<   2012年 07月 ( 9 )   > この月の画像一覧
白馬への旅行② 栂池自然園
 ババ馬鹿ジジ馬鹿旅行2日目、今日は時間に余裕があるから、ゆっくりたっぷり歩き回れると思いつつ。


f0066555_953448.jpg 栂池パノラマウェー

 2人にとっては、やはりこれが一番。
 帰りには、疲れでちょっと不機嫌だったが、これに乗ったときにはすっかり元通りに。

 特に最初のゴンドラは、長くて見る見るうちに下の町並みが小さくなっていく。



f0066555_9341628.jpg 栂池自然園に入って、一番目立っていたのがワタスゲ

 小さいけど、これくらい群れて咲いていると。

 湿地にはワタスゲ以外に、綿毛を飛ばし終えたチングルマの群れなどが。



f0066555_9543012.jpg ついで目立っていたのがキヌガサソウ

 薄~くピンクの筋が入ったものもあり、そちらも可憐。

 花びらは7~11枚とあるのだが、もっと多いように思える。 もしかすると違う花?



f0066555_1082225.jpg 咲き残っていた水芭蕉

 園内を歩いていると、所々で涼しい風が吹き抜ける場所があり、さわやかな気分にしてくれる。

 園内でもとりわけ季節の遅れた場所なのか、水芭蕉の花が残っているのを発見。
 ほとんどは咲き終わり「お化け」のように、大きく育った葉だけになっている中で。


f0066555_101528.jpg アカモノ

 最初は、ツガザクラに似ていると思ったが...

 今回も一つ新しい花の名を覚えた。
 が...いつまで覚えていられるか?


f0066555_10192183.jpg オオバミゾホウズキ

 黄色の大密集が見事。

 他の黄色の花、キジムシロなどと比べ、横から見ると花の形が筒型をしている。


f0066555_1028511.jpg 園内に残っていた雪渓

 昨日は木道からは立ち入れない下のほうの雪渓を見ただけだが、ここでは手にとってその冷たさに触れられる。

 子供たちばかりではなく、アベックたちも。



f0066555_1035244.jpg ゴゼンタチバナ

 1ヶ月以上も前に、礼文島で見たばかり。
 向こうは緯度がずっと北だが、ほとんど平地。 気候的にはどうか?

 それとも、花の時期が長い花なのか。



f0066555_10421336.jpg 今日の最終目的地、展望湿原

 昨日よりもっと多くの「小さいのに、がんばっているね}の声をかけられ、ゆっくりだったけどここまで上ってこられた。

 「4才にしては、上出来」と、ジジ馬鹿もうれしくなる。


 展望湿原には大勢の人が、「あと10分待ってみよう」などと、霧が晴れるのを待ちかねている。
 わずかに稜線が見えたりすると、2人して指差してくれるのだが、残念。

 今まで3、4回にもなるが白馬の大雪渓を満足に見られたことがない。
 地元の人でも、「年に数回」と言っているのだから、しょうがない。


f0066555_10565892.jpg ツマトリソウ

 最後にもう一つ新しい花の名を覚えた。

 ツマトリソウのツマは、妻ではなく褄の字を当てるようで、花の縁が赤く色づいたものがあり、鎧の縅(おどし)色目の一つ「褄取り」に似ているところから名づけられたとのこと。



 自宅で赤ちゃんの晃希とともに待っているお母さんに、自慢したくなるほどがんばって歩いた2人だが、さすがに車に乗ると5分もしないうちにぐっすり。
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by t_ichib | 2012-07-25 08:45 | 今日もまたジジ馬鹿・親ばか
白馬への旅行① 八方
 孫の春音が小学校に入学した去年から、「長い夏休み、退屈しているだろうから...」と、遊びに連れて行ってやろうと考えていた。
 去年はその機会もなく、またジジババの心配も不要なくらい、学童保育や学校のプールに通い、真っ黒になって夏を楽しめたようだった。

 それでも今年は「東海地方の梅雨明け」宣言に、満を持してジジ馬鹿ババ馬鹿旅行へと連れ出した。 (来週早々には、お父さんが海への旅行を計画しているというのに)


f0066555_17131934.jpg 八方アルペンライン中間駅で、ゴンドラからリフトに乗り換える。

 ジジババの願いは、いい空気をたっぷり吸って、自然の中をいっぱい歩いて、きれいな花々を見て欲しいというものだが、「ゴンドラに乗った」、「リフトに乗った時、足が下の草に触りそうだっった」くらい...かも。



