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クロアチア旅行(番外) 不愉快で残念な2つのこと
 クロアチアから日本への帰国の旅は、まずドブロヴニクから首都ザグレブまで、空路を国内便(クロアチア航空)で飛ぶ。
 国境通貨のわずらわしさより、バスによる長時間の移動を避けたものだと思う。

 その後は来たときの逆コース、ザグレブ=ドーハ、ドーハ=関西空港といずれもカタール航空で、そして関西空港から名古屋駅へは、バスで。


 私たちのスーツケースは、ドブロヴニクで預ければ、ザグレブで預け直ししなくても、関西空港まで届くという。
 わずらわしさが一つ減って、そのときは喜んでいたのだが...


 ザグレブを出発した便は途中ブダペストにより、そこからの乗客を乗せ、ドーハに向かう。

 一つ目の不愉快な出来事は、そこから乗り込んだ中国の団体客。
 といっても、10~15名くらいに過ぎないのだが、そのうるさいこと・マナーの悪いこと。

 5~6列以上も離れた席に分かれて座ったのに、私たちの頭越しに喚きだす。
 一人が話し終えていないのに、別の人がしゃべりだし、さらに別の人がそれにかぶせて話し出す。
 言葉の分からない私たちには、まるで喧嘩をしているみたい。 そして延々と。

 すぐ後ろの席から、英語で「静かにして欲しい」との声が上がったが、彼らの声の方が大きくてまったく届かない。

 着陸時に、「座席を元の位置に...」という声にも耳を貸そうとしない。 客室乗務員が手を出して起こさないといけない。


 旅行先でたびたび中国人観光客と出会うが、こんなことはほとんどない。
 あるいは観光客ではなく、旅行などの経験があまりない出稼ぎ労働者たちだったのだろうか?

 経済大国となり、世界中の人が中国と中国人に注目している今、公衆の場でのマナーを国として教育して欲しいと、残念に思った。



 2つ目の不愉快な出来事は、関西空港についてから。

 ターンテーブルを流れてくる妻のスーツケースを受け取ろうとして、異常に気づく。
 取っ手が取れ、鍵が引きちぎられている。

 私のスーツケースの方は一見異常がなかったのだが、「中が荒らされている」との他の乗客の声に、もしやと思って確かめてみると、私の方もTSAロックが壊され開けられていた。

 ロックは鍵を使っても、再び閉めることができない。
 旅行保険で修理ができるが、余計な手間が相当かかるし。


 私たちのグループの半数以上が被害にあい、一方大勢の乗客のうち、私たち以外には被害の様子が見られなかったことから、一番疑わしいのはドブロヴニク空港。


 添乗員によれば、「元社会主義国では、あまり泥棒をする人はいないんだけど、最近では移民が増えているから...」と。
 そのことはともかく、空港などは他の国の人にとっては、その国の玄関。
 国の威信をかけても、犯罪などの起こらない場所にして欲しいと。
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by t_ichib | 2012-05-24 11:28 | 今日もまた旅の空
クロアチア旅行⑤後 コトル
 今回の旅の最後の観光地は、モンテネグロのコトル。

 国名のモンテネグロは、黒い山という意味のイタリア語に由来する。 ただしフランスのモンブラン(白い山)のように特定の一つの山ではなく、黒い山の連なる地域の意味だそうだ。

 1991年からのユーゴスラビア紛争では、セルビアに強調的な立場をとり、連邦にとどまった。
 しかし1997年以後、徐々に独立の気運が高まり、2006年の国民投票(賛成55.5%)により独立した。


 ドブロヴニクを後にした私たちのバスは、3カ国目の国境へ。 ここが、運転手の「日本からの観光客」との一声で通過できた国境。

 アドリア海はリアス式海岸という、山が直接海に突き出たような複雑な海岸線が続く。 山峡の間に広がる湖と思うと、「実はアドリア海」と添乗員に告げられる。

 コトルはそのアドリア海でも、もっとも内陸に入り込んだ湾にある。

 中世には、ベネチア、ラグーサ共和国(ドブロヴニク)と覇を競った商業都市である。



 【世界遺産】コトル

 コトル旧市街
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 正門付近に掲げられた旧市街の略図、東が上に描かれており、西・北・南の3つの入り口がある。

 ほぼ正三角形の形をしており、右はアドリア海・左に川・背後を黒い山が守る。 しかも、山の中腹にまで及ぶ総延長4.5Km の城壁が、旧市街を取り囲む。


f0066555_23221690.jpg 川側の城壁と要塞

 私たちの位置は上の図の左下。

 入場前に町を取り囲む城壁を撮ったのだか、午前中は何とか待ってくれた雨が降り出し、山の中腹は低い雲に覆われ見通しが悪い。



f0066555_23275565.jpg 海の門(西)

 上の略図では下側、現在地を示す赤い▲の位置、ここが正門になる。

 人の身長に比べて、城壁の高いこと、入り口がそんなに大きくないことが分かる。


f0066555_23482828.jpg 時計塔とその下の三角のもの?

 西門を入るとその正面にあるので、すごく目立つ。
 時計塔は分かるが、この黒い台は?

