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チュニジア旅行⑧ 帰国を前に最後の観光
 名残惜しいが、チュニジアも今日が最後。

 添乗員が今朝の開口一番「今日は歴史的な日です。 ジャスミン革命以来続いていた、内閣府の封鎖が解除されました」と、告げる。
 私たちも早朝の散歩に出かけ、そのことには気づいていた。


 初代大統領の名のついたブルギバ通りは、中央に広い遊歩道・左右に2車線の車道・さらに外側にも歩道がある大通り。
 昨夜までは、内閣府前の片側車線が閉鎖(中央の歩道と反対側の車道は通行できる)されていたが、今朝からは普通に通れた。

 まだまだ雇用の問題は残されたままだが、少しずつ改善されていくのだろう。




 今日は往路と同様、うんざりするほど長い時間を掛けて、日本へ戻られねばならない。
 でも、その前に1ヶ所だけ最後の観光。

f0066555_14324048.jpg バルドー博物館

 ここは、世界でも有名なモザイクを集めた博物館なのだそうだ。

 モザイク画ではなく、遺跡の部屋や浴室の床に張られた、タイルで描かれたモザイク。
 だから、この絵など踏まれて磨り減ってしまっている。

 こんな大きなものを「どうやって移設した?」と質問したところ、そっくりそのまま堀り取ってきたのだと。

 元は足元に有ったものだが、壁に貼り付けて展示されている。
 確かに壁なら4面のスペースがあるが、床は1面しかなく見学者が大勢来たら見えないし。



f0066555_1524515.jpg 右側の絵は、1室の壁の前面を占める超大作

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 その右下の部分に描かれたのが、左の絵。
 右下から反時計回りに、春夏秋冬を表す女神が描かれる。
 女神を取り囲む花、手にしたフルーツなどもその季節ごとのもの。


 時代の新しい・古いの差は分からないが、上下左右に続く文様で埋め尽くされたもの、動物や狩など日常が描かれたもの、神話に題材を得たものなど、出発までの時間を楽しめた。



f0066555_15284925.jpg 『オデッセア』に題材を得たセイレーンとホメロス

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 海を行く舟人を、美しい歌声と容姿で惑わせ遭難させる、恐ろしいセイレーン。
 その歌声を聴きたいと願ったホメロスは、自らを帆柱に縛り付け、部下の船員の耳を蝋でふさいで航海をした。

 部下たちが目をあらぬ方にそむける、その目の動きが面白い。




 帰国の旅は往路より時間が長いはずなのに、そんなに退屈さを覚えない。 旅行中に親しくなったツアー仲間と、適当に会話していたからか。


 それなのに最後に一つだけ不運が。
 関西空港に27日16:50着、名古屋駅向けバス19:00に出発、名古屋駅着22:00と、ここまでは予定通り。
 自宅への最寄り駅、東海道線の垂井から先はタクシー。
 が、そのタクシーがなかなか来ない。 イライラしながら30分。

 結局、垂井から大垣までJRで戻り、そこからタクシーに。
 その列車も最終だった。 もう少し決断が遅かったら朝までどうしようもなかったかもしれない。
 今後、帰りが遅くなった時に、この経験を忘れずに…
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by t_ichib | 2012-01-26 22:07 | 今日もまた旅の空
チュニジア旅行⑦ 2つの世界遺産をめぐる
 昨日あたりから、「長いと思っていたけど、もう後わずかだね…」などの会話があちらこちらから。
 それでも今日は、世界遺産が2つも待っている。 気を取り直して、がんばって…


f0066555_20513132.jpg 【世界遺産:カルタゴ遺跡

 最初に目にしたのはビュルサの丘。
 カルタゴ建国伝説によれば、フェニキアの女王ディードが地元民からこの地を買い取り、町を築いたといわれる。

 丘には住居の跡、その背後には現在のカルタゴの町が一望できる。

 ローマにより、カルタゴ統治下の都市はことごとく破壊され別の名が付けられたが、そのほとんどが元の名前で呼ばれ続けたという。



f0066555_20531632.jpg ビュルサの丘に立つサン・ルイ教会

 まさか世界遺産には含まれていないだろうが、この丘では強烈に目立つ。
 美しい建築物なので撮影したが、特別の説明もなかったような?



f0066555_20544716.jpg カルタゴ博物館

 丘の博物館内の展示、カルタゴの都市建設を再現したもの?

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 当時のカルタゴの町の様子を描いた想像画。


f0066555_20571178.jpg 遺跡から発掘されたカルタゴの彫刻は、ことごとく鼻の部分が破壊されている。

 ギリシャで見たのと同様に、征服した方の手による破壊が。
 「自慢の鼻をへし折る」という言い回しは、日本だけの物ではないらしい。



f0066555_20583336.jpg トフェ(タニト神の聖域)

