.jpg 「ちょっといいな」と思ったのが、雁行橋と背後の七福神山の眺め

 午前中からほぼ5時間歩き詰めなので、この近くのベンチで一休み。
 この後も少し歩いては休み、また休む。 心も体も癒される。

 逆に違和感を覚えたのは、ヤマトタケルの像。 いささか巨大過ぎ?


f0066555_1616296.jpg 唐崎の松

 兼六園といえばなんと言っても、テレビや写真などで見る雪吊りの風景。

 この唐崎の松に傘のように縄が張られた光景は、「一度肉眼で見てみたい」と思いつつ、雪が怖くてなかなか出かけられない。

 この次に来るなら、是非そのシーズンに。
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by t_ichib | 2011-06-20 22:23 | 今日もまた留守にしています
岡山旅行② 後楽園・お田植え祭
 天気予報では昨日は雨、かなりの雨になる地方もあると聞き、予約した宿をキャンセルしようかとさえ思ったが、出かけてきてよかった。
 高速道路走行中は一時やや強く降ったが、目的地に着いてからは一度も降られなかった。 今日も降られずにすめば良いのだが。


 後楽園

f0066555_10284170.jpg 沢の池から望む岡山城

 後楽園にはず~っと以前に、一度は来ているはず。
 が、川の中州にあって、こんな風に岡山城が目の前に見えた記憶がない。


f0066555_1036366.jpg 唯心山から庭園を見下ろす

 日本庭園には珍しく広く芝生が張られている。 その上を歩き回って楽しむのではなく、青々とした緑を見て楽しむためか。
 左右が開けているため、通路を歩きながら園内の建物などが眺められる。


f0066555_1155458.jpg 正門を入ってすぐの延養亭

 唯心山から芝生を通して正面に見えるのが延養亭だが、これは別の角度から。
 藩主がここを訪れた時の居間として使われ、ここから沢の池、唯心山などを見渡した。

 写真の右側に能舞台や鶴鳴館。
 その鶴鳴館は現在は結婚式などに使うことができ、この日も挙式後のカップルが園内を散策しており、居合わせた人たちから暖かい拍手を受けていた。


 私が気に入った場所は、「流店」と呼ばれる藩主散策時の休憩場所。 中央に川が流れ、とても涼しげ。
 しばし、読書を楽しむ人もいた。


f0066555_1132589.jpg その流店近くの「八橋」

 数えてみると橋板の数はちょうど八つ、傍にはカキツバタが植えられている。
 「むかし男ありけり」の伊勢物語も、この時代にはすでに古典だったのだろうとの思いと、築庭を命じた藩主の遊び心に感心したり。


 お田植え祭

 園内を1時間ほど歩き回った頃、「本日年中行事の『お田植え祭り』が11時から開催…」というアナウンスが流れる。

 開催まで1時間ほどある。 待つのはつらいけど、こんな機会はめったにない。
 園内は広いのでもう一度見て回れば、そんなに退屈しない。


 予定時間より早く、井田(せいでん)に向かう牛を先頭に早乙女たちや太鼓の列に、期待と雰囲気が盛り上がる。

 雰囲気は1時間以上前から井田の前に待機するカメラマンの列や、「哲西の太鼓田植」と書かれた幟が掲げられ、すでに盛り上がっていたが。


f0066555_12572799.jpg 田植えに先立って地元の和牛による農耕の実演
 今はこんな様子は見られないが、私の地域では「代掻(しろか)き」と言っていたが、アナウンスでは「牛追い」とか言っていたような?