 罪人をさらす、さらし台だったとか。

 良く見ると塔の中ほどに同じ形が?
 以前はあの位置にさらし台が取り付けられていた?



f0066555_23552629.jpg 武器の広場

 西門と時計塔の間、左に広がる広い空間。

 右手の1階が武器庫、2階が総督府だった。
 左側の貴族たちの邸宅跡は、カフェやみやげ物屋になっている。


f0066555_074620.jpg 聖トリフォン大聖堂

 コトルの守護聖人トチフォンを祀る、カトリックの教会。

 1667年の地震のあと再建。
 当初は壮大のものを再建する予定だったが、資金が続かず(現地ガイド談)、二つの鐘楼のうち左側は未完成。


f0066555_018193.jpg 聖ニコラ教会

 東方正教会の教会。
 正教会では、「十字架の縦横の棒が同じ長さ」だと以前に聞いたが、ここではカタカナの「キ」にさらに斜めの棒を加えたような、八橋十字架が屋根の上などに取り付けられている。

 同じ広場に同じく正教会の聖ルカ教会があり、小さいけれどそちらの方が歴史・由緒があるらしい。


f0066555_0471453.jpg 川の門(北)

 いったん旧市街から北門を出て、橋の上から写真を撮る。

 青い標識は、もちろん世界遺産のマーク。

 再び、旧市街に戻るが、添乗員からは「ここのガイドさんは、とても丁寧に説明されたので、フリータイムがほとんどありません」と。


 そう言われなくとも、この雨では足元も危ないし、見晴らしも利かないから、背後の城壁方面を歩くことなど考えもしなかった。


 再び、逆コースで国境を越え、昨日と同じホテルへ。 翌日は帰国の旅を残すのみ。
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by t_ichib | 2012-05-14 22:19 | 今日もまた旅の空
クロアチア旅行⑤前 ドブロヴニク
 昨夜おそく、大きな雷鳴とともに激しい雨が。 悪い予感が当たるのは2日続けて...
 ホテルは旧市街ではないものの、同じドブロヴニク市内なので、バス移動も15分ほど。


 【世界遺産】ドブルヴニク

 ロープウェー山頂駅から見下ろした旧市街
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 写真中央の城壁に囲まれた部分が、旧市街。

 私たちが入ったピレ門(西)は右端あたり、反対側の港が旧港、右下の城壁に沿った丸い建物がミンチェタ要塞。

 実際にロープウェーに乗ったのは、現地ガイドに旧市街を案内された後のこと。
 それなのに旧市街は同じような赤い屋根がびっしりで、どれがどれなのか区別できない。


f0066555_17502715.jpg ピレ門

 ドブロヴニクは、中世にはラグーサ共和国という都市国家だったそうで、海洋貿易などで栄え、また他民族の脅威などから、独立を保ってきたようである。

 この高い城壁と堀で堅固に守られていても、何度も脅威にさらされたことだろう。


f0066555_804126.jpg オノフリオの大噴水 

 ピレ門を入ったすぐの広場にある。
 この後のフリータイムの後の集合場所が、ここ。 ここなら迷うこともないようだ。


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 噴水というと、「盛大に水を噴き上げている」さまを思い浮かべてしまうが、16面のレリーフの人の顔の口が蛇口になっており、そこから水が流れ出ている。

 噴水以外に適当な日本語がみつからない、ということなのだそうだが。


f0066555_832484.jpg プラツァ通り

 旧市街のメイン通り、 左右はカフェ・商店が軒を並べ、クロアチアでもっとも古い薬局も健在。

 私たちが入った時間が早いので人通りも少なく、ピレ門からルジャ広場方面へ向かう人ばかり。

 フリータイムのころには、西側にある新港に大型観光船が着き、その観光客でいっぱいに。


f0066555_8451399.jpg ルジャ広場

 上の写真の突き当たりにあるのがルジャ広場。
 時計塔の左がスポンザ宮殿、右に市庁舎、旧総督府が並ぶ。

 その総督は1ヶ月交代で任命され、任期中は一歩も外出できない慣わしだったとか。 さぞ一日千秋の思いで、任期の明けるの待ったことだろう。



f0066555_11453898.jpg オルランドの像

 ルジャ広場の中央に、小噴水と並んで建つ柱の下部にこの像がある。
 像の右腕から肘までの長さ、51.2cmが織物の商取引の単位となった。

 実際には計りにくいため、同じ長さが台座に直線で刻まれている。
 背後の建物は、聖ヴラホ教会。


f0066555_12334858.jpg 教会の屋根に立つ聖ヴラホ

 ヴラホは、ベネチア軍が攻め込むのをいち早く人々に知らせ、町の危難を救った。
 ドブロヴニクを手にしているのは、町の守護聖人であることを表し、ピレ門をはじめすべての門に同じような彫刻がある。



f0066555_13515123.jpg 大聖堂

 プラツァ通りはルジャ広場で右に折れ、大聖堂に突き当たる。
 正式名は聖母被昇天大聖堂で、主祭壇にイタリアの巨匠ティツィアーノが描いた「聖母被昇天」が飾られている。

 ラグーサ共和国時代には、カトリック以外の教会の建設が禁じられていたが、その後はモスク・シナゴーク・セルビア正教会などが立てられている。

 さまざまな民族・宗派の人がここを訪れ、居住したこと、それだけ交易が盛んだったことが分かる。


f0066555_14103173.jpg 外から見る城壁

 プロチェ門からいったん外へ出てロープウェー乗り場に向かう。

 背の高い方が城壁、右端がミンチェタ要塞。
 この高さなら、攻め込まれる心配はかなり低いと。



f0066555_14323195.jpg 城壁の上の遊歩道

 遊歩道は1周約2キロ、左回りの一方通行になっている。
 写真は、ミンチェタ要塞から旧港方面を望む。

 聖ルカ要塞で入り、大半の人がピレ門で降りる中、私たちはそこを通り過ぎた。
 入り口が3箇所しかなく一方通行なので、次の聖イヴァン要塞まで少し急ぎ足で進むことになった。
 一周でも2Kmしかないから、急ぐこともなかったのだが。


 最初にも書いたが、ちょうどこの頃に入場した観光船からの大集団に巻き込まれ、集合場所のオノフリオの大噴水までたどり着くのに、少々難儀した。
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by t_ichib | 2012-05-14 12:16 | 今日もまた旅の空
クロアチア旅行④後 モスタル
 今度の旅行に出かけてから、飛行機の中やホテル、移動中のバスの中などで泥縄式に、ガイドブックをめくり、やっと気づいたことがある。
 旅行社か用意した今回の旅の日程表、その表紙に印刷された美しい石の橋が、きょうの午後に訪れるモスタルのスタリ・モストだと。


