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ぺトラと死海② 待望のぺトラ
 朝8時バスでホテルを出発、移動距離は20分足らず。 今日のバスの稼働時間は、往復でも1時間を大きく下回る。 その分、自分の2本の足の稼働率は高い。


f0066555_137104.jpg ぺトラ遺跡というと、両側から岩の迫った狭い道が続くというイメージだったが、ビジターセンターから入ったしばらくは、こうした広々とした道が続く。

 私たちの前方右手に、ジンブロックスと呼ばれる大きなサイコロ状の岩が見えて来る。



f0066555_1331121.jpg その反対側にはオベリスクの墓が見える。

 このあたりには、岩をくりぬいて作られた小さな穴がいくつもあり、それらはすべて墓だという。

 1812年に再発見されるまで、少数のベドウィンと呼ばれる人たちが住み着いていたのは、そうした祠だったのだろうか?


 住んでいた住民たちは、近くの町に移住させられたが、現在のぺトラ遺跡の中で、みやげ物を売り、馬やロバに観光客を乗せるなどの商売が許されているのは、その末裔のみだといわれる。



f0066555_14182870.jpg シーク

 ようやく両側に岩の迫った細い道に入る。 どうしても「ここからがぺトラ」という気になる。

 シークに入った先は見た目にもはっきり分かる下り坂。

 木も草もほとんどない岩だらけの地では、雨が降れば鉄砲水となって押し寄せる。
 そのためシークの手前にダムが築かれ、水はシークの外側へと迂回させられる。

 行く手の少し狭くなった部分にアーチ型の門も築かれており、1812年の発見以後の絵画にも描かれているが、その後の地震により崩れてしまっている。



f0066555_1439343.jpg 給水システム

 リトルぺトラで予習したように、飲料水の確保は重要。
 シークに沿ってこのような溝が設けられている。

 このようにむき出しでなく、水道管(素焼きのパイプ)も残されており、その薄さに技術の高さがうかがわれた。



f0066555_15122822.jpg シークは1.6Km続く。
 道幅は狭いところでは4mくらい。

 昨日のガイドによる予習では、ローマなどの攻撃を受けたナバティア人たちは、ぺトラにあるお墓から遺体を移し、そこに隠れ住んだという。

 当時はぺトラに入る3つある道の一つしか知られておらず、その道はこのシークを通るため、高い所からの待ち伏せを受け、侵入が難しかったという。



f0066555_15251645.jpg 隊商のレリーフ

 シークの中にはいろいろな彫刻があるが、これは2人の商人と2匹のラクダといわれる。
 かなり崩れてしまっているが、1人の下半身とラクダの前足が分かる。
 ぺトラ一帯は砂岩でできており、彫りやすいが水の浸食で崩れやすくもある。

 別の場所で、水路の上によじ登り記念写真を撮っている観光客を見かけ、「遺跡が壊れてしまう。ガイドが注意しなければいけない」と私たちのガイドは不機嫌。



f0066555_1537821.jpg 昨日予習済みの神様

 昨日見たものより、作り方が立派。
 さらに通路の反対側に2人分の窪みが設けられている。 そこで口笛・拍手などの敬意を示すという。
 さらにさらに、通る人が「ちゃんと敬意を示しているか?」と見張る場所もあったという。



f0066555_16574791.jpg シークの隙間から現れるエル・カズネ

 テレビなどの映像で何度も見た憧れのシーン。

 いつ果てるともなく続く長いだらだらとしたシークの道。
 うんざりというのではなく、周囲の高い壁、それに彫られた彫刻の数々、石畳の残る道…
 それらに気を取られているうちに、ガイドの「前を見てください」との声に歓声が上がる。