 50年位も昔であれば、シャッターを押す人もいないだろうが。


f0066555_13152922.jpg 「太鼓田植え保存会」の人たちの、田植え踊り?だったか。

 保存会の人の挨拶に「今年から小学生が加わりました。 見習い中です。」の言葉があり、かわいい早乙女に拍手。

 実はこのイベントが始まる前から空模様が悪くなり、この頃にはかなり雨脚が強くなってきていた。
 主催者も「田植えには絶好の天気ではございますが、皆様には…」と、一言。


f0066555_13245065.jpg 1時間も前から待機するカメラマンたちは、不思議なことに井田の一角にだけ揃って陣取る。
 私は「見えればどこでも良い」と、人ごみの少ない所で待っていたが、そこでは早乙女の後姿しか見えない。
 カメラマンたちが陣取ったのは、早乙女の真正面の特等席。

 田植えは単調でつらい作業なので、「太鼓田植え」の太鼓は変化をつけ単調さを軽減するものだそうだ。

 上の写真は、大急ぎで場所を移動しカメラだけを差し込んで顔が見れる位置からのもの。
 最初は真横だったが、田植えが進むにつれ早乙女の顔の写る位置まで下がる。 もっと待っていればよく見えたのだが、雨がかなり本格的に降ってきたので。


 時間的にも、内容的にも観光地2つ分を回ったような気になり、満足して帰路に着く。
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by t_ichib | 2011-06-14 13:49 | 今日もまた旅の空
岡山旅行① 2つのふるさと村
 月末の30日まで一人暮らしの25日間、ぽつねんと家の中にこもりっきりと言うのも、精神衛生上良くない。
 というのが思い立って出かけた一番の理由だが、加えて「高速料金上限1000円」が6月19日で終了するというのが大きい。

 行く先は「1泊で出かけられそうな所」と思案した結果、エイヤッと岡山に決めた。


 吹屋ふるさと村

 いつもどおり事前の予習もなく、カーナビに任せて走り出す。
 中央道に入ってすぐに「20Kmの渋滞」に遭遇しグッタリな上に、ふるさと村手前では延々と続く細い山道。
 対向車が来たら擦れ違えないほどの狭い道では、何度か引き返したくなった。


f0066555_16356100.jpg このあたりは江戸時代から明治にかけ銅山として栄え、江戸後期からはベンガラの生産でも栄えた。
 繁栄した町が互いに豪華さを競うのではなく、石州瓦・ベンガラで塗装した格子窓などで、統一の取れた町並みが築かれたという。

 建物の壁が少し赤いのは、土にベンガラを混ぜて塗ったという。 落ち着いた上品な色合いとなっている。


f0066555_171423.jpg 現在は郷土館となって公開されている片山家分家
 こちらは白壁だが、格子はベンガラ色。

 片山本家も郷土館と共通券で入場でき、通りに面した店舗兼母屋、それに続くベンガラ蔵・仕事場など、かなり広い。

 2階が住居となっているが、興味深く「?」と思ったのは当主の間。 家の中で最も高い3階となっており、お城で言えば天守閣なのだろうが、天井が低く床は板敷き。
 「屋根裏部屋」? 手前の「後継者の部屋」の方がずっと立派に思えた。

 帰りは細い道はこりごりなので、郷土館の受付で聞くと親切に教えていただけた上、ふるさと村の他の見所も紹介していただけた。


 石火矢町ふるさと村

 次に向かったのは、高梁市の中心にある「石火矢町ふるさと村」。 平成の大合併で吹屋も高梁市となったが、カーナビには35Km・約1時間の距離と出た。

 武家屋敷近くまで来ると、高梁川沿いに巡らされた白い土塀が美しい。 城下町の雰囲気を感じさせられるが、近年になって築かれたものだという。
 それでも私には「こんな風景、どこかで見たことがある」と、なつかしく思える。


f0066555_1746137.jpg 武家屋敷・折井家の長屋門

 折井家は160石、馬廻り役というから上級下位の武士だった。
 長屋門の右に中間部屋、左に馬屋(現在は資料の展示室)を持ち、騎乗が許されていた家柄と思える。
 馬ばかりでなく、土間の天井には駕籠が吊られたあった。


f0066555_1836445.jpg 折井家の母屋

 そうした格式の家でありながら、畳が敷かれたのは玄関や奥座敷・次の間など2、3部屋で、写真奥の居間などは板の間にムシロが敷かれている。
 上級武士の質素な暮らしぶりが、意外にもそして本当らしくも感じられた。