 旧ユーゴから独立した各国の中で、もっとも悲惨な内戦を経験したのが、ボスニア=ヘルツェゴビナ。
 既に、ユーゴスラビア軍の攻撃で悲惨な状況にあったモスタルに、クロアチア軍までが加わったのである。

 ボスニアはイスラム教徒が多い国だが、カトリック教徒も少なくない。 ボスニアからの分離独立を主張する勢力を支援して、クロアチアが介入した。


 スタリ・モストはその戦闘の中で、クロアチア軍が爆破した。


 1995年の停戦合意後、国連などの支援により町及びスタリ・モストは2004年までに復興した。
 そして、2005年にはスタリ・モストと周辺の旧市街が世界遺産に登録された。


 沿岸部のトロギールを出発したバスは、途中から山道に入り国境を通過。
 今回の旅では何度も国境を越えたので、記憶が定かでないが、警備官がバスに乗り込み一人一人のパスポートに、スタンプを押していったのは、この国境だっただろうか?


f0066555_6241511.jpg 建物に残る銃弾の痕

 バスが町に入ってすぐに、こんな銃弾の痕が残る廃墟を目にし、全員の口から「おおーっ」という声が漏れる。

 既に戦争から20年、これらは意識的に残されているのだろうか?

f0066555_6332226.jpg 上の写真では、特に下のほうに集中して無数の銃痕が残っている。
 が、小さくて分かりにくいので、もう1枚。

 こちらはバスを降り歩き始めてから、目にしたもの。



 上の写真の建物の手前に道路があり、その東西にイスラム教地区・キリスト教地区と別れ、激しい戦いが続いた。

f0066555_97298.jpg 聖ペーター教会

 現在では、キリスト教会・イスラム寺院ともに修復し、民族・宗派間の融和も進んでいる。
 私たちを案内してくれたイスラム教徒の現地ガイドも、キリスト教徒の娘さんと挙式の予定だとか。 少しほっとする。



 そして、スタリ・モストの全景
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 スタリ・モストとは、古い橋という意味、都市の名モスタルもこの橋に由来する。

 中央部が少しとがっていて、左右に傾斜のある美しい橋。 橋脚がない。
 「滑りやすいので気をつけて」とガイドブックにあるが、それほどでもない。 ただ、今日が雨だったなら?

 幅4m、全長30m、水面からの高さ24m。 夏場には「度胸試し」に、橋から川に飛び込む人がいる。

 まだ時期が早いし、今日は曇り空で寒いからとあきらめていたが、そろそろ帰ろうかというころに、一人の若者がやってくれた。 観光客の間からは拍手が。



f0066555_9403010.jpg 橋の上からの景観もすばらしい。

 先ほどの飛び込みの話だが、私たちには川の深さの見当もつかないが、水温は冷たく危険なのだとか。
 添乗員の話によれば、川に飛び込むための「学校」があり、及第点をもらった人だけが飛び込めるとか。

 「度胸試し」は古くから行われているようで、最も古い記録は1664年だという。


f0066555_9495836.jpg 爆破された元の橋の残骸

 橋の下には、説明されなければ気づかない橋の残骸が残されていた。

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 右は同じく爆破された橋のかけらに刻まれた「DON'T FORGET '93」の文字。

 爆破されたのは1993年11月のこと。 平和と復興のシンボルとして、新しい橋の片隅に置かれている。


f0066555_1041251.jpg クユンジュルク通り

 銀細工のお店が多く、ほかには背後に見えるスタリ・モストを描いた絵画を売る店も多い。

 お勧めと思ったのはアイスクリーム、ザグレブなどでは7クーナ(100円)だったものが、ここでは5クーナ(75円)くらい。
 安いのだが、「今日の天候では...」と皆さんはあきらめていた。


 ボスニア=ヘルツェゴビナのごく一部を見ただけだが、まだ傷跡が残る町が痛々しい。
 が、首都は今も私たちの記憶に残る、冬のオリンピックを開催したサラエボ。 オリンピックを開催できるほどの力のあった国、遠からず復興できるだろう...と。



 再び国境を越えクロアチアへ、そこから一気にドブロヴニクへ...と思っていたが。

 実はドブロヴニクは珍しい飛び地となっていて、クロアチア本土とは接していない。 陸続きなのだが、間の10Kmほどの海岸線は、ボスニア=ヘルツェゴビナ領。


 この10Kmの区間で入国・出国をするのでめんどうだが、その間にあるネウムという町が面白い。
 私たちもそこで休憩を取ったのだが、そこのお店では現地通貨だけでなく、ユーロ・ドル・日本円なども使える。

 クロアチアより物価が安いので、酒・タバコなどを買うために、国境を越えここを訪れる人も多いとか。(クロアチアのクーナも使える。)


f0066555_1053394.jpg そしていよいよアドリア海の宝石、ドブロヴニク

 ドブロヴニクに着く前に、「ここからの眺めが絶景だから」と、運転手がバスを止めてくれた場所。

 しばし、バスを降り撮影タイム。

 実際の観光は明日だが、期待が高まり、明日が待ちきれない。

 一抹の不安は天候のみ。
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by t_ichib | 2012-05-13 22:47 | 今日もまた旅の空
クロアチア旅行④前 トロギール
 昨日の悪い予感はあたって、どんよりとした曇り空。
 日が差さない分、涼しいどころかひんやりと肌寒い。 何度も来たことがある添乗員は「この時期のアドリア海で、寒いなんて…」と、初めての経験だそうだ。