 高速道路を飛ばしてきたものの、リフトを降りたときには午後1時過ぎ。 まず最初に、コンビニで買ってきたお弁当を食べる。

f0066555_17285185.jpg ミヤマアズマギク

 八方池へは、岩場コースと木道コースとがある。
 もちろん小さな子供連れなので木道コースを取るが、それでも最初はゴロゴロした石で、歩きにくい。


f0066555_19351411.jpg チングルマ

 その歩きにくさを紛らすため、小さな2人にたまたま私たちが知っている花の名を教えたり、一緒にチョウやトンボに目を向けたりと。

 すれ違う人たちから「いくつ?」と聞かれ、指を4本立てて示した彩乃は、「小さいのに元気だね」とほめられ、それがうれしくて歩きとおすことができたようだ。


f0066555_1950957.jpg ニッコウキスゲ

 たまたま日の差す南側の斜面だったせいか、一面のニッコウキスゲが見られた。
 小さな二人を休ませる風を装い、しばし自分の息を整える。


f0066555_20574259.jpg 木道のすぐ脇に残っていた雪渓

 この真夏にこんなに氷が残されていたことに、おおはしゃぎ。
 ここでもお茶を飲んだり、写真を撮ったりと...

 この余裕?が、後になって...。


f0066555_2154257.jpg 石神井ケルン

 ここが今日の最高点。

 八方池、あるいはせめて第2ケルンまで行きたかったものの、帰りのリフトの最終便が16:45だったので、ここから引き返すことに。



f0066555_22182771.jpg 帰りの木道で

 早々と引き返すことにしたものの、2人はまだまだこの元気。

 これなら明日、もう1日歩けそう。

 それでも宿に着くとバタンと寝てしまい、妹の方は寝起きのため、夕食はあまり食べられなかった。



f0066555_22264166.jpg ウスユキソウ

 下山の順番は上の写真どおりで、最後尾でカメラマンをしていた妻が見つけた。

 私は肉眼では見られず、残念。
 明日は一つでも多くの花を見つけられるように。
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by t_ichib | 2012-07-24 15:35 | 今日もまたジジ馬鹿・親ばか
エジプト旅行⑥ 最終日
 初日のギザ周辺の観光に続き、今日のメンフィス・サッカラは4年前にも観光した所。
 どれほど「そこそこの記憶」が残されているかも、個人的な楽しみ。


f0066555_1052146.jpg 記憶どおりだったヤシの林
 
 あまりきれいとはいえない運河沿いの道を進むが、当初は記憶とは違いヤシはまばら。
 「う~ん、老人性...か?」と落ち込み始めたが、ダハシュールに近づくにつれ、写真のような林が出現。
 夫婦揃って、胸をなでおろす。



f0066555_10232929.jpg 屈折ピラミッド

 このピラミッドを作ったのは、クフ王の父スネフェル王。

 屈折の名の通り、下部の角度は54度、上部は43度となっている。

 王は下部の角度54度にこだわりがあったが、その角度では自重でピラミッドが崩壊するため、上部の角度を変えた。
 しかし王はこの形が気に入らず、新たに赤のピラミッドを作らせた。


f0066555_10194046.jpg 赤のピラミッド

 こちらは最初から43度の角度で、側面が二等辺三角形になる最初のピラミッドとなった。

 ところで、このピラミッドの内部に、私は「入った」と言い、妻は「記憶にない」と言う。
 (帰国してから確認すると、「内部はひどい悪臭がした」とまでコメントあり)


f0066555_1144258.jpg メンフィスのラムセス2世像

 メンフィスは5000年前の初期王朝時代の首都だったところ、ラムセス2世の像があると言うことは、首都がルクソールに移された後も、そこそこの町だったと思われる。

 今は遺跡だけが残る小さな村、この像も砂に埋まっていたと聞く。 (左足は大きく前に)


f0066555_1115447.jpg アラバスター(大理石)のスフィンクス

 アラバスターは、高級な石らしい。(王家の谷近くのミヤゲ屋では、灰皿でさえ手が出なかった)

 このスフィンクスは、ギザのピラミッドの次に大きい。



f0066555_1124242.jpg サッカラの階段ピラミッド

 最古のピラミッド
 それ以前には王の遺体は砂漠に埋められた。 が、それだと山犬などに食べられてしまい、「復活」できない。
 そのため地下深くに遺体を埋葬し、上にピラミッドを築いた。