 朝の出発が遅く長いドライブですっかり遅くなり、手っ取り早く「城下町の雰囲気を味わえる所?」を訊ね、商家通りから紺屋川の美観地区を一回りして、岡山を目指す。


 岡山までは約50Km。 おまけに予約のホテルがなかなか見つからず、駅周辺を2週ほど。 精魂尽きるほどグッタリ。
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by t_ichib | 2011-06-11 15:51 | 今日もまた旅の空
中欧旅行(後)
 最後の移動日をのぞき、後2日で3カ国を回る。 今まで以上に駆け足になりそう。
 もうこの時点で、頭の中が「どこがどうだったか?」とごっちゃになってしまっている。

 やはり1週間程度の旅行では、1つの国をじっくり旅したいものと思う。 もちろん国内旅行でも1週間で回りきるなんて不可能なことは分かっていても…。


 5月18日(水) ウィーン-ブラチスラバ-ブダペスト

 聞きなれないブラチスラバという名はスロバキアの首都。 首都なのに国境に接している都市、ウィーンからは68Km。 世界でも首都間の距離が最も短い。
 さらにブダペストへも3時間半の距離。 今日1日で3カ国を回ってしまう。


f0066555_8363367.jpg シェーンブルン宮殿は各地で見てきた中世の城とは、ずいぶん趣きが異なる。
 18世紀、ハプスブルク家の女帝マリアテレジアの時代に完成し、1441もの部屋がある。
 外壁は当初金を塗ろうとしたが、財政的な理由でテレジア=イエローといわれる色に変えられたとか。
 この巨大な建物に「金」という発想があっただけで、ハプスブルク家の財力が伺える。

 内部は受付ホール以外は撮影禁止で、写真がないと「なんか豪華だったな」という記憶くらいしか残っていない。

 娘のマリーアントワネット、モーツアルトなどの名に始まり、ケネディ=フルシチョフ会談にいたるまで、歴史の舞台となり続けたことも。

 ガイドさんに案内され各部屋を回るだけで時間を取られ、1.2×1Kmの庭園を歩く時間はほとんど取れなかった。 どこかに日本庭園があったはずなのだが。


f0066555_9184051.jpg ウィーンといえば「音楽の都」という名もあるが、その舞台であったオペラ座は道路を隔てた向かい側から、写真撮影するだけ。

 ワルツ王と呼ばれたヨハンシュトラウスの像のある市立公園も散策したが、肝心のシュトラウス像は現在修復中。 (コピーが置かれてはいたが。)


 ほとんどウィーンの記憶が残らないうちに、駆け足で次のスロバキアへ向かう。



f0066555_9285321.jpg スロバキアでは最初にブラスチラバ城を訪れた。
 建物の改修中で、内部も公開されていない。
 その代わり丘の上にあるので、そこからのドナウ川や町の眺めが美しい。

 川むこうの橋脚の上の二枚貝のようなものは、高級な展望レストランだそうだ。 左側の橋脚が有料のエレベータになっており、それで上がる。


f0066555_946546.jpg 旧市街の中心にあるフラブネー広場
 写真の奥の方には16世紀に作られた美しい噴水があり、カフェなどが並び憩いの場となっている。
 背後には旧市庁舎(現在は博物館)があり、写真の左手の建物には日の丸が。
 実は日本大使館だった。 (他に数カ国の大使館があり、ガイドさんは「大使館広場」とも言った。)

 日本大使館前には、東日本大震災の被災地への募金箱が置かれていた。 遠く離れた名前も知らなかった地の善意に感謝。


 5月19日(木) 終日ブダベスト

 今回のツアーのガイドさんたちは、ドイツ・ウィーン・プラハなど日本人観光客が頻繁に訪れそうなところは、日本人ガイドさん。
 一方昨日のスロバキアでは、英語を話すスロバキアの女性の説明を添乗員さんが日本語に訳していた。

 今日私たちのバスに乗り込んできたハンガリーの若い女性から、流暢な日本語が聞こえてきたのにびっくり。
 半日の観光の終わりの挨拶の中の、「今年の夏休みに子供をつれて日本に行きます」にバスの中からは、大きな拍手が。
 今、原発事故の影響で海外からの観光客が激減していることを、意識しての拍手だったのだろうか?