 それでも、雨さえ降らなければいい。


 【世界遺産】トロギール

f0066555_17275034.jpg 運河で隔てられた人工の島

 昨日のスプリットで「守りを3方に減らす」ことを書いたが、さらに運河で隔ててしまったのがトロギール。

 私たちのバスは写真の手前の駐車場まで、旧市街へは橋を渡って入る。
 特別説明はされなかったが、当然この橋も石造りでなく跳ね橋などだっただろう。


f0066555_17354511.jpg 陸の門(北)

 橋を渡っても町は城壁に囲まれ、北門をくぐらないと中に入れない。

 入り口は小さく、壁も想像していたより低い。
 造りも質素だが、こちらは宮殿ではないので納得。


f0066555_17442334.jpg 城壁内の通り

 こちらは想像通りの狭さ。
 両側の建物が高いので、圧迫感がある。

 旧市街は曲がりくねった小道が多い。
 敵に攻め込まれても、先が見通せないため(どんな待ち伏せがあるか分からず)、一気に侵入できない。
 そのことは、日本の宿場町にある「枡形」を連想し、納得しやすい。



f0066555_1843448.jpg 聖ロブロ大聖堂

 両側を高い建物にさえぎられていた道を抜けると、急に高い鐘楼が目に飛び込み、ちょっと驚く。

 トロギールはロマネスク=ゴシック様式の建造物が、保存状態が良い状態で残されている町なのだとか。

 現地ガイドから「鐘楼の3層の窓のすべてが、異なる時代の様式で作られている」と、説明をうける。
 それでも、上2層の違いはよく分からないが。

f0066555_2014224.jpg 有料だが大聖堂の中を見学することができる。 ただ、この日は日曜でミサが行われていたため、見学できない。

 さらに、「聖体拝礼」の儀式が行われるとかで、この後のフリータイムの時間には、真っ白な衣装にローソクを手にした子供たちが、両親とともに大聖堂に向かうのを見かけた。


f0066555_18194251.jpg ラドヴァンの彫刻で飾られた正門

 左側には、イヴを背に乗せた雌ライオンが、腹の下にいる子ライオンのために羊を捕らえている。

 右側には、アダムを背に乗せた雄ライオンが、悪の象徴の大蛇を踏みつけている。

 クロアチアで最も重要な、ロマネスク=ゴシック美術の作品と言われる。
 が、私にはライオンが説明されなければ、ライオンに見えないし...


f0066555_1831293.jpg 正門上部の彫刻

 正門の柱や上部などには、いくつもの聖書のエピソードが彫刻で施されている。

 下側はキリスト誕生の場面。
 右端の女性が飼い葉桶に湯を注ぎ、中央のマリアが生まれたばかりのキリストを、産湯につけようとしているところ。


f0066555_2052063.jpg 広場と市庁舎
 大聖堂の南側は広場となっており、そこにはいくつかの重要な施設が集中している。

 写真は、東側に建つ市庁舎。
 古い建物だが、旧〇〇とか言っていなかったので、現役の市庁舎だと思う。(日曜だったので、自信がない)


f0066555_20241077.jpg ロッジア
 広場の南側、大聖堂に向かい合うように建っているのが、ロッジアと呼ばれる涼み廊下。

 憩いの場としてだけでなく、集会の場として、さらに裁判の場としても用いられた。
 (集会に限ったことなのか?)女性は入ることが禁じられていた。

 写真の左側(市庁舎寄り)には、時計塔が建ち、それも重要な施設の一つ。


f0066555_20362853.jpg 海の門(南)

 トロギールの門は南と北の2つ。

 夜になると2つの門は閉ざされ、誰も入ることができない。
 面白いことに、この南門の右側には、門限に遅れた人のための宿泊所が作られていた。
 (そんな施設が必要なほど、頻度が高かったのだろうか?)


f0066555_20472280.jpg カメルレンゴ要塞

 トロギールは海へ進出するのに絶好の位置にあったので、長くべネチアに支配されていた。
 カメルレンゴは、ベネチア軍が海側を見張る要塞であった。

 が、現地ガイドは「ベネチアは住民たちに嫌われていたので」、住民たちからベネチア兵を守るための施設だったと言う。


 クロアチアはクロアチア王国の短い期間を除き、ギリシャ、ローマ、ベネチア、オーストリア=ハンガリーなどの支配を受け続け、やっと独立を果たしてまだ20年足らず。
 自分たちの国を持てた喜びと、過去の苦い思い出を吐露したものだろう。


 今日の午後は再び国境を越え、ボスニア=ヘルツェゴビナへ。
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by t_ichib | 2012-05-13 12:20 | 今日もまた旅の空
クロアチア旅行③後 スプリット 
 プリトゥビッツェの観光後、昼食をとり次の観光地スプリットへ向かう。
 標高5~600m、ボスニア=ヘルツェゴビナとの国境に近い内陸部から、アドリア海沿岸へと。 距離は分からないが、3時間ほどを南東に走る。


 【世界遺産】スプリットの史跡群・ディオクレティヌス宮殿

f0066555_11455013.jpg 宮殿の想像図

 ディオクレティヌスはキリスト教徒を迫害した最後のローマ皇帝。
 彼は皇帝を引退した後、ここに宮殿を立て住まいとした。
 海に面した南門(青銅の門)、北(黄金の門)、東(銀の門)、西(鉄の門)の4つの門を結ぶ道が十字の形で交差する。