 当初は最下段の四角い台だけだったが、神殿より低く遠くから見えないため、王の気に入らなかった。
 そのため、上に6層まで台を積み上げた階段状のピラミッドとなった。




 当時の王は、在位期間が30年とかを超えると、引き続き国を統治する若さがあること示さなくてはならなかった。

ピラミッドの前にはかなり広い広場があり、王はそこを何周か走り回って、若さを証明する。

f0066555_11361226.jpg その広場に面して立つこの神殿の前に、国最高の神官たちが並び、それを見届ける。

 階段ピラミッドを作ったジェセル王は80才、走り回るなんてできない。

 実は王の衣装を着けた代理の者を走らせた。
 代理であっても王が走ったと、認められたと言うのだが。



f0066555_11523959.jpg 最後の観光、カイロ博物館

 博物館の中庭に入ってこの写真を撮った後は、撮影禁止どころかカメラの持込が禁止。
 いくつも興味深い展示物があったのだが。

 日本でも人気の高いツタンカーメンだが、ミイラの顔を覆っていた「黄金のマスク」は、国外不出のエジプトの宝。

 ...ときいて、「えっ、今日本に来ているのは?」と。
 日本に来ているのは、ミイラが入っていた黄金の棺。 ...そうだったのか。


 発掘したハワード・カーターが最も感動したのは、王妃が供えたと思われる花束が形をとどめていたことで、その花束もカイロ博物館に展示されている。
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by t_ichib | 2012-07-10 22:57 | 今日もまた旅の空
エジプト旅行⑤ ナイル西岸(死者の町)見学
 エジプトは5000年以上の歴史を持つが、当初南エジプト(ハスの花が象徴)と北エジプト(パピルスの花がシンボル)が統一されるのは、ピラミッドが建設された「古王国時代」成立前後。

 (2つの花は、神への捧げもの・統一エジプトの王位の象徴として、欠かせない。)

 その後ピラミッドは作られなくなり、ルクソールに首都が置かれた「新王国時代」(3600年前)には、「王家の谷」が築かれ始めた。



 昨日、私たちが観光したナイル東岸は生者の町、対して西岸は死者の町と明確に分けられていた。

 東と西を結ぶ橋は、停泊した場所よりかなり上流。
 バスで橋まで移動する間に、何ヶ所もクルーズ船が繋留されている場所を通り過ぎる。 それぞれ船を所有する会社が異なるのか、まったく無作為に泊められているだけか?

 それにしても、休眠中のクルーズ船は相当な数に上る。


f0066555_15211069.jpg 王家の谷に着く。
 が、ここから先は撮影禁止

 以前は、撮影禁止だったり、有料でなら撮れたり、場所によりバラバラだったが、今ではお墓はすべて禁止。 (王家の墓、ピラミッドなど)

 他はカイロ博物館、アブ・シンベル神殿など。

 仕方がないので、購入した絵はがきから2枚をコピー。


f0066555_1719331.jpg ラムセス6世の墓の壁画

 描かれているのは、天空の女神ヌト
 夫である大地の神ゲブとの間を、大気の神シューにより隔てられた。

 この絵は、日没後の太陽を口に飲み込み、夜の間にヌトの体内を通り、翌日には太陽が復活すると言う神話が描かれる。
 王自身の復活の願いから、他の墓にも好んでこの絵が描かれている。


 当時の王たちは、現世より来世を重要視し、墓の中を豪華に飾り、(盗掘されているが)さまざまな副葬品がそこに運び込まれた。


f0066555_17534141.jpg ツタンカーメンの墓の玄室

 未盗掘で発見されたので、人気の高いツタンカーメンだが、あまりに早い死に、墓が間に合わず当時の大臣のために用意された墓を流用した。
 ...とガイドの説明だが、臣下の者の墓が「王家の谷」に作られたか疑問。

 絵の上部に描かれたスカラベ(フンコロガシ)は、糞を転がすさまから、日の出の太陽を持ち上げると信じられていた。
 これも王の復活のための、大きな要素として描かれる。


 通常なら王は墓の出来具合を何度も確かめ、気に入らないところは手直しを指示した。

 他人のために準備された墓だったかはとにかく、18才か19才で亡くなったツタンカーメンの墓は急ごしらえで、他の王よりいくぶん質素に思える。

 それでも翌日訪れたカイロ博物館のツータンカー面の部屋では、よくもこれだけの宝物があの狭い部屋に入っていたと感嘆した。



f0066555_1828896.jpg ハトシェプスト女王葬祭殿

 この光景を見て、どうしても真っ先に頭に浮かぶのは、1997年のイスラム原理主義者による無差別テロ、その中には若い新婚旅行のカップルもいたのだから。

 近くにはあと2つ葬祭殿の跡が発見されているが、修復されているのはここだけ。


 2つの遺跡の見学を終えた後、船に戻る。
 クルーズ船には、ルクソールから新たな乗客が乗り込むため、私たちは朝の出発時に既にチェックアウト。

 それでも昼食はこの船で摂り、出発する16時までは個室には入れないものの、ロビー・ラウンジでくつろぐ。



 その後、空路でルクソールからカイロへ飛ぶ。 最初に仮眠をとったギザのホテルに最後の宿泊。
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by t_ichib | 2012-07-09 20:16 | 今日もまた旅の空
エジプト旅行④ クルーズは今日まで
 「暑いから観光は、朝早く出発しましょう」との添乗員の言葉で、連日大変な思いをしているが、どれほどの効果があるのか。
 エジプトでは、サマータイムが廃止されているので、朝6時半のモーニングコールは日の出の後、それほどはつらくないはずだが。


f0066555_1004988.jpg 遺跡への交通手段は、バス・モータボート・帆船などいくつもあったが、今日は2人づつこの馬車に乗って向かう。

 「馬車代は一括で払っているので、チップの要求は断るように」との注意があったが、御者はあの手この手を使ってくる。
 「写真を撮ろうか」、「御者台の隣に座ってみないか」など、さまざまな親切を示す。