f0066555_17125915.jpg エル・カズネ(宝物殿)全景

 宝物殿と呼ばれるのには、エジプトのファラオの宝物庫だったという説と、盗賊の宝が高いところにある壷に隠されていたと説とがある。

 第2の説のために、壷にはそれを撃ち落そうとした数々の銃痕がある。

 私たちの立つエル・カズネ前の広場は、当時は何mも低くなっていた。
 ぺトラがローマの属州となってから、馬車が往来できるように埋め立てられたという。

 その証拠というのだろうか。 エルカズネの左右に(現在は地下になっている)墓がある。

 ぺトラは現在も発掘が続けられており、発掘を終えたのはまだ1%に過ぎないそうだ。
 残り99%にどんな発見があり、どんな謎が残されるのだろうか。


f0066555_1747443.jpg シークを抜けると再び墳墓群

f0066555_17525639.jpg 右の大きなものから、左の蜂の巣のような小さな穴が無数に開いたものも。

 確認しなかったが、もしかすると後に住み着いたベドウィン人により、アパート状に加工されたのかもしれない。



f0066555_185313.jpg ローマ劇場跡

 出かけてくる前には、存在することすら知らなかった施設の一つ。
 ローマに征服される前の神殿にも、ギリシャの影響が見えることだし、あって不思議はない。
 これで、たしか2000名収容と言っていた。



f0066555_18173055.jpg 王家の墓

 ローマ劇場の反対側の岩壁に刻まれた4つの墓をまとめて、「王家の墓」と呼ばれている。

 写真は小さくてわかりにくいが、左から「宮殿の墓」、「コリント様式の墓」、「シルクの墓」と呼ばれている。
 写っていないが、この右に「アーンの墓」がある。

 ここから先は開けた場所なので、岩壁の墓はどこからも良く見え、帰り道の目印になる。



f0066555_19103116.jpg 列柱通り

 通路の左側には壊れた柱の残骸が残されている。
 写真に写る説明板によると、それは屋根付のアーケードになっている。
 ガイドの説明では、商店が軒を並べていたという。

 ここはシークとは別のメインストリートのようで、この一番奥には「凱旋門」があり、その左にはカスル・ビル・アントと呼ばれる神殿が並ぶ。

 シークの手前で迂回させられた流れは、このあたりで人の流れに合流する。
 写真より手前には、ニンファエウムという噴水を持った遺跡まであった。



 この先にレストランがありそこで昼食をとり、午前中の疲れを癒し、この先へ英気を養う。
 実は滞在期間があっという間の中で、ここでの食事が一番おいしかった。

 ここから先は険しい山道に入る。 私たちのガイドはけっこうなお年なので、この先は自由行動で。
 と言ってもツアー客9名全員が最後まで登りきった。 足に不安があるお一人だけが、ロバに乗ってだったが。



f0066555_20582951.jpg エド・ディル(修道院)

 息を切らせながら、やっとここまで登りきった。

 一時期修道院として使われたことがあるため、このように呼ばれるが、もともとはナバティア人の王を讃える神殿だった。

 実はエル・カズネ(宝物殿)より大きいが、広い空間にあるためそうは感じない。
 また、未完成の建物ともいわれる。
 そういわれてみると、装飾もシンプル。 中央の入り口こそ中に部屋らしい空間があるが、左右の2つの入り口からは奥がふさがっている。



 エル・カズネで受けた説明では、こうした「建物」では上から下へと彫られていくと言う。
 岩からこうした神殿などを刻み出すには、その方が合理的なのだろう。
 「下の方で寸詰まりならないか?」という心配をしなくても良いくらいの技術を持ち合わせていたのだろう。



 帰り道はほとんど同じコースを、少しだけ寄り道をしながら戻る。
 何年か後には、遺跡内は帰りをシャトルバスを運行させる片道コースに変わるそうだ。
 歩くだけとはいえ、シーズンには1日2000人もの観光客が押し寄せる。 それによる遺跡の痛みを防止するためだ。

 帰り道で、ガイドの説明をちょっとだけ復習できる今のうちに出かけられたのはラッキーだったのだろう。

 その分足は、帰り道の途中から痛くなったが。
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by t_ichib | 2012-03-31 23:58 | 今日もまた旅の空
ぺトラと死海① ぺトラ遺跡の予習
 3月29日からヨルダンに出かけた。 6日間の短期間、行き帰りの2日を除けば実質4日間しかないが、是非ともぺトラ遺跡を見たいと…。



f0066555_2135415.jpg ヨルダンの人口は650万、そのうちの300万が首都アンマンに住む。
 ということは、首都以外は本当に人口がまばらということになる。