 海に接しているのは、敵の攻撃から守るのが3方で済むからという考えで、この後の観光地トロギール・ドブロヴニクでも共通。

 その海に面した左側が皇帝の宮殿、右側手前がぺリスティルと呼ばれる中庭、後側が皇帝の霊廟だった。
 東西の道路より奥は、兵士たちの住まいだったという。


 彼の死後は一時廃墟となっていたが、他民族からの攻撃を避けるために、住民が宮殿内部に移り住んだ。 その後、手狭になったため西側の壁を取り除き、町の規模はほぼ倍に広がった。



f0066555_1313092.jpg 現在の宮殿南側

 私たちが現地ガイドと落ち合い最初の説明を聞いたのは、当時は海だったこの場所。

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 海は、さらに右手に広がる。


f0066555_13295699.jpg 宮殿の地下室

 当時は船で横付けされた南門を、今は歩いて入ることができる。
 最初に入ったのは宮殿の地下室。
 外はあんなに暑かったのに、寒いくらいにひんやりとしている。

 住民が入った当初は倉庫として使われたが、後にはゴミ捨て場となっていた。


f0066555_13421268.jpg ローマ時代の水道橋の地図

 ガランとした地下の空間でいろいろな説明を受けたが、覚えているのは

 ① 皇帝が迫害したキリスト教徒から憎まれ、彼の遺物がほとんど残っていないこと
 ② 写真の水道橋は現在も利用されていること
 の、2つくらい。


 地下室を抜けると、そこにはさまざまなみやげ物屋が軒を並べている。
 彼らはここに住んでいた人たちの子孫で、今もここに住んでいるという。

 意外に安いようで、妻も孫のTシャツを買っていた。



f0066555_1423842.jpg 前庭で歌う男声コーラス

 宮殿前の中庭から階段を上がると前庭に出る。
 丸い広場で天井は吹き抜けになっている。 全体として上が少し狭くなった円筒形。

 この日が土曜日だったせいか(あるいは毎日?)、男声コーラスが美しいハーモニーを響かせていた。(音楽好きな何人かが、彼らのCDを購入)



f0066555_14185559.jpg 大聖堂

 前庭の反対側の階段を下りると、大聖堂の前に出る。
 かっては皇帝の霊廟だった場所が、皮肉なことに彼が迫害したキリスト教の大聖堂になっている。

 今日はここで結婚式が催されているため、内部を見学することができない。
 ちょっとがっかりと思っていたら、ガイドツアーが終わったフリータイムに...


f0066555_14254396.jpg 結婚式後の踊り

 しばらく前から、民族衣装らしき装いの若い男女が待っており、花婿花嫁が現れると花火が打ち鳴らされ、音楽と踊りが始まる。

 主役の花嫁たちは、教会の会談のところに小さく写っている。

 フォークダンスのようで彼らも踊りに加わり、次々に相手を変え(今日だけ?)踊りだす。

 旅先でこんな場面に出くわす偶然にも、よその国の他人の幸せであっても、なんだかうれしい気がする。


f0066555_14413175.jpg 黄金の門(南)

 ガイドツアーではさらに南に進み、南門に出る。
 黄金の門という割りには、あんがいとあっさり。 当時はもっと華やかに彩られていたのだろうか。


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 グルグール司教像

 その代わりというわけでもないだろうが、南門のすぐ近くにこんなバカでかい像があり、嫌でも人目を引く。

 そして彼の左足の親指に触れると幸せになれるという。
 こんな話はイタリアのベローナでも…
 彼の左足の親指は、ジュリエットの右胸同様ピカピカ。



f0066555_15104511.jpg 鉄の門(西)

 南門を出ると、かっての城壁沿いに西側を歩く。
 宮殿跡は南北215m、東西180mなので、狭い通りの向こう側に東門が見通せる。

 右側の像も、キリスト教の聖人の誰かだと、ちゃんと説明を聞いたはずなのだが...

 代わりに少し興味を引いたのが、写真上部の時計塔。


f0066555_15241018.jpg あまり見たことがない24時間時計

 真下が深夜の24時、真上は正午。 現在示しているのは17時3分前となる。

 (写真をクリックして大きくしてみると、文字盤が見えるだろうか?)4時のところは、IV でなく、IIII となっている。
 一方14時は XIV に、なっているし、なんだかテキトー?


 スプリットから30分近く戻ったトロギールで、今日は宿泊。(観光は明日)
 今日は(特に午後は)暑かった。
 が、プリトゥヴィッツェの現地ガイドが、気になることをつぶやいていた。 「明日は天気が悪くなる...」と。

 あの公園が雨に濡れると、足を滑らす人がいるかもしれないが、私たちだって雨だと困る。
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by t_ichib | 2012-05-12 22:35 | 今日もまた旅の空
クロアチア旅行③前 プリトゥヴィッツェ湖群国立公園
 昨日は走行距離が200Kmを越える強行軍とはいえ、それはバスが走った距離。 自分の足では、鍾乳洞内の2Km弱しか歩いていない。
 体はバスの座席の形でこわばってしまった気さえする。

 それで夕食の前と後に、体をほぐしに外へ出て歩き回る。
 ホテルそのものも国立公園の中にあるので、コンビニやスーパーなどはないが、ブナ・モミなどの森におおわれ、小鳥のさえずりは絶える間もない。

 寝る前の一服を楽しむためにベランダに出ても、(夜遅いのに)小鳥の鳴き声はどこかから聞こえてくる。
 海外に来ていつも不思議に思うのは、耳障りな声でなくカラスの姿を見かけないこと。



 【世界遺産】プリトゥヴィッツェ湖群国立公園
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 私たちが宿泊したホテルは、中央下段の緑色の②の入り口付近だが、バスで移動して右側の①の入り口から入る。

 上湖・下湖とあるだけではあまり役に立たないが、地図には日本語も書かれている。 (カタカナもあるから、中国語ではない)
 16の湖が標高636mから503mの差で、南北に8Kmにわたり連なる。