f0066555_10111236.jpg エドフ神殿

 写真が小さくて分かりにくいが、この門のレリーフはイシス神殿と良く似ている。

 イシス神殿が母のイシスに捧げられたのに対し、こちらは息子のホルスに捧げたれた。

 母のイシスが心配そうに背後から見守るさまを見ると、「さぞ、マザコン息子か?」と思ってしまうが、実はエジプトの最高神
 代々のエジプトの王は、「ホルスの化身」と称する。


f0066555_10245942.jpg ホルス神は、ハヤブサの姿、あるいは人間の体にハヤブサの顔を持つ姿で描かれる。

 この左右1対となったハヤブサは、最も人気の高い撮影スポット。

 現地ガイドが聞かせてくれた、神話のエピソードが興味深かったので、その概略を。

 父オシリス神は現世の統治者だったが、それを奪おうとした弟のセト神により、2度にわたって殺される。
 オシリスの妻イシスは強力な魔力の持ち主だったので、オシリスを甦らせる。
 が、2度目は体を14に切断されたため、完全には復活できず、現世ではなく冥界の支配者となる。

 成長したホルスは父の復讐を遂げ、現世の統治者となる。



f0066555_10412293.jpg セトを追い詰めるホルス

 ホルスに追われたセトは、カバに変身しナイル川に潜む。(中央下)
 上に載っているのがホルス。

 ここでもイシスが影のように従う。(むしろホルスより大きい)

 この1枚だけではなく、何枚にもわたって追い詰めるようすが描かれている。

 このレリーフのイシス・ホルスとも、顔などが傷つけられている。
 ルクソールは現在でも、キリスト教徒の比率が高い地域と言われる。





f0066555_10551426.jpg 船に戻って、このクルーズの楽しみの一つ、エスナの水門が目の前に。

 このあたりのナイル川の流れには落差があり、船が航行するには水門を開け閉めして、通過する。

 パナマ運河が有名だが、私の住む近くにも船頭平閘門がある。(水位の違う木曽川、長良川を行き来するため)

 前方に見える小さな小船は、物売り舟

 船の屋上にいる観光客に、次々とビニール袋にくるんだバスタオルなどを投げ上げ、「10ドル」などと値段交渉。
 欲しければ袋から品物を取り出し、紙幣を入れ投げ返す。


f0066555_1184346.jpg 両側にあるコンクリートの杭に、太いロープを絡ませスピードを落としながら、傾斜のある流れを滑り降りる。

 「えっ何?、これだけ?」と拍子抜けの思いでいたら、これはまだ第1の水門

 本格的な水門はこの先にあると言う。


 第2の水門では、

f0066555_11161847.jpg 船の後方の水門が閉じる

 水門にはクルーズ船2隻が入ることができ、前方には既に1艘が待っていた。

 私たちの船が入ると、後方の水門が閉じる。

 みるみる水位が下がっていく。 「2mあまりも下がった?」かと思う頃に、前方の水門が開く。

 想像通りの手順で通過したが、やはり体験しなくては。





 次の目的地ルクソールには、3時ごろ到着。 クルーズはここで終了、この後は私たちにとって船はホテルの機能を果たすだけ。


 ルクソール東岸の観光に向かう私たちは、繋留された何艘もの船のロビーを横切り、岸に着く。
 つまり、川の港に10艘あまりも横並びに、船が繋留されている。

 岸に近い側のほとんどの船がただ繋がれただけで、観光客を乗せているのはわずが2、3艘。
 シーズンオフなのか、今のエジプト状況が観光客の足を遠ざけているためか?


f0066555_11393139.jpg カルナック神殿

 神殿に向かう通路の両側に、羊の列が並ぶ。

 ガイドの説明を聞く前、遠めから見た私には「象の群れ?」と。

 象の長い鼻?と見間違えたのは、羊の前に立つ歴代の王の像だった。


f0066555_11504426.jpg この神殿はルクソール(当時の名はテーベ)の守り神、アメン神に捧げられたもの。

 今まで見てきた神殿のように1人の王により築かれたものではなく、歴代の王により手前側に増築が繰り返された。



f0066555_11582021.jpg 王の立像

 ガイドの口から興味深い話が2つ。

 王の姿は写実的ではなく、理想像であってどの王も同じ顔かたちをしている。
 像に刻まれたカルトゥーシュによってのみ、区別される。

 有名なラムセス2世などは、気に入ったものがあると元のカルトゥーシュを消し、自分の物に変えたとか。 そして自分のカルトゥーシュは消されないように、深く刻んだとも。

 もう一つの話は、王の生前に作られたものは大きく左足を前に踏み出していること。
 死後に作られたものは、両足を揃え腕を胸の前に組む。

 従って、この立像は死後のもの。
 足元の小さい象は、王妃。


f0066555_1236429.jpg ハトシェプストとトトメス1世のオベリスク

 写真のどちらが誰のものかは、分からなくなってしまったが、ハトシェプスト女王のものは、エジプトに残されたものでは最大。

 2本あったが、1本は倒れ別の場所に横になっている。

 ハトシェプストは、本来王位を継ぐはずの義理の息子トトメス3世の王位を奪い、女王になったので、彼に憎まれ後に殺される。
 死後には、彼女の像は破壊されほとんど残っていないと言われる。



