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ジジ馬鹿の一泊旅行
 春音がこの1年間、「よくがんばったから、ごほうびに」と、春休みに北陸へ旅行に連れて行くことにしていた。
 保育園には春休みはないが、妹の彩乃も一緒に。 小さい弟の晃希はさすがに無理。

 二人ともすごく楽しみだったようで、自分たちでカレンダーに印をつけて、この日を待っていたようだ。 (もっと楽しみにしていたのは、ジジババだったけれど)


 福井県立恐竜博物館

 1日目は、恐竜博物館へ。
 妹の彩乃でさえ、ティラノサウルスとトリケラトプスの名前を知っていた。 ちゃんと予習をしてくるなんて、私とは大違い。 (妻の血をひいたのか?)


f0066555_16585038.jpg 【会場外の恐竜の大きな口に】

 会場の周囲にはこうした恐竜の模型がいくつかあり、記念撮影などで楽しめる。

 広い原っぱもあり、長~いスベリ台などの遊具もあり、小さい子はそちらでも楽しめる。

 スベリ台は安全のためか、あまりスピードが出ないようになっている。 むしろスベリ台の縁を持って体を前に押し出さないと、下まで降りてこれない。



f0066555_17223456.jpg 【いよいよ入館】

 会場に入るとそこが3階になっており、長いエスカレータで1階まで降りる。

 その先には作り物とは言え、恐ろしげな恐竜が頭や尻尾を動かしている。
 大きな口を開け、うなり声まで。 彩乃は大丈夫か?


f0066555_1747535.jpg 【展示されている恐竜の化石の数は、半端ではない】

 二人とも恐竜は何万年も前にいなくなったと知っているし、骨だけだと怖くないし。
 中には「かわいい!」とさえ思える恐竜もいるし。

 展示を見るのも昼食をとるのも、アニメ映画の上映時間に合わせて。
 今日は「不思議の谷の恐竜たち」という作品。

 上映時間20分は、ここまで運転してきた私にとって、貴重な睡眠時間。

 「怖くなかった」という彩乃の感想は、「ちょっと怖いシーンもあった」ということ。


f0066555_181298.jpg 【恐竜博士と一緒に】

 博物館の入り口から右手に、小高い丘に登れる道がついており、そこのベンチに恐竜博士の模型が座る。 (博物館入り口付近にもある)

 この博士は、さっきのアニメ映画に出ていたような?
 夢うつつながら、確かに見てたはず。



 この日のもう一つの楽しみは、ホテルの「海みたいな」お風呂、隣の男湯にまではしゃぐ声が聞こえてきていた。
 夕食の前後に2回、そして翌朝にも。 たまに寝起きの悪いこともあるらしいが、「お風呂に行くよ」と声をかけるだけで、ぴょこんと飛び起きる。




 エンゼルランド福井

 2日目はここに行くことに決めていたが、ホテルのフロントに置いてあったパンフレットで確認。
 スペースシアターの上映番組は時間ごとに違うので、「アンパンマン」の時間に合わせての出発。


 スペースシアターとは言い換えるとプラネタリウムのこと。 上映作品もプラネタリウムを想定して作られているようで、途中で星座が出て来た。
 アニメの後には星座の解説があり、こちらは大人にも興味が持てる。

 スペースシアターは子供・幼児も有料だが、展示コーナーの方は大人のみが有料、こんな施設が岐阜にもあればよいのだが。


f0066555_19301624.jpg 【いろんな国の家が。 これはドイツの家だった?】

 小さな子供でもチャレンジできるクイズコーナーがあったり、手や体で感じられる世界のこと・自然や生き物・エコ、そして宇宙のことまで。

 無料の子供はもちろん、大人もチケットさえ見せれば再入場可。
 お昼を食べてからもう一度入ることができる。


f0066555_20215325.jpg 【楽しいお昼ご飯】

 昨日のお昼には、彩乃の好き嫌いにてこずった。
 妻の選んだメニューから少し取り分けて食べさせたのだが、まったく箸をつけようとしない。
 最後に春音の食べていたラーメンを少々。

 食堂のメニューを見ただけでは何が食べられるか、本人にも分からない。
 だから、今日はコンビニでおにぎりを。 選んだのは納豆まき。

 以前は姉の春音も好き嫌いの上、少食・食べるのが遅いと大変だった。 今では保育園・学校の給食に鍛えられ、何でもたくさん...


f0066555_20374445.jpg 【屋外施設も】

 昼食後は再入館する前に、暖かったのでひとしきり屋外施設で体を動かす。

 屋内の施設ばかりか、この「こどもの雲」や噴水広場などでも、ずいぶん長いあいだ楽しんだようだ。

 屋内には展示コーナー以外の無料で利用できる施設がいくつもあり、うらやましいくらい充実している。


 思わず、「県が原発交付金で潤っている?」と。 違っていたら失礼。


 とにかく、春音・彩乃ばかりでなくジジババまで楽しめた2日間だった。
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by t_ichib | 2013-03-28 16:26 | 今日もまたジジ馬鹿・親ばか
南イタリア⑦ 最終日もたっぷり観光
 今日のローマ発は午後8時の便、たっぷり1日分の観光が予定されている。 9日間の日程なので、前後の移動日を除いて7日間の観光ができて当たり前なのだが。