 丘を少し下ったあたりに、カルタゴ時代の共同墓地があり、小さな墓石がたくさん並んでいる。

 時代を経るに従い、墓地も2層、3層と積み重ねられ、写真に写っているのは3層部分とのこと。



f0066555_20592547.jpg タニト神のシンボル

 真ん中の墓石に刻まれた を組み合わせた幼稚なお人形みたいなマークが、タニト神を表すシンボル。

 この下方に聖壇があり、(ちょっと怖い話だが)そこで乳児がいけにえとして、神にささげられたという。



f0066555_2113839.jpg カルタゴの軍港

 真ん中の小さな島を取り囲むように、ドーナツ状に水路がつながる。

 古代の想像図では、この右に長方形の商業港が続き、さらにその先に外洋への出入り口がある。
 そのようにして、外敵からの攻撃が容易でないように、工夫されていた。



f0066555_2117194.jpg アントニヌスの共同浴場

 この共同浴場はカルタゴ時代のものではなく、2世紀ごろローマ皇帝アントニヌスにより作られた。

 昨日見たあの320Kmの水道橋の行き着く先の一つが、この浴場。



f0066555_21305440.jpg 規模もものすごい。
 ガイドに案内されているから良いものの、一人だったら浴場の中で道に迷いそう。

 今まで各地でローマの浴場跡を見て来て、てっきり水風呂と思ってきたが、ちゃんとお湯を沸かしていたと聞き、「こんな大きな風呂の湯をどうやって?」と驚く。

 サウナ・プールなども完備した大社交場だったようだ。



f0066555_2143884.jpg シディ・ブ・サイド

 白い壁と、チュニジアン・ブルーの扉・窓が美しい。
 この白と青は、建物を建てる時の規則として定められといる。
 この坂を上りきったところで、ミントティーを飲みながら小休止。

 坂の反対側には、港そしてその先に地中海が望められるはずなのだが、お天気が…
 シディ・ブ・サイドはカルタゴ・古代ローマ時代には灯台が建ち、11世紀ごろには見張り台が設けられ、敵の侵入から町を守った。




 その後ホテルに戻り、徒歩で最後の【世界遺産:チュニスの旧市街】へ。 旧市街へは、ホテルからだらだら歩きでも10分ほど。

f0066555_22263983.jpg 旧市街への入り口:フランス門

 チュニスのメディナはチュニジアでは最も大きい。
 が、「それでもモロッコのフェズの方が…」と自信を持っていえないのは、この少し先のモスクまでしか行っていないから。


f0066555_22441033.jpg チュニスのグランドモスク

 チュニスのメディナをけなしたばかりだが、ガイドの先導でここまでくるのに、スークの客引きと人ごみを交わして進むのに、先頭から大きく遅れてしまう。

 写真で見てのとおり、傘をさしている人がいる。
 先ほどのシディ・ブ・サイドから断続的に雨。 8日間の滞在期間中に3度雨に見舞われた。

 この位置でフリータイム。
 自由散策というのだから、さほど迷路にはなっていないのだろうが、先ほどの客引きに恐れをなし、ほとんどの人とともに新市街へ引き返す。



f0066555_2353791.jpg セント・ビンセント・デポール大聖堂

 フランス門のすぐ近くに建つ、フランス統治時代のカソリックの大聖堂。



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 メディナのスークでの雑踏を忘れ、ホテルはすぐそこなのだが、しばし静寂のなかで心を静める。

 イスラムの国でありながら、これほど大きく美しい大聖堂があることに、少し不思議な思いをしつつ。
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by t_ichib | 2012-01-25 22:48 | 今日もまた旅の空
チュニジア旅行⑥ 古い技術と新しい技術
 本格的な雨に見舞われたのはこの日。 本当はさほどでもなかったのだが、バス移動中には日が差し、傘を持たずに歩き始めると雨が降る。
 風も冷たく、背を丸め縮こまっているばかりで、ガイドの説明も頭を素通り。

 そのガイドも傘を持っていない。 添乗員によると、チュニジアの人は少々の雨では傘など差さない。 「集団で傘を差して歩いているのは、日本人」とも。

 そしてバスに戻ると雨がやむ。 「力の発揮しどころが違うだろう」と、心の中で思いながら隣と斜め前方の誰かの席を見やる。



f0066555_10174948.jpg 陶器の町ナブール

 最初の観光地は陶器の町ナブール、まずは有名?な陶器店
 鮮やかな手つきでロクロの実演が披露されたが、その後で皿に絵付けをしている女性の手つきの見事さに感嘆。

 ここですごく気に入ったマグカップを見つけたのだが、32ディナール(1800円)もする。
 次々に皿などを買い求める人もいる中、私たちには手が出せない。



f0066555_1030552.jpg ナブールの旧市街(メディナ)

 この門を入った先は車の進入禁止。
 陶器の町といわれるだけあって、陶器を売る店も多い。
 そのいくつかのお店を駆け巡って、やっと2ディナール(100円)のマグカップを手に入れる。

 そのせいで、旧市街の写真を1枚も撮っていなかった。
 なんとせこい貧乏人…




f0066555_10442538.jpg 【世界遺産:ケルクアン遺跡

 ポエニ戦争に勝利したローマは、カルタゴの都市を徹底的に破壊し、市民を虐殺し奴隷とした。
 破壊した地に塩まで撒いて、草の1本も生えないようにしたという。
 その上に、ローマの都市が築かれた。