 湖群全体の広さは2平方Km、その水は地図右端のコラナ川に注ぐ。


f0066555_11144463.jpg コラナ川

 地図の①を入るとすぐに、コラナ川を見下ろすポイントに出る。

 落差があり、見下ろすにちょっと怖いくらい。



f0066555_11283981.jpg ほとんど同じ場所から、下湖群の一部を見下ろす。

 落差のある2つの湖は、石灰質堆積物(石灰華)が自然に作ったダムにより、形成される。

 そのダムが遊歩道になっており、そこまで降りていって向こう岸に渡る。


f0066555_11403100.jpg 大滝

 上の遊歩道から、いったん右方向(コラナ川方面)に入り、左方向に曲がった所にある。
 最初の地図では、下湖と書かれた下に小さく「大滝」と書かれている。 (英語でもBig WaterFallとしか書かれていない》

 湖群全体では92もの湖があり、そのほとんどに名前など付いていないので、こんな安直な名前が。
 安直な名前、あるいは名前のあるなしに関わらず、美しい滝がいくつも。

 日本でなら、〇〇四十八滝などと小さな落差まで数え上げ、すべてに名前をつける。
 ちょっとしたことだが、国民性の違いがうかがえ興味深い。



f0066555_12274448.jpg 国立公園内には1,267種の植物のほか、321種のチョウ・161種の鳥などが生息し、最大のものはヒグマ。

 現地ガイドさんも動植物には詳しくないのか、写真の魚をコイとか言ってはいたが。

 国立公園の中なので、焚き火・動植物の採取はもちろんダメ。 エサやりも禁止なので、日本の池のコイのように寄ってこない代わりに、釣られることもないので逃げもしない。



f0066555_12375282.jpg 湖の渡し舟

 下湖群の最後の湖はエコ船で渡る。 電動なのか、音が静か。 波もないので、滑らかに進む。

 もう一つエコカーでの移動も入場料に含まれているのだが、出口にあたる地図の②はホテルのすぐそば、乗らなかったので電動だったかは分からない。

 この渡し舟は休憩所・おみやげ屋に着き、その先は上湖群となる。


f0066555_1223428.jpg 湖岸の標識

 それぞれの湖の岸には、その湖の名前と左から順に標高554m・広さ8ha・水深10mを示す標識が立てられている。

 白い縦の矢印が地図上の現在地。
 湖の高低差が分かって面白い。 この高さだと下湖に近いが、ここは上湖群になる。



f0066555_12552285.jpg 絶景の遊歩道

 こんなスゴイような木道を歩く。
 もっとも遠くから見て絶景と思えるので、自分がそこを歩くときは「横に大きな岩があるな」としか思えない。

 この国立公園を含む一帯もカルストなので、昨日のポストイナのような鍾乳洞が、近くにあるのかもしれない。


 朝出発してから2時間半、すっかり暑くなったが、添乗員が言っていたように「マイナスイオンをいっぱい浴びて」気分は爽快。
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by t_ichib | 2012-05-12 12:58 | 今日もまた旅の空
クロアチア旅行② ポストイナ鍾乳洞
 まず最初にタイトルに誤りがある。 実はポストイナ鍾乳洞は旧ユーゴスラビア内とは言え、隣国スロベニアにある。
 今回の旅は5つに分かれた旧ユーゴスラビアのうち、セビリアを除くクロアチア・スロベニア・ボスニア=ヘルツェゴビナ・モンテネグロの4カ国を巡る。

 スロベニアに立ち寄ることは、旅行の資料でかすかに記憶していたが、後の2カ国は添乗員に日程の説明を受けるまで気づかなかったうかつさ。


 ナチスドイツの時代には、ナチスに協力的だったクロアチアが支配勢力で、セルビア人を迫害した。 旧ユーゴでは変わって支配勢力となったセルビアがクロアチア人を迫害した。

 そうした民族間の反目、宗教的にもセルビア正教とカトリックという違いも、チトー大統領のカリスマ性でなんとか一つにまとまっていた。
 チトーが亡くなると、独立の機運が一気に盛り上がり、スロベニアでは1991年に独立宣言し、わずか10日間で戦闘を終わらせ独立を果たした。

 続いて独立を宣言したクロアチア・ボスニア=ヘルツェゴビナでは、セルビア人住民を守るためと旧ユーゴ軍が介入して、泥沼化したことは記憶に新しい。
 国連の仲介で停戦に合意し、独立を果たしたのは1995年のこと。



 さて、ザグレブを出発したバスは2時間半ほどでポストイナに着く。
 その途中で、国境を通過する。 陸路で国境を通過するのは、モンブランに行くためスイスからフランスに入って以来、2度目。

 今回何度か国境を通過したが、ここが一番厳しかった。 乗客一人一人がバスを降り入国審査を受ける。
 他では、パスポートをまとめて提出するだけ、あるいは添乗員一人だけパスポート提出するだけだったり。
 もっとも手軽だったのは、運転手の「日本からの観光客」との一声で通過できた国境もあった。


f0066555_21295251.jpg ポストイナ鍾乳洞

 この地方は、日本の秋吉台と同じカルスト台地が、もっと大規模に広がり、鍾乳洞がいくつもいくつもある。

 その中には、世界遺産に登録されているシュコツィアン鍾乳洞がある。


f0066555_21432235.jpg スリルあふれるトロッコ列車

 ポストイナは20Kmも洞窟が続き、トロッコ電車で一気に洞窟内にはいり、2キロ弱を歩いて鍾乳洞を見学する。

 トロッコを通すためにトンネルを空けるなどしているため、世界遺産には登録されないが、たくさんの人が手軽に自然の驚異を目にすることができる。



f0066555_21503294.jpg 本当は禁止されている場所で撮った鍾乳石の写真

 近年この鍾乳洞を訪れる観光客の数は、年間5~60万。 撮影のため渋滞が起こらないようにだろうか、トロッコに乗っている間と最後のコンサートホールと呼ばれる広い空間を除き、撮影が禁止されている。