 確かにアンマン空港を出発すると、渋滞も街の賑わいも目にすることなく、南部のぺトラ遺跡に向かうことになる。



f0066555_2254062.jpg 首都アンマンは標高1200(ガイドはそう言ってたような?)800mの高地にあり、飲料水の確保のため、水源からパイプラインで水を送っている。

 走っている道路の脇にそのパイプが詰まれており、「まだ建設中?」との問いかけに、ガイドから補修用だと説明された。

 それでも水不足は深刻で、アンマンに住むガイドの家では1週間に一度水が配られ、その後の6日間をそれで過ごすという。



f0066555_2222158.jpg アンマンからぺトラに向かう道路の周囲は、単調な乾燥した大地が続く。

 まばらな集落をたまに目にすると車窓からカメラを向けてしまう。
 こんな乾燥した土地でも所々で羊が飼われており、本当にわずかな雑草を食べているのを見ると、かわいそうなくらい。

 こんなに点々としかない集落にも、きれいなミナレットが聳えるのを見かけると、「やっぱりイスラムの国なんだ」と思ってしまう。


 果樹栽培を主にした農業人口はわずか18万だが、リン鉱石や天然ガスの資源が豊か。 (石油は採れない)



 アンマン空港に着いたのが昼近く、そこからの移動と昼食にも時間を取られ、「今日は明日の予習」とのガイドの言で、リトルぺトラと呼ばれる場所を散策。


f0066555_23145368.jpg リトルペトラに入ってすぐにある神殿

 紀元前1世紀ごろのナバティア人による建設。
 海賊の横行する海路より陸路の方が安全で、砂漠の道を良く知るナバティア人の手により、中国・インドの品もここに集まった。



f0066555_23221231.jpg リトルぺトラはそうした隊商たちの宿営地だった。

 広場からこんな狭い岩の間を通り、リトルぺトラの中心部へ抜ける。

 ガイドの説明では夜間はここを閉め、この奥には誰も入れなくするという。


f0066555_23404969.jpg 中心部にある神殿

 下側にある4つほどの穴は住居、この神殿を守る特別な人(神官?)だけが居住した。


f0066555_23503287.jpg こんな素朴な神

 本体のぺトラ遺跡の随所で見かけたが、この四角い穴に向かって手を叩いたり、口笛を吹き鳴らし、その反響を神の声として聞いたというのだが。
 (なんだか、神様を小バカにしているような)


f0066555_2357867.jpg 当時の食堂跡

 岩場をくりぬいて作られた四角い大きな部屋。
 天井がススで黒くなったいることから、ここで煮炊きしていたことが分かる。

 遠い旅をしてきた隊商たちをここでもてなした。



f0066555_03991.jpg 保護のため柵が設けられた別の食堂

 天井に描かれたブドウなどの絵が残っている。
 煮炊きが別の場所で行われたらしく、ススで汚れていない。

 造りも少し高級だった?のかと。



f0066555_094093.jpg 貴重な水がめ

 周囲は草木もほとんどない岩場、「飲み水はどうしたか?」というと、天然の雨水を貯める。
 さぞ貴重で、大切に使われたことだろう。



f0066555_014131.jpg 岸壁に刻まれた水路

 写真の真ん中に刻まれた溝は、岩肌を伝い降りる雨水を1ヶ所に集めるためのもの。

 しかも、中間に一度水を貯める穴を設け、そこで砂などを沈殿させていた。



 私たちを案内してくれたガイドは、以前教師だったとかで歴史にも詳しい。
 バスで走行中もいろいろな話を聞かせてくれるが、それが紀元前の話なのか、紀元後かあるいはつい100年くらい前のことなのか、聞くほうは素養がない。