 ここケルクアンは一部が破壊されただけで見捨てられたので、最も良く残されたカルタゴの遺跡といわれる。

 お祈りに入る前に入る「瞑想の間」まであった信仰心、タイルの敷かれた中庭などの説明も、寒さで頭に残らない。
 2階に上がる階段の跡を説明されても、容易に2階建ての住居だと想像できない。


f0066555_11373753.jpg 陶器工房跡

 ぱっと見に、「井戸?」と思ってしまったが、窯の跡だそうで近くにはガラス工房もあった。
 この伝統がナブールの陶器に受け継がれている?




f0066555_11593818.jpg ボン岬近くの風力発電群

 今日の昼食はボン岬で、風光明媚なところなのだろうが、強風と小雨が止まず携帯電話のカメラで撮ったのみ。
 代わりに車窓からそこを少し過ぎたところで、半端じゃない数の発電用の風車を撮影。

 このあたりには風車と、これまた半端じゃないほどの羊の群れがいた。



f0066555_1294923.jpg ザグーアンの水道橋

 この何キロも手前から水道橋の断片らしきものが見え始め、「この辺でいいから停めてよ」と思っているうちにここまで来た。
 確かにここなら断片でなく、長く残された水道橋を見られる。

 この水道橋は132Km、ザグーアンの高地からカルタゴまで水を引く。
 これまで各地でローマの水道橋を見てきたが、ここでは切れ切れながら20Kmも続いているのだそうだ。


f0066555_1251574.jpg 水道橋の断面

 たてにくりぬかれた長方形の部分に水を通したのだろうが、地上に倒れたものを見てその大きさに驚く。
 カルタゴまで水を通すためのその距離と、一部は地下を通したりこのような高い橋を通したりし、勾配を保った技術に感嘆。
 コンピュータを駆使できる現代なら、ともかく…。



f0066555_1302489.jpg チュニスの時計塔

 今日と明日は、首都チュニスのホテルに連泊。
 着いてみると、ホテルは満室でチェックインに長々と待たされる。

 今日まで同じホテルに宿泊したガイドも部屋がなく、自宅へ。
 チュニスに住む彼はそのほうが、ゆったりできたのかも。

 鼻の差で先にホテルに着いたバスの観光客たちは、くつろいだりスーパーでの買い物を楽しんだらしいが、悔しいが私たちはこの時計等を見に行くくらいの時間しか…

 この時計等とホテルとの間に、チュニジアの内閣府の建物があり、「ジャスミン革命」以来鉄条網で立ち入りできないようになっている。
 それほど緊迫感は感じないが、それでも軍・警察の車両が止まっている。

 恐る恐る兵士たちに挨拶すると、笑顔が返ってくる。
 それでも万一のことを考え、そちらにはカメラを向けないように…
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by t_ichib | 2012-01-24 22:32 | 今日もまた旅の空
チュニジア旅行⑤ 4つ目の世界遺産はあっさり
 昨夜と今夜はスースで2連泊、スースはチュニジアで第3の都市。 世界遺産の都市でもある。



f0066555_16553296.jpg 最初の目的地まではすぐ近く、ホテルからバスで15分ほど。

 バスを降りるとすぐ目に付く、いわくありげな彫刻が。
 多分、抗仏戦のモニュメントか? 時代が新しすぎて世界遺産には含まれていないだろう。



f0066555_1755846.jpg 【世界遺産:スースのリバト(要塞)

 スースは地中海に面した都市、そのため外敵の侵入を警戒し、まず要塞を築きその後にモスクを作った。
 だから、この塔はミナレットではなく見張り台。
 砦の出入り口には、侵入する敵に熱した油を浴びせかける仕掛けもあった。



 スースの世界遺産には、旧市街とグランドモスクが含まれているが、モスクは外から眺めただけ、旧市街はその一部の八百屋・魚屋をざっと見ただけ。

 現地の旅行社は、おみやげセンターを世界遺産より優先したようで、少し不満が残る。



 その代わりというのか、その後にスーパーマーケットで時間を取ってくれた。
 こちらはありがたい。 家族や親戚になら、きれいな包装などなしのワイン・コーヒーなどで十分。


f0066555_17485568.jpg エル・カンタウェイ港

 この近くに先ほどのスーパーがあり、買い物の合間に港周辺を散策。
 美しい海岸線が続き、買い物袋をぶら下げてそぞろ歩き。

 さらにこの左右どちらかの延長線にヨットハーバーがあり、昼食はそこで摂る。


 昼食後はスース近郊のモナスティールへ移動。

f0066555_182049.jpg モナスティールのリバト

 スースのリバトよりどっしりとした構えだが、世界遺産にはなっていないのは、後世に増築などなされているためらしい。
 チュニジア国内の3大リバトに数えられる。


f0066555_1834445.jpg ブルギバ大統領の廟

 モナスティールはチュニジアの国民が敬愛する、初代大統領ブルギバ氏の誕生の地。

 バスの中で、チュニジア人であるガイドにさまざまな質問だあったが、その一つが「アラブ社会では、4人まで奥さんを持てるのですが、チュニジアでは?」というもの。
 正解:チュニジアでは非合法。 それまでの一夫多妻制を改めたのも彼の業績。



f0066555_20411853.jpg これは何?