f0066555_21561094.jpg 鍾乳洞のシンボル、「ブリリアント」

 白く輝いているのがブリリアント。

 肉眼ではきれいに見えても、(内緒なので)ストロボをたかないため、手ブレやお化けみたいな写真ばかり。

 1cm伸びるのに100年かかるという鍾乳石。 誰かが「ボク赤ちゃん、歳は3000歳」などと、冗談を飛ばす。

 下から伸びる石筍と上からの鍾乳石がつながったのは、何万年もの恋が実ったカップルというべきか。


f0066555_22261742.jpg ホライモリ

 コンサートホールに出るすぐ手前の水槽で飼育されているホライモリ。 ヒューマンフィッシュ(類人魚)とも言われるが、サンショウウオの仲間。
 洞窟内に棲むため、目は退化してまったく見えない。 (写真は鍾乳洞ホームページからの借り物)


f0066555_22334755.jpg コンサートホールについてからの、合法的な写真

 おおっぴらに撮れるが、あまり面白みはない。

 帰りのトロッコは、来るときとは別路線。
 洞窟内すべて一方通行で、トコロテン式に押し出され出口へと。


 帰りの国境は何の停滞もなく...
 スロベニアはEUに加盟しており、通貨はユーロ。 クロアチアはクーナ(1kn=15円)。
 クロアチアのEU加盟が遅れているのは、領海で対立するスロベニアが引き伸ばしをしているためとも言われる。

 入国審査の厳しさは、そうした対立があるため?


 その後はザグレブを通り過ぎ、プリトヴィッツェまで。 走行距離は最大の200Km超え。
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by t_ichib | 2012-05-11 20:13 | 今日もまた旅の空
クロアチア旅行① 古都ザグレブ
 クロアチア? 妻に「クロアチアへ行こう」と誘われた時、「えっ、どこ?」というのが、私の最初の反応。
 旧ユーゴスラビアから、内戦を経て独立した国の一つと言えば、少し分かったような気になる。

 そして、場所はイタリアのすぐ近く、アフリカとは反対側のアドリア海に面している。


 9日の深夜に関西空港を出発し、ほぼ1日かけてザグレブに到着。 時差が7時間あるので、現地到着時間は午後2時半頃。
 夏時間なので日が暮れるまでには、まだまだ余裕があり、古都ザグレブを観光した後、ホテルに向かう。


 空港から市街に向かうバスの中で、現地ガイドが「ラッシュアワーになるので、そろそろ渋滞が・・・」と言う。
 時間はまだ3時過ぎ。 「5時までが普通だが、7時、8時から働いている人もいるので」と。
 たしかに街のカフェなどには、観光で歩き回っている間に、みるみる人が多くなる。


 クロアチアの人口は400万、その4分の1に当たる100万が首都ザグレブに住む。
 観光で歩き回ったのは、主にアッパータウンと呼ばれる地区なので、人込みはさほどではなかったが、電車どおりに面した商店街などは、100万都市ならではの賑わい。



f0066555_12213723.jpg 聖マリア被昇天大聖堂

 大聖堂はザグレブのシンボルと言われる。
 13世紀末に建設が始まったが、オスマントルコの侵入などで滞り、完成までに400年。
 当初はゴシック様式で建て始められたが、バロック様式に改められたとか。

 さらに19世紀末には街全体が大火災にあい、大聖堂はネオゴシック様式で修復された。

 写真の右側の塔は修復中だが、同行の添乗員によれば「3年前に来たときも修復中だった」とか、建設に400年かかったのでから、それくらいは何てこともないか?


f0066555_12384041.jpg 大聖堂の中

 西洋の教会などの写真は、どうしても縦長になる。
 日本でなら、五重塔などを除きほとんど横長に収まるのだが。

 大聖堂の中、特に祭壇にはバロック様式の特徴が現れていると言う。
 建築の様式などチンプンカンプンだが、ロマネスク→ゴシック→バロック→ルネサンスと、時代が進むにつれ装飾が多くなると説明された。


f0066555_12555559.jpg 大聖堂内部に掲げられた「聖マリア被昇天」

 この大聖堂に「聖マリア被昇天大」の名が着けられる所以となる絵画。
 ただし、ここに掲げられているのはレプリカで、本物は美術館か博物館にか収蔵されている。

 国民の90%がカトリックのクロアチアでは、聖母被昇天の日とされる8月15日が祝日となっている。


f0066555_13404414.jpg 大聖堂前の噴水「聖マリアと4人の天使」

 10世紀末の大聖堂修復時に、大聖堂前に噴水が作られ、金メッキを施した銅像が置かれた。

 説明の要もないが高いところにいるのがマリアで、下の4人の天使は信頼・希望・純潔・謙虚を象徴している。

 大聖堂の塔(高さ105m)には及ばないが、この像もかなり高い。 (首が疲れる)



 その後、ザグレブ市内を散歩程度に案内される。 ドラツ市場などは、この時間に案内されても、ただ広場があるだけで人っ子一人いない。

f0066555_14161690.jpg アッパータウン近くの通り

 住民あるいは観光客たちとすれ違うものの、それほどの人込はなく静かな趣のある通りという印象。

 「血の橋」と呼ばれる地区では、道幅が蛙を飲んだ蛇のように湾曲している。
 以前は川だったところが、その川幅のまま道になったからだと言う。

 川がなく橋がなくなっても、そのまま地名として残った。
 「血の橋」と呼ばれるのは、橋をはさんだ両側の町の仲が悪く、いさかいが絶えなかったからだと言う。


f0066555_14265047.jpg 石の門

 正式にはここから先がアッパータウン、確かにこの門の手前に少し傾斜がある。

 さらに、アッパータウンから電車通りに降りるのには、かなりの傾斜となっており、世界一短いケーブルカーと言うものまである。

 今は故障?とかで動いていないそうだったが、まだまだこの足で登り下りできる。

 写真奥の門を入った左側に、小さな聖マリア礼拝堂があり、霊験あらたかとして信仰を集め、各地からの巡礼が訪れる。
 周囲の壁には、「病が癒えた」とかのお礼の石のプレートがぎっしり嵌め込まれていた。