 ヨルダンといえば、「インディジョーンズ」や「アラビアのロレンス」などの映画が有名。
 ガイドは、その「アラビアのロレンス」が嫌いという。 「嘘っぱちだ」と。

 映画では、オスマントルコからアラビア人を開放するために戦い、その後イギリスとフランスで分割した会議にはロレンスはいなかったとされる。

 「実際にはちゃんと会議に参加していた」と、ガイドは言う。 歴史を偽り、美化していることが気に入らないと。



 海外に出かけると、映画どころか歴史でさえ、征服者に都合の良いように作り変えられていることに気づき、今までの認識を反省させられることがある。



f0066555_0475339.jpg ぺトラ?に沈む夕日

 実は本当に夕日の向こう側がぺトラなのか自信がない。
 どちらにも同じような岩山が続くので。

 それでも明日は、今日歩いたのが散歩程度に過ぎないほど歩くことになるので。
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by t_ichib | 2012-03-30 23:27 | 今日もまた旅の空
沖縄離島旅行⑦ 最終日
 石垣空港から中部への便は、15:05出発。
 出発までにはたっぷりではないにしても、かなりの時間はある。 黒島のようには行かないので、レンタカーを借りる。

 3年前にきた時に印象に残った場所にもう一度行ったり、前回に行ってなくて素敵なところを発見したりと。



f0066555_20453426.jpg バンケ展望台からの眺め

 西表で借りたレンタカーにはカーナビが付いていなかったし、必要もなかった。
 さすがに石垣では、付いていないと不安。

 最初の目的地のここは、操作説明かたがたレンタカー会社の人に、セットしてもらった。

 その後は自分で目的地を入れたが、ネックとなったのが沖縄の地名が読めないこと。
 ほとんどは地図を表示し、画面上で目的地をセットすることとなった。

 それは沖縄に限らない。 北海道でもその他の場所でも、地名・人名の読み方は難しい。



f0066555_21104146.jpg 御神崎(うがんさき)の海と灯台

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 いきなり、読みづらい「カーナビ泣かせ」の地名が出てきてしまった。
 ここは石垣島でも有数の夕日スポット。



f0066555_22442.jpg 川平(かびら)湾のグラスボート乗り場

 レンタカー会社から「グラスボート100円引き」券をもらっていたので、その会社の方へ行こうとしていたら、別の方角から「1000円のところを700円で!」との声。
 すぐにそちらへ方向転換。


f0066555_2293338.jpg グラスボートからの撮影

 石垣でも、波照間の宿でも大きな貝殻を灰皿にしていたシャコガイ。
 船が近づく気配で、ぱくっと口を閉じるが、身が厚いせいか完全には閉まりきらない。

 グラスボートには3回目だが、どこでもこれくらいの不鮮明さ。

 ただこのボートに関しては、そのガラス部分があまり清掃されていない。
 観光客が落とした髪の毛が落ちていたりで、ちょっと不愉快。



 川平湾を望む絶景ポイントや、八重山ヤシの群落(遊歩道が修理中で近くまで行けなかった)に立ち寄ったりしつつ、底原ダムへ向かう。



f0066555_22233460.jpg 於茂登(おもと)トンネル

 トンネル長1174m、少し前までは沖縄県最長のトンネルだった。

 車を止めて写真を撮ったのは、トンネルの上の獅子を見つけたから。

 当初、「こんな所にまでシーサー?」と思ったのだが、トンネルの穴を玉に見たてた玉乗り獅子



f0066555_22414892.jpg 底原(そこばる)ダム

 1982年に着工、1992年に完成した灌漑用のダム。

 左側には「世果報(ゆがふ)の水」の碑。
 ゆがふとは「世の中のすばらしいこと」あるいは豊年と言う意味の沖縄方言。

 離島ばかりではなく、比較的大きな島の石垣でさえ、「水は大切で深刻な願いだったのだなぁ」と、改めて思う。



f0066555_2324019.jpg 宮良川のヒルギ

 今回の旅行の最終観光の場所。

 3年前にここでカサコソ動き回るカニを見た。
 今回もじっと息をひそめて待ってみたが、カニは出てこず。

 巣穴らしきものはあるのだから、潮の干満が関係するのかも。




 石垣空港からの帰り便は、那覇空港に立ち寄る。 往路は直行だったのに。

 良く事情を知っている人が、同行者に説明しているのを聞いていると、「石垣空港は滑走路が短いので、給油を少なくして離陸する。 那覇空港で再度満タンにして目的地に向かう」と。