 バスの窓から、チュニジアの各地で見られるこの動物は何?
 てっきり架空の動物かと思ったが、長い耳が特徴の砂漠キツネ、環境保護のシンボルなのだそうだ。
 下げた黒いかばんは、そこにごみを拾い集める。

 チュニジアの国民性なのか、集落近くの畑などには青いビニール袋などが捨てられ、見苦しく思っていた。
 今後、観光地・リゾート地としてさらに発展するために、環境保護の運動が進められている。




f0066555_2101828.jpg スースに連泊し、今日は近くの観光のみだったので、戻ってからも時間の余裕があり、ホテルの裏手のビーチを散策。

 冬なので泳いでいる人などいるはずもないが、その代わり地引網を楽しむ人たちがいた。

 漁の結果は、小魚が10匹あまり。 本職でなく趣味でやっているらしく、それで十分か?
 ただ5人でやっていたので、分け前は2匹ずつ。
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by t_ichib | 2012-01-23 22:32 | 今日もまた旅の空
チュニジア旅行④ かっての〇〇が…
 きょうの出発前、急に雨が降り出した。
 幸いバスの移動中に何とかやんでくれたものの、今までの好天に、「私は晴れ女です」と自慢していたわが妻ともう一人の女性の面目は丸つぶれ。
 今日は小雨ですんだが、この2~3日あとにはもう少し本格的な雨になったとあっては。



f0066555_11184426.jpg 今日の午前中はベルベル人の住居を見学する。
 水害などのため、その集落のいくつかは移転している。

 向こうに見えているのも、そうした移転後のニュータウンの一つ。
 そう思ってみるせいか、チュニジアの一般の建物と少し違うような気がする。 遠目で眺めただけだが。


f0066555_11275019.jpg そのニュータウン近くでみたベルベル人と思われる人。

 勝手な思い込みだが、「暮らしぶりはそう変化していないのではないか?」と。
 写真に写っているのはロバだが、チュニジア全土で最も多く見かけるのは羊。 この後のベルベル人の住居でも飼われていた。




f0066555_11334840.jpg ベルベル人の穴倉式住居

 ベルベル人のすべてがこのような穴倉に隠れ住んだわけではなく、普通に地上に暮らした人たちもいる。
 モロッコなどと同様、現在はアラブ人との混血が進んでいるが、以前はベルベル人以外との結婚が認められていなかった。
 現在でも文字の読み書きができない人たちもいる。


f0066555_11442515.jpg 穴倉式住居は、まず最初に中央に大きな穴を掘る。
 その部分がこの写真の内庭に当たる。
 そこから周囲の壁に横穴を掘り、住居部分を穿つ。
 2階部分は倉庫だという。
 かまどが1ヶ所だけなので、ここに住むのはそこそこの大家族一世帯が暮らしている。

 現在では隠れ住む必要はなくなったが、以前は上の写真の外側から内庭に通じる通路は、人目につかないよう隠されていたのだろう。


f0066555_12495214.jpg その住居部分の一角

 漆喰で白く塗り固められ、中は以外に明るい。
 見学者のため、道具などを展示するスペースなのか、きれい過ぎて生活観に乏しいが。

 すぐ近くを送電線が通り、電気が利用できるばかりでなく、この住宅にはソーラーパネルが設置されており、「意外に文化的」という声も。



f0066555_1259711.jpg ホテルシディ・ドリス

 映画「スターウオーズ」の撮影に使われたこの場所で、昼食を摂る。

 その内庭部分を上から撮影。
 帰ってきてから気が付いたのだが、これって上のベルベル人の住居にそっくり。
 というか、その一つがホテルに再利用され、映画のロケ地にもなったのだろう。




 昼食後はエルジェムへ。
 チュニジアはかってハンニバル将軍に率いられたカルタゴの拠点だったが、カルタゴを破ったローマによりその都市は徹底的に破壊され、その上にローマの都市が築かれた。
 エルジェムもそんな都市に一つで、かっては大いに栄えた。

f0066555_1375441.jpg 【世界遺産:エルジェムの円形闘技場

 同種の物として最大のものがローマのコロセウムで、ベローナなどより大きく、世界3番目の規模。
 ただし、保存状況はローマなどより良いそうだ。


f0066555_13382119.jpg 行われていたことは同じで、奴隷同士・奴隷や迫害されていたキリスト教徒と猛獣の戦い。
 それが最大の娯楽で、そのためにこんな巨大なものを作ったことが信じられない。

 競技場の下に地下通路が保存されており、猛獣が飼育されていた部屋などが見学できた。

 向かい側に見える観客席は、スタンド下の通路をとおり入ってくる。
 現在の野球場とまったく同じ構造。 そのことに本当にスゴイと。
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by t_ichib | 2012-01-22 22:35 | 今日もまた旅の空
チュニジア旅行③ チュニジアでの日本
 チュニジアに旅行すると告げた時の、友人たちの反応は? 一つは「それってどこにあるの?」、もう一つは「大丈夫なの?」と。