f0066555_10141310.jpg 近づくと全景が分からないので、バスの中から撮影したブダ城

 私などには、この地方の建物が教会なのか、お城なのかの区別が外観だけでは付けにくい。
 この時も、城の中のマチャーシュ教会に入場した。 プラハ城の時と同様に混乱。

 写真を撮った私の背後には、「美しき青きドナウ」が流れる。


f0066555_10233763.jpg 可愛らしい小さなお城のような「漁夫の砦」
 ドナウ川に面し、以前魚市場だった所に建てられたためにこの名が付いた。

 実際に砦としての役割を果たしたことは一度もないといわれるが、ここからのドナウ川・対岸の眺めは素晴らしい。

 ブダペストは広いドナウ川に隔てられて、別々に発展したブダ地区とペスト地区が、19世紀になって一緒になったもの。


 半日の観光を終えると夕食まではフリータイム、各自町歩きやホテル内の温泉プールで過ごす。


f0066555_10582893.jpg 夕食後は再びバスに乗り、ドナウ川ナイトクルーズに出かける。
 ありがたいことに、そこそこの大きさの船に私たち20名のみ。
 ドリンクサービスのコーラを片手に、ほとんどの時間を2階の展望デッキで過ごす。

 出発時はまだ明るさが残る。(1時間のサマータイムを実施しているとはいえ、夏の間は緯度が高いほど、日が長い)


f0066555_10592269.jpg 船がゆっくりと往復する間に、ようやく日が暮れ両岸の建物や橋などがライトアップされ、幻想的な光景が浮かび上がる。

 2枚の写真は距離・角度が違うが同じ「鎖橋」を撮ったもの。
 20名の一行があまり会話もなく、両岸の眺めを見つめ続ける。

 ふと、「おもしろうて、やがて悲しき…」などの俳句が頭をよぎる。 明日は、1日かけて帰国するのみ。 途中で日付が変わるが。


 【追記1】中欧各国は土地を接し、同じ川がいくつかの国々を流れているので、戦争もあっただろうが、人・商業・文化の交流がありともに発展してきたのだろう。

 【追記2】ドレスデンのガイドさんが「ここは世界遺産だった」と過去形で言い、エルベ川に橋を架けたことで世界遺産から抹消されたと説明してくれた。
 世界遺産をとるか、慢性的な交通渋滞から市民生活の改善をとるか。 私もドレスデン市民の選択を指示する。
 世界遺産ではなくとも美しい町なので、引き続き世界中から観光客が訪れることを願う。
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by t_ichib | 2011-06-08 09:21 | 今日もまた旅の空
中欧旅行(中)
 中欧2カ国目はチェコ共和国、歴史とか文芸作品の中ではボヘミヤの名で知られる。
 短期間の旅行で5カ国を回るので、バス移動が長い。

 5月16日(月) ドレスデン-プラハ-チェスキークルムロフ

 チェコというと真っ先に浮かぶのが作曲家スメタナの名、そしてその交響詩「わが祖国」の中のモルダウ川。 が、モルダウという名がドイツ語で、チェコ語(当然「わが祖国」の中でも)ではヴルタヴァ(Vltava)川だということが、今回の旅行で初めて知った。


f0066555_17295575.jpg そのヴルタヴァ川に面して立つプラハ城
 城の歴史は9世紀に遡るというから、なんと1000年をはるかに越える。
 その間たびたびの戦禍、火災に会い修復が繰り返された。
 ゴシック様式、ルネサンス様式とその時代ごとの修復・拡張がなされ現在の美しい城が出来上がった。