 近い距離にあるが、時間を節約するためにバスに乗り、ルクソール神殿に向かう。

f0066555_12495016.jpg 神殿前の1対のラムセス2世坐像

 坐像の前に1本だけオベリスクが建つが、本来は1対で、もう1本はパリのコンコルド広場にある、

 エジプトにローマなどが侵攻すると、戦利品として持ち帰られ、現存する当時のオベリスク30本の内、エジプトには7本のみ、ローマだけで13本あると言う。
 たしか、イスタンブールでも見たような...


f0066555_1372890.jpg ツタンカーメンの坐像

 若くして亡くなったツタンカーメン、王妃は2、3才年上で姉が弟を慈しむように、王の背中に右手を回しているのが微笑ましい。

 先の付属品のように、王の足元に王妃の像があるのに比べ、何倍も人間らしくて。


f0066555_13215637.jpg スフィンクスの参道

 ルクソール神殿はカルナックのアメン神殿の付属施設として築かれ、両神殿はこの参道で結ばれている。

 スフィンクスも海外に持ち出されたあげく、異教徒のものという理由で壊されたものも多いとか。
 ここにこれだけ残されていることにほっとする。
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by t_ichib | 2012-07-08 09:48 | 今日もまた旅の空
エジプト旅行③ ようやく出航
 昨夜から停泊していたクルーズ船を降り、バスで移動後、さらに小さな船に乗り換える。


f0066555_1043317.jpg 向かったのはフィラエ島

 フィラエ島は、イシス神がホルス神を産んだ聖地。
 その島の神殿が、アスワンダムの建設により半水没状態となった。
 そこで、ユネスコの支援で神殿は別の島に移築された。

 現在では、元の名がアギルキア島だった島が、フィラエ島と呼ばれている。


f0066555_10181586.jpg 島に上陸して最初に目に付いたのが、この列柱

 古い時代のエジプトの神殿の柱は、すべて単一のデザインだが、ギリシャ・ローマの支配時代には1本1本が異なるようになった。

 この列柱はデザインが異なるので、神殿の建設はギリシャ・ローマの支配時代。


f0066555_10363517.jpg この列柱の先に、イシス神殿がある。

 左右の壁には、わが子ホルス神を心配そうに見守るイシス神が、レリーフで描かれている。

 イシスは異母兄であるオシリス神と結婚し、ホルスを生む。
 こうした結婚は日本の神話にも見られ、驚くほどのことではない。


f0066555_1133688.jpg さらに神殿内部には「ホルスに乳を与えるイシス」のレリーフがある。

 またこの神殿にはローマに迫害されたキリスト教徒たちが隠れ住んだ。
 当時のキリスト教では「偶像崇拝」が禁じられており、またレリーフが彼らを迫害した側のものだったので、故意に傷つけられた。

 当時は、(迫害した側の)魂が口や鼻、手足の指の間から像に入り、復活すると信じられていた。
 それを妨げるため、破壊は顔や手足に集中している。


f0066555_1530319.jpg 昨日のアブ・シンベル宮殿以来、さまざまな神の名を聞いたが、その姿はほとんど同じ、頭の上の冠に違いがあるらしいが分かりにくい。

 このベス神は、私たちにも分かり易く描かれている。
 あらゆる悪から人々を守ってくれる、ライオンの顔をした神。 (最初は猿?に見えた)



 イシス神殿の観光を終え、再びバスに戻る。
 クルーズ線が停泊するアスワンの少し上流にアスワンダムがあり、さらに上流にアスワンハイダムが位置する。

 昨日のアブ・シンベルはアスワンハイダムのさらに上流にあり、イシス神殿は2つのダムの中間にある。
 そのため、フィラエ島にはクルーズ船からではなく、バス-別の船で渡らねばならなかった。


f0066555_15553814.jpg 帆掛け舟のセーリング

 アスワンダムの下流に戻り、帆船に乗り換えセーリングを楽しむ。
 私たちが乗った船を写真に撮れないので、これは隣の船。

 クルーズ船よりはずっと岸近くに、低い視線で両岸の景色を楽しめた。 もっともこの時点では、クルーズ船は1cmも動いていなかったが。



 再びバスに乗り込み、アスワンハイダムの観光に出かける。

f0066555_1684641.jpg 古くはナイルの氾濫が流域に豊作をもたらしたが、流域に多くの人が住むようになると、それをコントロールする必要が出てきた。

 その目的でアスワンダムが築かれたが、効果が不十分でさらに上流にアスワンハイダムが必要となった。

 もちろん発電の目的も大きく、エジプトの近代化のためにもハイダムの建設は不可欠とされた。

 想定される巨額の費用はエジプトだけでまかなえるものでなく、当時のナセル大統領は各国に支援を求めた。
 アメリカからはイスラエルとの関係で断られ、英仏からも支援を得られず、結局ソ連からの支援を受けられたが、半分はエジプトで負担せざるを得なかった。