 最初の反応はごく普通の人の、後の方はけっこう詳しい人たち?
 私たちだって、「旅行社が計画しているんだから、きっと大丈夫だろう?」と。

 一青年の焼身自殺から端を発し、チュニジアから中東各地に拡大した「ジャスミン革命」については、ガイドの口からも概略の説明がなされた。
 インターネットの力で、またたく間にチュニジアばかりでなく、他のアラブ諸国にまで広がった。
 雇用の問題は、「よその国の出来事」で済まされない。



 実は昨日、ケロアンから塩湖に下ってくる途中、小さな町(配布された地図には名も載っていない)の交差点を前に車が渋滞し始めた。
 当初は「事故?」と思ったのだが、交差点の中で若者たちが古タイヤを燃やしている。

 チュニジアの失業率は14%といわれているが、若者層では3~40%に達する。
 その若者たちの不満が、散発的にこのような行動を引き起こすようだ。 警察・軍が乗り出している雰囲気もなく、その交差点を迂回して何事もなく通過できた。

 後日、ガイドから「政府が若者たちに理解を示し、その地域での雇用を増やすため事業を計画している」というニュースを知らされた。

 今回のツアーが格安となったのも、「革命」で落ち込んだ観光客を取り戻すための「チュニジア政府のてこ入れ策?」と、妻が言うのだが。


 ミヤゲ屋の店員ばかりでなく、道行く人たちからも「ニーハオ」、「コンニチワ」と声を掛けられ、「ジャポン?」などと確認しながら、笑顔ですれ違う。
 私たち日本人は好感を持って受け入れられているようだ。

 それをいいことに私たち一行のオジサンたちは、地元の若い娘さんたちと一緒に、写真を撮らせてもらったりしている。



f0066555_10505983.jpg 今朝は「砂漠の日の出」を見に行く。

 ホテル出発はなんと5:30、日の出は7:35
 こんなにも日の出をありがたがるのは、「日本人だけだろうな?」と自嘲しあいながら、日が昇るのを待つ。
 砂漠地帯の朝は冷える。 風がそれほど吹いていなかったのが救い。
 夏の日中にはこのあたりでは、50℃を超えるらしいが。


f0066555_1058819.jpg 私たちを運んできた車の列。

 すべてトヨタのランドクルーザ、先ほどの「日本人だけ」を裏付け、日本人を呼び込むためと若者をドライバーとして雇用する施策でもある。
 最初こそ平坦だったが、すぐにお尻が座席から飛び上がってしまう悪路、4WDのこんな車でなければ、走ることもできない。

 チュニジアでは日本車はあまり見かけず、圧倒的にフォルクスワーゲン・プジョー・ルノーの独仏の車が多い。
 善戦しているのは、ピックアップトラックのイスズくらい。
 「力が強い」というのが、好評の理由。



f0066555_1114277.jpg 一度車に乗り込み、段差のある砂の斜面をすべり降りるという、スリルを体験した後、5分くらいでまた車を降りる。

 映画「スターウオーズ」で使われたロケ地
 詳しくは知らないが、ルークスカイウオーカがジェダイの騎士になるための訓練をした地?
 建物は裏側や内部に入ると、木組みなどでセットだとすぐ分かる。



 その後は少し移動して、チュニジア山岳地帯の3つの村を訪れる。

f0066555_19341559.jpg ジェピカ村
 1969年の洪水で水没し、廃村となった村。

 撮影している私たちの背後は深い渓谷があり、さらにその背後は隣国アルジェリア。
 そこから流れ下る川が村を飲み込んだのだが、同時に前方の村の先の緑のオアシスを育ててもいる。



f0066555_19583651.jpg ガイドが「砂漠地帯で世界最大」と紹介した滝

 先ほどのジェピカから少し離れた、同じタメルザ渓谷の別の村にある。
 実は私たちは下から滝まで登ったのではなく、撮影のため下へ降りたもの。 乗ってきた車は滝の上方に停めてある。

 この地方に住んでいたのは、平野部から他民族に圧迫され、移り住んだベルベル人。

 彼らの独特の衣装が、ジョージルーカスの目に留まり、スターウオーズのジェダイの騎士のマントとして採用された。



 タメルザ渓谷の観光を終えると、昨日やってきた塩湖の道を逆戻りし、ドゥーズに向かう。

f0066555_20593435.jpg ホテルに入る少し手前で、ラクダ騎乗体験

 エジプトでもラクダに乗ったことがあるが、その時はほんの記念撮影する程度の時間。
 ここでは2~30分ほどの時間を掛けてくれ堪能できたのだが、最後の方はお尻が痛くなり「早く終わらないかな?」とさえ。

 ラクダに乗る前に、添乗員から「今から乗るラクダは、1コブ? 2こぶ?」と、クイズ。
 自信を持って「2コブ」と答えたのだが、なんと正解は1コブ。
 そればかりでなく、エジプトで乗ったのも1コブだったはずだと。 体験しているはずなのに、当てにならない自分の記憶にがっくり。