 城の中にはチェコの大統領府がおかれ、建物に国旗が上がっている時は大統領が国内にいることを示しているという。

 さらに、建築に6世紀を要したという聖ヴィート大聖堂、修道院などがあり、見学の後には城を見たというより、教会を見たという記憶の方が残ってしまった。


f0066555_183536.jpg その城から見下ろせたカレル橋
 城の中ではお城が見えないように、橋の上ではさっぱり橋らしくない写真になってしまった。

 一部はこの写真にも写っているが、橋の欄干には30体の聖人の彫刻がある。
 中に触ると「幸運が訪れる」・「再びプラハに来ることができる」などといわれる像もあり、その部分は観光客に磨かれぴかぴかに光っている。


 チェスキークルムロフの町には観光バスの乗り入れが禁止されており、各自1泊分の衣類などをつめたかばんを手に宿に向かう。
 その宿も古い宿なので、風呂も「バスタブなしのシャワーのみ」という部屋があるという。

 幸い私の部屋にはちゃんとバスタブがあった。 夕食の時に聞いてみたらほとんどの人はシャワーのみ。
 翌日のホテルも6階とかの部屋が多い中、私は最上階の14階で見晴らしが良かった。 一人参加だったので、添乗員さんが気を使ってくれた? (考えすぎ?)


 5月17日(火) チェスキークルムロフ-ウィーン

 旅行前の予習が苦手な私はチェスキークルムロフの名は、ここに来てから知った。 他の参加者の中には、ここの町歩きを一番の楽しみにしていた人が多いというのに。

f0066555_18302017.jpg 右の絵図に青く描かれた大きく迂回したヴルタヴァ川、その内側に私たちが泊まった宿のある街。
 チェスキークルムロフ城は絵図の上部、川の外側にある。
 今日の観光は絵図の範囲を、徒歩で半日散策するフリータイム。


 少し早めに宿の前の広場、そこからお城が良く見える展望テラスなどを散策した後、添乗員さんと一緒に城に向かうグループに加わる。

f0066555_18535096.jpg 写真は先ほどの展望テラスから撮ったチェスキークルムロフ城
 絵図から分かるように、当時の町(ヴルタヴァ川の内側)の規模に比べ城の規模が大きい。
 その町も19世紀には主要な鉄道路線から外れ、衰退する。

 衰退し長い間見放されていたことにより、中世の趣きを多く遺し、世界遺産に登録され多くの観光客が訪れるようになった。
 特に、ドイツ・オーストリア人などに好まれているようだ。(ついで日本人?)


f0066555_19284813.jpg 城の中を登っていくと、広い庭園に出る。
 写真は庭園の中にある美しい噴水。

 ここまで上がってくるにはけっこう勾配のきつい坂を上らなくてはならず、私たちのグループの少し足の弱い年配の女性などは登るのをあきらめたほど。


f0066555_19363851.jpg そこから少し下った展望所で、町を見下ろしたところ。
 絵図のとおり、曲がりくねった川が一望できる。

 街の名のチェスキーは「チェコの」、クルムは「曲がりくねった」というような意味にあるそうだ。

 再びスメタナが「モルダウ」で、時に激しく・時にはゆったりと曲がりくねった川の流れを表現しようとしたのを思い出す。


 午後は約4時間の道のりをウィーンを目指す。
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by t_ichib | 2011-06-07 19:59 | 今日もまた旅の空
中欧旅行(前)
 妻が昨年に続いて、ドイツ語が堪能な友人と2人で海外に出かけた。(妻は外国語はからっきし)
 昨年も20日間ほどのゆったり旅行だったが、今年はなんと6日から30日までの25日間。

 昨年はドイツ南部を回ったそうだが、今年はドイツ北部とハンガリー・オーストリア・チェコなどにも足を伸ばし、北京も少しだけ(飛行機の乗り継ぎ時間が長いため)歩き回るそうだ。

 昨年のこの時期に、妻のパスポートにだけスタンプが増えるのが悔しくて、モロッコに出かけた。
 今年も私だけで1回分のスタンプを押しに出かけることにしたが、行き先は「共通の話題があったほうが良い」との妻の一言で、中欧ということに。

 私の方は1週間ほどの駆け足旅行。 一人部屋追加代金などがあったりで、費用は4倍近い日数の妻とあまり差がない。
 学生時代にもう少しだけ語学を勉強しておいたら…と、少し後悔も。


 5月14日(土) 名古屋-ベルリン

 総勢20名、6人の女性グループ・ご夫婦が3組・親子2組・姉妹1組、1人参加がもっといたら良かったのに…。
 もちろん食事の時などは楽しく会話できたのだが、あまりカップルの「お邪魔虫」はできない。
 モロッコの時は男女とも一人参加が多く、四六時中楽しく会話が弾んだ。 少しマイナーな旅先を選んだ方が良かったのか?