 その石垣島にも、1年後には新空港ができる。
 「これで往復とも直行できる!」と思ったのに、ホームページに「2012年3月25日以後は運休します」との文字が。

 なぜ? 往復ともほとんど満席だったのに。
 名古屋からの国際便・国内便ともどんどん撤退が続き、悲しくなる。
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by t_ichib | 2012-03-03 22:57 | 今日もまた旅の空
沖縄離島旅行⑥ 予定外の?
 この旅行の当初の計画では、西表に3泊している間に「鳩間島へも日帰りで…」と思っていた。
 が、天候が悪く「多分欠航する」のと、宿の人の「何もない所だよ」との言葉で、やめにした。

 一方、波照間の後は「石垣で2日間」の予定が、波照間の同宿者の勧めで、急遽黒島へ寄ることにした。
 今度も宿の人からは「何もない所だよ」と一言。 どの島の人も「自分の島が一番」と、思っているのかもしれない。

 「寄る」といっても、離島間を縦横無尽に船便があるわけではなく、一度石垣へ戻りそこから往復する。



f0066555_11505125.jpg 西の浜

 西の浜は海亀の産卵地としても有名。
 ただ、波打ち際から岩場までの砂浜部分の幅は、思っていたよりずいぶんと狭い。

 砂浜は狭かったが、透きとおった水の色は本当にきれい。

 フェリーターミナルからここまで、そしてその先のビジターセンターまでの道は悪路だったが、ここに来て良かったと思う美しさ。



f0066555_13471368.jpg 黒島ビジターセンター

 中に入ると自然や生物の紹介より、島の歌や踊りなど伝統芸能の紹介の方が多い。

 「〇〇村の乙女は貝を採るのがうまい、若者は漁が得意」など、各村々の男女を褒め称える歌に感激。

 次々に上げられる村の数も多く、現在の島民(200名あまり)より「ずっと賑やかな活気に満ちた島だったろうな」と思った。


 ビジターセンターの館長さんは、私たちが行きそびれた鳩間島のことを「むこうの人はこの島を『親島』と言うこともある」と説明。
 昔この島からたくさんの人が、鳩間島に移住したからだと。


 離島間の親子・親戚のような感情も、有力者同士が争い支配・被支配の関係にあった過去もあるだろう。
 波照間では「このあたりでは最も古くから、人が住んでいた」、「この島にはハブがいない」などと、ライバル心なのか島のPRなのか区別のつかない自慢を聞いた。

 そうした島の歴史をほんの少しでも分かれば、もう少し面白いのかもしれない。



f0066555_1461710.jpg フズマリ

 ビジターセンターからは少し海岸に入ったところにある。

 島のもっとも高いところに、見張り台を設け異国船などを監視していたという。

 「本当にここが一番高い?」と疑問にも思ったが、島の標高が14mだと言うから、こんな風に岩を積み上げれば、ちゃんと見張り台になりそう。



f0066555_141584.jpg 南風保多御嶽(ばいふたわん)

 御嶽は沖縄本島では「うたき」と読むが、この島では「わん」と読むらしい。

 島民の神聖な場所だから、あまり立ち入らず離れて写真を撮るのみ。

 資料によると、その数は10を超える。 以前は集落の数も、今よりずっと多かったことだろうし…



 今朝の天気予報では今日は曇り、午後からは雨も降る。
 という訳で、「傘を差して自転車には乗れない」と徒歩で回ることにした。 失礼ながら、「小さな島だから…」とも。

 それなのに雨どころか、かなりきつい日差しさえ。
 先ほどのビジターセンターから見渡した、次の目的地の灯台ははるか先。 予定外の天気とあわせて、「やはり自転車にした方がラクだった?」とボヤキもでる。