 その夜のホテルの部屋は少しひどかった。 お湯の出が悪い、排水が遅い…程度なら我慢ができるが、なんと部屋の中に蟻の行列ができていた。
 添乗員にお願いして、部屋を変えてもらう。 私たちのほかにもう一組、スーツケースを持ってうろうろしていた人がいた。
 変えてもらった部屋も理由があって残っていた部屋らしく、洗面台の取り付けが悪く物が置けない。 それくらいなら、蟻よりは我慢できる。

 陽気で、気さくで、好感の持てる国だが、こんなこともある。
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by t_ichib | 2012-01-21 20:59 | 今日もまた旅の空
チュニジア旅行② 再び長い旅
 チュニジアの通貨はディナール、到着した空港で両替したが、1ディナール=55円前後。

 空港内にはいくつもの両替所があり、それぞれ両替率が微妙に違う。 どの店で両替したかで受け取るディナールに差があるが、それは運不運。
 それよりも、紙幣はともかく硬貨は分かりにくいので、要注意。 添乗員に貨幣の種類を聞き、5ディナールほどごまかされていたのが分かった。

 チュニジアの平均月収は、ガイドの説明では4万円ほどとか。 その代わり物価は安い。
 5日目にスーパーマーケットで買い物をした時、お勧めのワイン3本+コーヒー4袋+チョコレート菓子2~3個を買っても、3000円弱だった。

 ただし観光客価格が高いのはどこの国も同じ、それでもホテルチップが1ディナール・食事時のジュース類が3~5ディナールと、欧米の半分くらい。



f0066555_12581722.jpg 【世界遺産:ケロアン】観光の最初はアラブ朝の貯水池

 チュニジアはサハラ砂漠のはずれに位置し、水は大切な資源であったことがうかがえる。
 9世紀に築かれたこの貯水池は、修復され現在も住民を潤している。

 私たちには巨大な貯水池が2つしか見えなかったが、当時は小さな貯水池もあり、通常はそちらからの水が使われ、大きな宗教行事などの時にのみ、大きな貯水池が使われたとか。



f0066555_13565029.jpg シディサハブ霊廟

 外壁から突き出ている塔はもちろんミナレット。

 移動中のバスの窓からも、小さな村々にもモザイク等で装飾された美しいミナレットが眺められ、ここがイスラムの国であることを実感させられた。

 昔は塔に人が登り大声で礼拝の時間を知らせたという。
 さすがに今ではどこもスピーカとなっているが、録音された音声でなく生放送だと、どこかで聞いた記憶がある。


f0066555_1416798.jpg  霊廟の内庭

 イスラムの住宅では、外部は窓も少なく質素に、内部は豪華なのが一般的だそうだが、この霊廟でも内部は華麗な装飾が施されている。
 もちろんイスラムでは偶像崇拝が禁止されているため、肖像画などでなくアラベスクと呼ばれる幾何学模様。



f0066555_14523139.jpg グランドモスク

 前日のドゥッガもそうだったが、時々撮影するのに1ディナールのカメラチケットが必要な所がある。
 カメラマニアなど、1人2台のカメラを持っている人は2ディナールが必要となる。
 が、わが妻などは携帯電話のカメラで撮っていたりする。 …違反? まぁそこまで細かいことを言わないか?


f0066555_16192752.jpg モスクの内部

 床にじゅうたんが敷いてあるのは、膝まづいてお祈りをするためか。
 イスラム教徒はお祈りをささげる前に身を清める。
 そのための設備は別棟に設けられていることも。
 また清める時の、手・口・鼻などの順番も決まっているという。



f0066555_171147.jpg ケロアンの旧市街(メディナ)

 ここはチュニジアの中でも3、4番目でチュニスなどより小さく、時間の制約で大通りだけを歩いたので、モロッコでの経験(狭い路地を歩きいくつかのスークに立ち寄った)に比べ物足りない。

 それでも観光客を呼び込み、売りつけようとする店ばかりでなく、ちょっとのぞいたら「どーぞ」と試食させてくれた上に、汚れた手や口元をぬぐうナプキンまでくれた親切なお菓子屋さんもあった。 (売りつけようとする気配なし)


f0066555_17251762.jpg 旧市街全体はこのような壁で囲われている。

 塀の築かれた理由は外敵の侵入を防ぐことに尽きるのだが、中心にあるモスクへの道は同じ理由で迷路になっている。
 モスクが中心に位置するのは、外敵の侵入の恐れが無くなった現代でも同じで、まずモスクが築かれ後から家々が建つ。



f0066555_1741396.jpg 旧市街の中で家屋を修理している現場で見つけ、面白いと思ったのがレンガ

 実はここに来るまでの車窓から、何軒もの建築中の家屋を見た。
 いずれも柱に当たる部分こそ鉄筋の入ったコンクリートを使うが、あとはこのレンガを積み上げ、上に白い壁を塗る。

 構造的に「不安では?」という質問に、現地ガイドは「チュニジアでは地震がないから…」と。

 三角の屋根を載せた家はめったに無く、柱のコンクリートから鉄筋が突き出したまま。
 それは、家族が増えたとき上に、2階・3階を接ぎ足すためだとか。

 孔の空いたレンガの形状について、ガイドに確認していないが断熱のためと思われる。
 日干しレンガを使っていたエジプトより、工夫+お金がかかっている。




 ケロアンからは、なんと7時間のバス移動でトズールに向かう。

 途中の休憩所でガイドと話していると、たまたまテレビ中継されていたハンドボールもサッカーも、チュニジアは強いそうだ。
 サッカーは2004年アフリカ・カップのチャンピオンだと誇らしそう。 …ちょっと古い。