f0066555_145327100.jpg 聖マルコ教会

 しばらく行くと、マルコ広場に行き着く。
 そこにこんなかわいらしい教会がある。 中でも屋根にタイルで描かれた2つの紋章がいい。

 左側はクロアチア王国とダルマチア・スラボニアの2つの地方を表す紋章、右側はザグレブ市の紋章だと言う。

 写真の右側には国会議事堂、左側には首相官邸、それぞれの建物の一部が写っている。
 どちらも説明されなければ気づかないような、(失礼ながら)400万人と言う国の規模にあったこじんまりとした建物。



f0066555_15113433.jpg 失恋博物館

 「ええーっ」と思わずにやついてしまった博物館、私が笑えたのはちゃんと日本語で書いてあったから。
 Broken-Relationships では笑えなかったかも。
 中国人も笑えた?

 この先にはロトゥルシュチャク要塞があり、今も大砲の音で市民に正午の時を知らせている。
 そしてその付近にケーブルカーがあったはず。

 さらにシュトロスマイヤ散歩道と言うなだらかな坂道があるが、私たちは急斜面の階段を下り、電車どおりに出る。


f0066555_1527910.jpg トラム

 タイミングが悪くかなり行き過ぎてから撮ったので、分かりにくいがけっこうきれいな電車。

 路面電車要の伝染が町の美観を損なう、車の邪魔になる、などの理由で日本の各地では姿を消したが、旧社会主義国ではまだまだ残されている。


 最初にも書いたようにこの通りまで来ると、町に人があふれだす。
 カフェで飲むコーヒーは150円、アイスクリーム100円と、月収(7~8万)の割には高いように思うのだが、見る間にカフェの席が埋まる。



 まだ観光初日だが、明日からは比較的地方都市を回るので、ここでKonzumというスーパーを見つけ、お土産にワイン・チョコレートなどを買う。
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by t_ichib | 2012-05-10 23:15 | 今日もまた旅の空
早く慣れないと
 まだまだ愛着が残っていた車と別れ、新しい車インサイトが我が家の車庫に納まったのは、4月23日。
 ようやく2週間、2台分の車庫がガランとしている。

 前の車には10年以上乗り続けたため、最近の車の機能についてはウラシマ状態
 ...と書くと少し大げさ。 車の免許証さえ持っていれば、誰だって乗れる。 しばらく軽自動車にしか乗っていなかった妻も、さっさと一人で出かけている。


f0066555_8525060.jpg その車の初ドライブは、近くの員弁市の牡丹園

 入り口に「ただ今、1分咲き」との看板があったが、実際にはさらに10分の1ほど。
 かろうじて咲いている花を見つけては、カメラのシャッターを切ってはみる。

 員弁は隣の三重県。 まだカーナビの設定をしていないので、「三重県に入りました」、「岐阜兼に」、「三重県に」を何度か繰り返し、ちょっとうるさい。
 これは何とかしなければ...


 5月3日、年3回ほどの恒例となっている妻の兄弟たちとの食事会に出かける。 そのついでに2度目のドライブにと、立ち寄ったのが...

f0066555_911398.jpg フラワーパーク江南

 園内を歩きまっわた後、クリスタルフラワーという建物の屋上展望台から、公園内外の展望を楽しむ。
 ここは国営木曽三川公園の一施設だそうだ。
 時々出かける海津市の施設や、138タワーパークよりは小規模だが、小さな子供たちの遊び場として、私たちの年代の散歩の場としてはうってつけ。

 近くにこういう施設があることを少々うらやましく思ったのだが、ここに来たのは、この時期に開催されている「江南・曼荼羅寺のフジまつり」に出かけるついで。
 ここから曼荼羅寺へのシャトルバスが発着する。


f0066555_9292151.jpg 曼荼羅寺のフジ

 ここにははじめて来たが、津島の天王川公園などと並び、愛知県でも有数のフジの名所。
 駐車場から曼荼羅寺への道筋には、たくさんの屋台が並び、観光客の姿も半端な数ではない。


f0066555_9513829.jpg 9尺フジ、6尺フジとか、素人にもその見事なフジの長さは分かる。
 紫ばかりでなく、ピンク系のフジなどここにはいくつもの種類がある。

 そのどれが最も香るのか分からないが、良いにおいが公園全体にあふれる。
 水路には散ったフジの花びらに覆われ、美しい。 それでも頭上の花は減ったように見えないし...


 運航するシャトルバスは、1時間に2~3本出ているが、来るときは補助席を使っても、乗り切らなかった人が10名以上いた。
 しかも、着いたバスで帰る観光客の行列もかなり長い。

 帰りの混雑を心配していたが、帰りに乗り合わせたのはたった3名、大きなバスだったのに...



 フジを楽しんだ後は、高速道路で豊橋へ。 先には渋滞が待っており、「天国から地獄へ」か?
 「岡崎から先は渋滞しているので、一般道へ・・・」と、カーナビが教える。 これは、以前のカーナビより親切か?

 交通情報を聞こうとして、「あれれ?」
 前の車では、カーナビとは別にラジオの操作ボタンがあったのだが、こちらはすべてカーナビからの操作。
 ラジオには切り替えられたのだが、どこに「交通情報」チャンネルが?

 帰ってから、マニュアルをめくってお勉強...
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by t_ichib | 2012-05-06 10:19 | 今日もまたなにごともなく