f0066555_14415192.jpg 黒島灯台

 ようやく灯台に着く。
 日差しは変わらないものの、海風は心地よい。

 こんな天気になるとは思っていなかったので、小さなペットボトルのお茶しか持ってきていない。

 「喫茶店にでも入って、冷た~いコーヒーが呑みたい!」 でも、お店がある辺りは、ここから歩いて1時間くらいも先。



f0066555_15483692.jpg 「人より牛の方が数が多い」

 と言われる黒島だが、灯台から島の真ん中を通るこの道の両側には、牧場が多い。

 道の両側にはフェンスや石垣で囲われているのだが、どうやって乗り越えたのか道の真ん中に、大きな牛が1頭いた。

 「おとなしい牛だろう」とは思うものの、その巨体が恐くて石垣によじ登り、牛をよけて通る。

 どういう訳か、その先でもまた1頭。 今度は牛の方がよけてくれたが。



f0066555_1613584.jpg 黒島展望台

 この向こう側は黒島小中学校、島のほぼ中央にあるが、回りの牧場だけでなく海まで見渡せた。

 この展望台では確認しなかったが、西の浜・仲里海岸などからは西表島、新城島が間近に眺められた。
 これらの島々に強い風からブロックされているので、「台風でも来ない限り、石垣-黒島のフェリーは欠航しない」と言われている。



f0066555_16204228.jpg 水道記念碑

 黒島には西表島から海底パイプで、飲料水が送られてきている。
 ただ、それが実現したのは1975年、旱魃のたび石垣や西表から水を運搬したと言う苦労を思うと、長~い悲願だっただろうと思う。



 蛇足だが、海水淡水化設備を持つ波照間島でも、西表島からの送水を検討したことがあると言う。
 送水パイプの建設には巨額の費用が必要だが、10年20年の長い期間で見ると、何億もの経費が安くなる。
 が、住民の大半は海底パイプの破損→修復までの断水、 ということを懸念し、現行の淡水化設備継続を選んだ。
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by t_ichib | 2012-03-02 22:39 | 今日もまた旅の空
沖縄離島旅行⑤ 最南端の島、南十字星は見えるか?
 私たちが泊まった宿は、ほとんどご主人一人で食事作りから車での送迎をこなし、大忙し。
 部屋数はそこそこあるのに、「1人じゃ、10人の泊り客が限度」とのこと。

 そのためか、一人客も嫌がらず(相部屋でなく)受け入れている。 それが人気で、常連客もいるらしく、この日の朝食の最中にも次々と、5月の予約が飛び込んでくる。



 さて、波照間島はいうまでもなく、有人の島では日本最南端

f0066555_21101856.jpg だから、学校・売店・駐在所…、とすべてに『最南端の…』という定冠詞が付けられる。

 だから、島のマンホールには「日本最南端、南十字星が輝く島」の文字が。

 ただし、最南端の信号機はここではなく西表島。 つまりこの島には信号機がない。

 最南端の飛行場もある。 採算が合わないのか、今は運航が休止されたまま。



 私たちは前日の予習と、同じ宿に泊まった人たちとの情報交換に基づいて、自転車をこぎ出す。
 その自転車もレンタサイクルでなく、宿から無料で貸してもらえる。



f0066555_21183156.jpg 下田原グスクぶりぶち公園

 このあたりから下の海岸線近くには、貝塚があったそうだが、宿のご主人からの情報どおり、今は畑になっており、貝塚らしき痕跡はない。

 公園名の「ぶりぶち」は城跡という意味だそうで、島の日本復帰を記念して、婦人会などの手によって作られた。

 現在では残念ながら、写真のように荒れ果てている。


f0066555_21312718.jpg その公園付近で見かけた蝶

 近くに訊ねる人もなく名前は分からないが、本土では蝶など見かけない季節だし、少し珍しそうな蝶なので。

 一度海岸線まで降りて、町中まで坂を上るのはつらい。 自転車を降り押してあがる。


f0066555_21372390.jpg 日本最大の蝶、オオゴマダラ

 撮った場所は、シムスケー(古井戸) 水不足に悩む島で、「牛に教えられて掘った井戸」という伝説がある場所。

 よほど蜜がおいしいのか、一つの花に3匹の蝶が群がり、近づいても逃げるそぶりも見せない。



f0066555_2281369.jpg 2枚羽の風力発電

 2枚羽というのは日本で唯一とか。 何のために?
 実は台風の強風で壊れるのを防ぐための、「可倒式風車」なのだそうだ。
 一般的な3枚羽だと、倒したときに1枚が潰れてしまう。


f0066555_222354.jpg 集落に近くにある火力発電所

 風力発電所はまだまだ実験的なもので、電力の主力はこの火力発電。
 飲料水と同様に、他の島から供給を受けるのではなく、電力も自前。

 実際に回った順序と異なるが、ついでなのでここに紹介した。



f0066555_22325894.jpg 有人島で最南端の灯台

 島でもっとも高いところにあり、ここまで上がってくるのには息が切れた。 といっても、標高60m。
 通常、灯台というと海に面した崖などにあるが、ここは島のど真ん中。 これも珍しい。