 その費用の調達のため、(当時まったく未盗掘だったツタンカーメンの墓が発見されたこともあり)観光事業に力を入れることとした。

 もう一つはスエズ運河の国有化、しかしこれは英仏を怒らせスエズ動乱の元となった。
 結果は知っての通り敗北に終わったが、アラブ諸国の支持を集め、政治的には勝利したと言われる。
 ...と、ガイドの説明の受け売り。

 現在では、火力など他の発電施設も発展し、ダムの発電割合は30%となっている。

 さらに、この時に進められた観光事業は、国の収益の30%を占め第1位となっている。



 クルーズ船に戻り、昼食。 その間にようやく船は出航
 船の屋上に上がると、船のスピードが速いせいがかなりの風が吹く。
 それが涼風でなく、熱風。 多分気温は40℃前後。


f0066555_17251396.jpg コム・オンボ神殿

 船はやがてコム・オンボの町に到着。

 この神殿は2つの神を同時に祭った珍しいもの。
 門をはじめ、左右対称に建物が配置されている。


f0066555_17344222.jpg 神殿のレリーフ

 どの神殿にも王が神に捧げものをし、エジプトの王のシンボル「命の鍵」を受け取る場面が描かれることが多い。

 このレリーフでは受け取った鍵を右手に持っているが、口に鍵を飲み込むように描かれているものもある。


f0066555_17463466.jpg もう一つ王の権威を示すために描かれるのが、エジプトの敵と戦う場面や、戦いに勝利し捕虜を連れて凱旋する場面。
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 捕虜たちの片腕がないのは、左のレリーフのようにライオンに腕を食べさせるという、残酷な拷問を受けたため。

 捕虜たちには、名前らしき文字が刻まれているが、個人名ではなく従えた地方の名だと言う。



f0066555_17561412.jpg ナイルメータ

 いくつかの神殿には、ナイルメータと呼ばれるものが残されている。
 このようならせん状の階段や、まっすぐな溝に刻まれた階段など、形状はさまざま。

 ナイル川の水位を測り、その年の収穫量を予測しを決めたと言う。

 ナイルメータは、ナイルからはずいぶん離れた「砂漠の中?」と思うような神殿にも残されており、当時のナイル川の流域の広さを感じた。



 クルーズ船はその日のうちに、翌日の観光地エドフに到着
 今夜も眠っている間は、船は停泊したまま。
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by t_ichib | 2012-07-07 22:00 | 今日もまた旅の空
エジプト旅行② アブ・シンベル神殿
 旅の初日は移動ばかりだったので、今日が3日目。
 寝台車でアスワンに着き、クルーズ船でナイル川を下る。 でもその前にアスワンでの観光が少しある。


 4年前のエジプトでも、私たちのバスには銃を携行したツーリストポリスが同乗した。
 既に昨日から、空港からホテル、その後の観光に警察官が乗り込んできている。 (3年前は1人だったが、今回は2人)


 今日、今から出かけるアブ・シンベル神殿は、アスワンからずーっとナイル川の上流、万が一の場合を想定し、警察車両を先頭に観光バスが隊列を組み目的地へ向かう。

 その隊列を組むための集合場所が、古代の「石切り場」跡。


f0066555_20272929.jpg 切りかけのオベリスク

 オベリスクはエジプトの新王国時代に、神殿などに築かれた記念碑。
 神殿の柱などはいくつもの石を積み重ねたものだが、オベリスクは上から下まで1本の石柱。

 「切りかけの...」は、実は失敗作。 写真の上部にひび割れが入ってしまっている。
 失敗し、放置されているおかげで、「オベリスクの製造方法」が分かるという。


 鉄などがない時代、オベリスクの素材である花崗岩より硬い石を用い、20cm間隔くらいで穴を空ける。
 その穴に木を差込み水を注ぐ。 その木が膨張し石が割れる。 (その穴がくっきり残っている)

 石切り場そのものは、良質の花崗岩の取れるナイル川沿いにあるが、切り出された石は川幅が広がる洪水期に、船で運ぶ。


 実に賢い方法と感嘆するが、それでも切り出すのにはほぼ4年が費やされると言う。 だからこれには多分、2年くらいの歳月が水泡に帰している。



f0066555_20531088.jpg アブ・シンベルまでは2時間強。
 ひたすら砂漠を進むのみで、車窓からはこの蜃気楼くらいしか眺めるものもない。

 先ほど隊列を組むと書いたが、実際には先頭の警察車両、他のバスや乗用車の間はかなりの距離を開けて走る。 その方が襲われにくいのか?