 2012年アフリカ・カップが開催中で、その日だか翌日だかの予選リーグ、対モロッコ戦は「勝った!」らしい。



f0066555_18211210.jpg 次の休憩所は塩湖

 日本の琵琶湖の何倍だか?の広さだとか。 (「だけど干潟じゃないか」と負け惜しみ)
 浅瀬が続くので、塩湖を横切って道路が延々と走る。
 「ここが塩湖の始まりです」とガイドの案内があってから、この休憩ポイントまで2~30分は走った。
 当初は塩分に強い雑草がボコッボコッと生えていたが、このあたりでは1本も見えない。


 そのあたりには、ポツポツと掘建て小屋のような建物が時々現れる。
 添乗員の説明ではそれらはミヤゲ屋兼休憩所なのだそうだ。

f0066555_2025097.jpg その中でも最高級の掘建て小屋に立ち寄る。

 並べられているのは通常のおみやげのほか、砂漠のバラと塩湖で生成された食塩とが変わったもの。
 写真の小さなものだと1ディナールくらい。

 おじいちゃん一人でやっているので、すべてには手が回らない。
 数人の女性たちが「ここのトイレは無料だたよ」と言いながら帰ってくる。
 チュニジアではホテル・レストラン以外は0.5ディナールのチップが必要なことが多い。 あわててチップの徴収に向かうと、今度は店番がいなくなる。



 そこから同じくらいの時間を走ると、再び緑が見えてくる。 そこが砂漠のオアシスと呼ばれるトズールの町。

f0066555_20194782.jpg ホテルまではもうすぐだが、もう1軒ミヤゲ屋に立ち寄る。

 ここにはおいしいナツメヤシが売られているという。
 露店の背後の椰子の木のように見えるのが、ナツメヤシ。

 チュニスなどチュニジアの北部にはオリーブを始め、アーモンド・オレンジなどの木が多かったのが、このあたりではナツメヤシばかり。
 オリーブは乾燥に強い木だが、さらに雨が少ない地なのか?


 2日目はこのトズール泊。
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by t_ichib | 2012-01-20 22:23 | 今日もまた旅の空
チュニジア旅行① いつもながらの長い旅路
 昨年11月の晃希の誕生から2ヶ月、ようやく落ち着きを取り戻し、海外旅行に出かけることになった。
 いつもながらの長い旅路で、実際には前日の17:00に名古屋駅に集合しバスで移動、関西空港を深夜23:40に出発する。

 残念ながら、中部空港から出発する国際便は年々減少し、ドバイへ向かうエミレーツ航空も数年前まではあったが、現在は関西空港から。
 この地方からも、ドバイ経由で里帰りする日系ペルー人・ブラジル人などが多いらしく、エミレーツが名古屋駅-関西空港間の往復バスを手配している。


 今回はかなり格安のツアーで、参加者は80名弱・バス2台となった。
 その格安さは、「ケニヤに赴任しているNPO職員の娘が、『どうしてそんな価格で観光旅行ができるの?』って驚いている」と、ある参加者から聞いた。
 「せっかくアフリカに来るのに、どうしてケニヤでなくチュニジアなのか」とムクれていたとも。


f0066555_12294713.jpg チュニス空港に着いたのは現地時間12:55
 ドバイ・チュニジアに着くたび時差があり、何時間かかったのか良く分からない。(多分20時間ほど?)
 とにかく機内食が4回出た。 体を動かすことも無く、食べるばかりなので健康に悪い。 が、「エミレーツの機内食はおいしい」というのが、皆さん共通の感想。


 アフリカとはいえ、チュニジアは地中海に面し、イタリアの靴先で蹴られているサッカーボールのようなシチリア島からも近い。 (イタリア同様チュニジアでもサッカー人気は高い、ハンドボールも)

 「アフリカだから(暑い)」という先入観にとらわれてしまうが、朝夕など寒い。 緯度は仙台くらいになるらしい。 日本国内だけと思っていた防寒着が手放せない。


 空港からバスで2時間移動し、ドゥッガへ。

f0066555_12562482.jpg 【世界遺産、ドゥッガのローマ遺跡

 ドゥッガはチュニジア最大のローマ遺跡、イタリアでギリシャでトルコで見てきたような遺跡も多く、トイレなどはガイドの説明を聞く前に分かった。

 写真の柱石は遺跡を入ってすぐ右手の劇場跡



f0066555_17505029.jpg チュニジアは原住民のベルベル人、ローマ、アラブと支配勢力が変わってきている。

 遺跡から少し下方に見えるこの塔など、もっと後期の物かと思ってしまったが、ローマより古いベルベル人の廟なのだそうだ。
 崩れていたものを近年になって修復した。

 この写真では分かりにくいが、ローマ遺跡は小高いところにあり、周囲が360度見渡せる。
 「日常生活には不便?」と思ってしまうが、それより敵の侵入から守ることのほうが重要だった? そしてつらい労働は奴隷や下々の者にやらせた?