 島の需要文化財に、コート盛というものがあるが、それが昔の灯台。 石を積み上げた小山のような場所で、火を燃やし遠くの船から見えるようにしていた。
 それも集落の近くで、海岸近くではない。



 同じこの高台には、もう一つ重要な島の施設ファームポンドがある。
 飲料水は淡水化設備で確保しているが、農業用水は雨水をリサイクルで利用する。

 リサイクルというのは、畑からの排水+雨水を6ヶ所の貯水池に一度溜め、そこからこのファームポンドに送水ポンプで送る。
 そこから再び畑に送水管で水を送り、バルブを開くだけで利用できる。



f0066555_2305163.jpg 高那崎付近の海岸線



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 ←トラ口と呼ばれるビューポイント

 島東部の海からの波が風にたたきつけられ、ごつごつした岩が見るからに荒々しい。

 近くに数年前の台風で転がってきたという、何十トンもの大岩があり、自然の脅威を見せ付けられる。



f0066555_23183515.jpg 日本最南端の碑

 近くにある別の2つの碑に比べ、ややみすぼらしいのは、沖縄復帰前の1975年に本土から来た学生が、アルバイトで貯めたお金で「日本復帰」を願って建てたものだから。

 この碑の手前には2匹の蛇が絡み合うように、石が並べられた道が続く。
 「再び引き離されることのないように」という思いが、そこに込められている。



f0066555_23364156.jpg 南浜に咲いていたハマユウ

 ここにはごつごつした岩場ではなく砂浜が広がるが、潮流の変化が激しく遊泳禁止になっている。
 ハマユウは花ばかりでなく、既に実をつけているものもある。

 ほかに、やはり沖縄特有の植物なのか、大きめのマメの実を見つけた。
 ガイドがいれば、きっと「食べられる?」と聞いたことだろう。



f0066555_23495538.jpg プレミアものの「泡波」の酒造所

 沖縄の酒といえば泡盛だが、この島でだけ作られている泡波は希少価値もあり、マニアの垂涎の的。
 島には5つほどの集落があり、その集落ごとに共同売店があり、生活必需品はそこで買い求められる。

 その売店に100mlくらいの容器で320円で売られている。 ←「1人2本まで」との但し書きつきで。
 実はこの翌日石垣のお店では、これが1000円の値がついていたのを目にする。 (2~3合の小瓶が6000円)
 店にはこのサイズのものは置かれていない。 正確に言うと、店に並べられると同時に売切れてしまう。

 「島を出ると何倍にも跳ね上がる」というのは、ウソではない。


 さらに蛇足を付け加えると、私たちの宿はこの酒造所の斜め前にあり、泡波が何本もストックされている。 (「宿で買い占めている」との声も)
 夕食の後など、6000円サイズが気前良く振舞われる。 (呑兵衛は宿代がタダになる)



f0066555_0161627.jpg 辻々で見かける石敢當

 これほど手の込んだものでなく、四角い石に文字が書かれただけの物もある。

 通りがかりの小学生に聞いてみる。
 「『いしかんどう』といって魔よけです」、「魔物が曲がって来られないように」と教えてくれる。
 それで、曲がり角に置かれているのか。



f0066555_0232987.jpg 星空観測タワー

 夕食後宿からの無料送迎で、宿泊客全員が星空観測タワーに向かう。
 今夜は晴れていて、星を見るには絶好の日。

 せっかくの望遠鏡は現在修理中だったが、実際の星空を見ながらの説明は、ユーモアを交えて楽しく聞けた。



 南十字星が見えるのは、夜中の2時から4時までの間。 一度宿に戻り、2時に目覚ましをセット。
 …で、2時。 雲が広がり星など見えない。 悔しい!

 ところが翌日。 3時に目覚ましをかけた人は、晴れていて見えたという。 3時半に起きた人も。 さらに悔しい
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by t_ichib | 2012-03-01 23:15 | 今日もまた旅の空