 ここに限ったことではないが、道路にはわざと段差を設け、(多分)突っ走れないようになっている。
 さらに、時々設けられている軍の歩哨所では、道路が片側通行にされ、ゆっくりとしか走れない。


f0066555_2153539.jpg アブ・シンベル大神殿

 エジプトではもっとも有名な王、ラムセス2世により築かれた太陽神ラーを祀る神殿。

 神殿内部は撮影禁止、ガイドによる中での説明も禁止。
 事前に受けたレクチャーの記憶だけで、これが神に捧げものをしている場面、こちらは戦いに勝利して敵の捕虜を連れ、凱旋する模様...などと。


f0066555_21241430.jpg 大神殿のすぐ前には、アスワンハイダムによってできた人造湖、ナセル湖

 ダムの建設により水没するのを、ユネスコの支援で移築された。
 元々の神殿は、ラムセス2世の誕生日・即位の日の年2回、神殿の奥まで日が差すようになっていた。

 移築により、その日に1日のズレができた。 (1日しかズレなかったことのほうが驚異的)



f0066555_21332179.jpg アブ・シンベル小神殿

 ラムセス2世の最愛の妃、ネフェルタリのために築かれたハトホル女神を祀る神殿。

 大・小神殿とも、削りやすい石灰岩で作られている。
 石灰岩は風雨にさらされ2000年以上ももつはずがないが、エジプトには雨がめったに降らないから、今日まで崩れずに残っている。



 来た道とまったく同じ道を、何の感慨もなくひたすら戻る。 ただ、暑い。

f0066555_21435441.jpg 私たちが乗るクルーズ船

 今日はバス移動の距離も長く、暑かった。 (昨夜は列車なので、シャワーも浴びてない)疲れと汗をさっぱりと洗い流して。

 せっかく船に乗り込んだが、「さあ、クルーズに出発」とはいかない。
 今夜はここに停泊したまま。

 アスワンハイダムの見学などを、少々残しているため。
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by t_ichib | 2012-07-06 20:12 | 今日もまた旅の空
エジプト旅行① 
 エジプトには4年前にも来ている。
 その時はトルコと一緒に2週間だったが、カイロ・アレクサンドリアだけだった。
 王家の墓のあるルクソール方面に、「ぜひ出かけたい」という妻の希望で、2度目のエジプト旅行となった。

 今回は成田からカイロまで直行便なのだが、自宅からはタクシー・JRを乗り継ぎ、名古屋駅に集合し、さらにのぞみ・成田エクスプレスを、スーツケースをゴロゴロ押していくのは、やや大変。


f0066555_21261559.jpg 仮眠をとったホテル

 カイロ空港に着き、荷物を受け取りバスに乗り込んだのは、午前4時半ごろ。
 すぐに出発するのではなく、ホテルにて仮眠をとった後で、観光に出かけると言う。

 若い人もちらほら見えるが、大半が60代以上の私たちにとっては、ありがたい話。


 エジプトには外務省から旅行注意情報が出されており、この旅行でもカイロに宿泊しない、金曜日(=アラブ圏の休日、デモなどが計画されることもある)には、カイロの観光を避ける。  ...などを配慮していた。 (ホテルはギザ)


f0066555_843574.jpg クフ王のピラミッド

 観光の出発は11:30から。 その間に朝食を摂ったりで、睡眠は十分でなくとも、シャワーを浴びたことで、気分がすっきりした。

 この後、クフ王のピラミッド内に入る。
 見学者は1日200名に制限されているとか。


f0066555_8573773.jpg 3大ピラミッドが見渡せる場所に移動。
 左から、クフ王、カフラー王メンカウラー王

 国内旅行で、同じ観光地地を訪れた時など、記憶とずいぶん違っていることに戸惑うことが多いが、ここは記憶どおり。
 (海外で同じ観光地に来るのは、今回が初めてだが)
 折にふれ、この映像などを目にすることが多いせいだろうか?