f0066555_18143795.jpg ローマ遺跡に戻って、貴族たちの住宅跡

 家屋が取り壊された敷地だけを見ると、ずいぶん小さく感じられることが多い。
 だからこの遺跡も実際にはもっと大きなものだっただろうが、それにしても「人口の大半はこの外に住んでいたのではないか?」といつも感じる。

 この住宅の床面の一部にはモザイクが残されていて、見事なものは最終日に訪れるバルドー博物館に移されているという。



f0066555_2025467.jpg 遺跡の中でもひときわ目立つキャピトルといわれる神殿

 規模は小さいが保存状況はパルテノン神殿より良いそうで、訪れた私たち一行もいろんな位置いろんな角度から撮影を繰り返した。



f0066555_2136183.jpg 風の広場とそこにある頭部が欠けた神像

 「風の広場」と呼ばれるゆえんは、方位を12に区切り風向きにより占いをしたと言われる。

 風向きにより、収穫とその運搬に都合の良い方角を決めたという合理的な面もあった。




 この遺跡も発見されるまで、遺跡の上に集落の住居の下に埋まっていたという。
 遺跡の神像の顔(特に鼻)が壊されており、先住文化の「プライドを傷つける」という意図でなされたそうだ。
 観光初日であるが、地中海を挟みいくつもの民族・宗教がせめぎあい、融和しあった歴史が感じられ、興味が尽きない。


f0066555_21544987.jpg 限られた時間の中ですべてをつぶさに見ることができなかったが、最初に外側からだけ眺めた劇場の内部をもう一度。

 実際にはツアーの一行から離れ、「タバコを一服」というのが本当で、皆さんのほとんどがここを見ていない。



 この後、さらにバスで2時間半移動して、ケロアンのホテルに宿泊。
 国土は日本よりやや狭いとはいえ、8つの世界遺産のうち7つを回る今回のツアーは、長距離移動はやむをえない。
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by t_ichib | 2012-01-19 22:48 | 今日もまた旅の空
「親の顔が見たい」
 1週間前のこと、毎年の恒例となっている妻の実家での会食から帰った私たちの所へ、娘が3人の子供を連れてやって来た。 (実際には迎えに行ったのだが)


 出産後の娘家族の日常は、ダンナはもちろん会社へ、春音が小学校に、 彩乃は保育園に。 その後は、残された娘と生後1ヶ月の晃希の平和なひと時。

 当初、晃希はあまり泣かない子だと思っていたが、夕方ごろ機嫌が悪くなることが多いらしい。 それが小さいなりの生活のリズムなのかもしれないが、小学校・保育園から帰った2人のお姉ちゃんたちから受ける「ストレスからか?」とも思っている。

 なにせ、小さな赤ちゃんのすぐそばで走り回る、飛び跳ねる。 さらには、危なっかしい手つきで抱こうとする。 まるでおもちゃか、お人形…。 (生後1ヶ月で体得した殺気で泣く?)


 土日は、力をもてあました危険な2人をお父さんが適当に外へ連れ出してくれる。 (私など、そのあたりの子育て・家事へのかかわり方がイマイチだったので、本当に頭が下がる。)


 1月5日、そのお父さんは出勤開始だが、小学校の始業式は10日。 娘が我が家に避難してきたのは、その木曜・金曜を乗り切るため。
 2人のめんどうを見るのには、体力と根気、わがままを聞いてやる心のゆとりがいる。 私にできるのは、妻が洗濯や台所に立つ間だけ。

 姉の春音は台所に立つ妻の手伝いを喜んでいる。 (自宅ではどれほどやっているのか。 むしろジャマ?)
 お菓子作りなど、ちょっとクッキーに粒チョコレートを振りかけただけでも、お父さんには「私が作った」と得意そうに報告している。


 2人の孫娘たちはお母さんにべったり、昨年4月に改装して広くなった我が家の風呂に、親子3人が一緒に入り「ワーワー、キャーキャー」と大騒ぎ。
 その後のぬるくなったお湯に、私が晃希を抱いて入る。 出産直後の春音・ 彩乃を1ヶ月近く、最初はおっかなびっくりで入浴させたものだが、晃希はこれが始めて。
 せっかく、赤ちゃんをお風呂に入れるのに慣れたというのに、春音が小学生になったため、そうしたかかわりあう機会が少なくなりそう。

 そのべったり具合は、夜寝る時もお母さんを真ん中に、姉妹が左右に並ぶ。 晃希はお母さんの枕元の横方向に。 少し離してあるのは、寝相の悪いお姉ちゃんに踏み潰されないためにか?
 晃希が大きくなった時、どんな風に寝るんだろうか?


 土曜日、お父さんが4人を迎えに来る。 この後の土・日・祝日の3日間、ご苦労様。

 一家5人が帰った後、部屋を片付けていた妻がフトンの間に、娘の靴下が忘れてあるのを発見。 そんな時など、表題のセリフが私たち夫婦の間でのジョークになっている。
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by t_ichib | 2012-01-14 15:37 | 今日もまたジジ馬鹿・親ばか