 以前、一人参加したら回りはみんな新婚さんだったという人の話を聞いた。 それよりはマシか?

 ユーロ圏入国となるヘルシンキの入国審査時には、モタモタしていて私一人だけ別の国の団体の後に並んでしまった。
 いつもならパスポートを見せるだけで何も聞かれることもないのに、「何日滞在するのか?」、「一人で旅行しているのか?」などと聞かれてしまった。

 団体旅行だと分かるとすぐ通してくれたが、やっぱり「金魚の糞」のようにグループにくっついているのに限る。 …簡単な英語でよかった!

 1日目はひたすら移動のみ。


 5月15日(日) ベルリン-ドレスデン

 旅行からすでに1ヶ月近くたってしまっているので、旅の感激もすっかり忘れてしまったが、ベルリンで最も記憶に残っているのが、ベルリンの壁。

f0066555_13431894.jpg ベルリンの壁は1989年に崩壊したが、一部は記念碑として残されている。
 そしてその壁には写真のような壁画が描かれている。
 もちろん当時のものではなく、壁崩壊20周年になる2009年に描きなおされたもの。

 壁に描かれた絵のうち最も有名な絵がブレジネフ-ホーネッカーのキスシーンだが、当時の画家が高齢のため、お弟子さんの手で描かれたという。
 もちろんその絵の写真も撮ったが、男同士のキスは気色悪いので。


f0066555_13571228.jpg ドイツを象徴するブランデンブルグ門
 ナポレオンにより一時フランスに持ち去られたが、その敗退後ベルリンに持ち帰ったという。
 門を正面に見るこちら側は東ベルリン側にあり、ベルリンの壁は門の背後のわずか20mくらいのところに築かれていた。

 私たちがテレビで見た劇的な壁崩壊のシーンには、この門が写っていた。(当然裏側からだが)


f0066555_1455251.jpg ベルガモン博物館などを見た後、ドレスデンに移動。
 車窓から一面の菜の花畑、緑の小麦畑などが見渡せたが、印象的だったのがこの風車が並ぶ風景。
 走るバスの中からなので撮るタイミングが難しいが、何十基となく無数の風車が並んでいた。

 3.11の東日本大震災・津波被害・原発事故などの影響を受け、ドイツは脱原発に大きくカジをきることになった。
 もちろんそれ以前から建設されてきたものだが、私が感心したのはその何十基がすべて回っていること。

 去年だったか青森を旅行した時に、10基くらいの内2基ほどが回っていなかったり、見た目に壊れているのが分かる風車があったりして、がっかりしたのを思い出す。

 電力の買取価格が低くて、修理の費用が出ないのだろうか? 修理してもちゃんとペイできるためには、国としての施策が必要なのではと思ってしまう。



f0066555_14243036.jpg ドレスデンの中心といえる劇場広場 肝心のドレスデン国立歌劇場は、写真のず~っと右側で写っていない。

 すぐ近くを美しいエルベ川がながれ、近くをさんさくする間にほっと一息。


 ドレスデンのホテルは住宅街の中にあったが、その道の両側に車が駐車しており、バス1台分位の空間しか空いていなくて、「対向車が来たらどうするの?」と思ってしまうほど。
 この地方は旧東ドイツに属しており、国の施策でどっしりした集合住宅が多く、駐車場などはない。 そのために路上駐車が多いのか。

 そして駐車している車の間隔が20cm位しかない。 どうやって駐車し、どうやって発信するのだろうか?
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by t_ichib | 2011-06-07 15:45 | 今日もまた旅の空