f0066555_99151.jpg ギザのスフィンクス

 3大ピラミッドがある場所は、ギザの大通りのすぐ側。 バスの移動中、あるいはレストランで食事をしながら、ピラミッドを見ることができる。

 逆に言えば、町のすぐ側まで砂漠が迫っている。
 緑の多かった今朝のホテルさえ、窓から隣を覗くと、「砂漠の端?」と思わせるような砂地だった。


f0066555_9331720.jpg ギザからカイロへ向かう。 ナイル川の橋を渡る。

 ナイル川は世界一の長さを誇るが、川幅は意外に狭く200mほどだそうだ。
 そして、アスワンダムの建設により、水位は以前よりかなり下がっている。

 それにしても、これほどの川が流れていながら、国土の大半が砂漠に覆われているとは...。
 あらためて、日本の自然のありがたさに感謝する。

 後で目にするが、流域のわずかな幅だけが緑で、その近くまでが砂漠となっている。 灌漑のため運河が引かれているが、その水は濁りに濁った泥水。


f0066555_947262.jpg モハメドアリモスク

 前回は中にまで入れたが、今回は外から眺めるだけ。
 モスクは国王の名を冠し、トルコのブルーモスクに似せて作られた。

 前回のエジプト・トルコ旅行のときには、両方を見ながら気づかずにいたが、ガイドの説明を聞き、たしかに似ているのかなと。



f0066555_1020019.jpg モスクへの行き帰りに目にしたカイロの裏通り

 写真ではあまり雰囲気が出ていないが、「えっ、何かの縁日?」と思うような賑わい。

 車窓からも、いろいろ雑多な物が売られているのが見える。
 日用品から、(この砂っぽい通りでは、衛生的ではないと思える)食料品まで。


 通りを走る車は3年前と大差なく、いずれも相当年季の入った車が多い。
 何度か、動かなくなった車を押している姿、ボンネットを開けて修理をしている姿、牽引されている車を見たが、それも当然か?

 エジプトには国産車はなく、ヨーロッパ車に続きトヨタ・ニッサンなども人気が高いと言う。
 税金などが上乗せされ、日本では100万くらいの車が倍の200万にはなると言う。

 韓国のヒュンダイがエジプトで生産されており、安く購入できるので良く目にする。 (故障が多く、あまり評価は高くないらしい)



f0066555_1111484.jpg 線路にごみが散乱したカイロ駅

 前回もアレクアンドリアまで列車を利用したので、初めての光景ではないが、この状況に平気でいられるのは、やはり国民性なのか?

 今回の旅ではアスワンまで、寝台列車を利用する。
 寝台列車は2度目(トルコのアンカラ特急)、日本では1度もない。 長くエコノミークラスの座席に縛られていた身には、横になって眠れるのは「天国」と思えるほど。
 これでシャワーも使えたなら...。

 ただし、一等寝台だというのに窓は泥で汚れ、シーツもあまり...。 神経質な人は、(パジャマが汚れるので)着替えずに、「そのまま寝た」と言っていた。
 窓の汚れは、「どうせ夜中だし...」
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by t_ichib | 2012-07-05 21:06 | 今日もまた旅の空
久しぶりのジジ馬鹿
 正確に言うと、「ジジ馬鹿」をブログに乗せるのが久しぶりになった。 (ジジ馬鹿ぶりはいつも)

 3人の孫のうち、長女の春音が小学生になってからは、以前のように保育園を休んで、わが家に遊びに来るなんてことはできなくなっている。

 一方、私たちのほうが岐阜の娘の家に出かける機会が、その分だけ多くなった。
 というのは、昨年暮れに3人目の晃希を出産し、育児休暇をとっている娘が、「どうせ6年間のうち、一度はやらなければならない学校のPTA役員を、育休中に…」と、手を挙げたため。

 授業参観後の学級懇談の司会や、役員会議には赤ちゃんを連れて行けず、その時間だけ晃希の面倒を見に出かける。
 あるいは、少し離れた保健所に乳児健診に出かける母子の送り迎えだったり。


 保母、あるいは運転手の仕事が終わっても、学校や保育園から姉2人が帰ってくるには、ずいぶん時間があり、2人には会わずに帰ってくることになる。

 当初はごろんと横になって寝ている晃希を見ているだけで、つまらなかったが、次第に「にこっと笑った」、「寝返りができる」、「ハイハイができる」とさまざまな芸を見せてくれるようになった。



 今日は、先週の土曜日に学校行事があった振り替えで、春音がお休み。 久々に母子3人でわが家に来ることになった。 (土日なら、姉2人はお父さんに遊んでもらえるが、お母さん一人の月曜では大変)


 早朝から春音からの電話がかかる。 「お母さんが洗濯をしているから少し遅くなるが、プールを出しておいてくれる?」と。
 電話の後ろでは、「お母さん、水着々々」と騒ぐ、妹の彩乃の声も。


f0066555_20545728.jpg 毎年、買った値段以上の働きをしているプール

 晃希も最初にちょっとだけ、水に浸かったがこの二人ほどにはうれしそうな顔はしなかった。

 もうしばらくして、姉2人が見向きもしなくなるころには、「晃希専用」になるのだが。


f0066555_2114375.jpg 姉2人は午前中に1時間、午後にも1時間少々、プール遊びを堪能しているころ、晃希はスヤスタ。

 娘によれば、怪獣2匹に翻弄される土日は、いつも寝不足で機嫌が悪いそうだ。 (平日の夕方も…)



 夕食後、4人が帰った後は、いつもながら台風か地震の跡のよう。 それでもババ馬鹿は苦情ひとつ言わない。
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by t_ichib | 2012-07-02 20:12 | 今日もまたジジ馬鹿・親ばか