 午前中は【世界遺産:ナポリ】の市内観光。
 と言っても、ナポリには一昨日から連泊しており、初日のアマルフィに行く時も、2日目のシチリアに渡る時にもここが起点となっていて、初めてと言う気がしない。

 ナポリ駅から道一つ隔てたホテルの周囲は、地下鉄の工事中で朝夕はすごい交通渋滞。 ナポリに限らずイタリアでは、地面をちょっと掘ると遺跡が出てきて、調査のため何年も工事がストップするとか。

 工事現場と景観地区とが隣あわせと言う気がしてならない。


f0066555_931148.jpg 【ポジオリの丘から見下ろす港】

 歌に歌われた【サンタルチア港】のおもかげ(何100年前のこと?)は、今はもうないといわれ、しかもサンタルチアという地名も「行政的にはない」とも聞く。

 少なくとも、昔のサンタルチア港と呼ばれた地区には、バスでは入れなくなっているらしい。



f0066555_9451875.jpg 【海に突き出たたまご城】

 真正面から撮ったので海に突き出たさまが良く見えないが、昔は牢獄としても使われたと言う。

 「たまご」の由来は、城を築く時に魔術師が卵を産め、「卵が割れる時、ナポリに災いが起きる」とまじないをかけたと言われることから。

 カステル・オーヴァ(古城)とも言われる。 当然カステル・ヌーヴォ(新城)と呼ばれる城もあり、こちらはバスの窓からしか。
 新城といっても13世紀のもの。 次々に敵が海から侵入して来るのを嫌い、「せっかく建てられたのに、長く住む人がいなかった」とガイドの説明。



f0066555_959326.jpg 【プレビシート広場】

 ナポリでは一番広い広場、広場を取り囲むように、王宮、サンフランチェスコ・ディ・パオラ教会、サン・カルロ劇場などが並ぶ。

 そのどれにも入ることもなく、(「たっぷり」と書いた割には)ただ遠くから写真を撮るだけなのが残念だったが。



f0066555_10292510.jpg 【ウンベルト1世ガレリア】

 サン・カルロ劇場の道路を挟んだ反対側にあるウンベルト1世ガレリア。

 中央の丸いガラス張りの天井からは、たてよこにアーケードが広がり、モザイクの張られた床。

 その豪華さにホオーッと、首が痛くなるほど上を見上げる。


 添乗員からもガイドの口からも、「ナポリを見てから死ね」と言う言葉が何度も飛び出すナポリ。
 こんなところだろうか。



 午後からはバス移動して、最後の【世界遺産:ローマ市内】へと。


f0066555_11114674.jpg 【コロッセオ】

 添乗員がコロッセオに着くなり、「すごい人出ですね」と言ったが、前回来た時と比べそれほどでもないと。
 なによりも、古代ローマ戦士のいでたちをし、記念写真に応じる(チップが必要)姿も見かけない。

 ここからのガイドはたどたどしい日本語の、新人の女性。
 イヤフォンガイドを通じてさえ、小さな声で聞き取れない。

 周囲のファロ・ロマーノや凱旋門、もちろんコロッセオのことも説明してくれるが、皆さんてんでに周囲の記念撮影。 やりにくかっただろうな。



f0066555_11345158.jpg 【トレビの泉】

 ここと、この後のスペイン広場は、掛け値なしの大混雑。
 トレビの泉そのものより、この大勢の観光客に驚くことの方が大。

 ジェラードタイムなど、少々のフリータイムがあったのだが、「泉の反対側に行ってみよう」などの気も起こらず、集合場所の周辺の100m範囲内をうろうろするのみ。
 うっかり離れようとすれば、たちまち迷子になりそうで。



f0066555_11413222.jpg 【最後の観光:スペイン広場】

 大勢の人で、階段が見えない。

 集合場所は階段の上のオベリスクの辺り、遠くからでも良く分かり「迷子」の心配はないが、なんとなく早々とそちらに移動してしまう。


 この旅行の初日に添乗員が、シチリア島くんだりにまで出かけようと言う皆さんは、「さぞ海外旅行のベテランでしょう」と言われた。
 海外旅行が始めてという人はいないものの、イタリアにはこれが始めての人も多かった。

 わずか半日のローマはきっと物足りなく、イタリアの北の方を含めローマに、「もう一度来てみたい」と思った人もいるはず。
 それが旅行社のネライ?




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 上の写真は今回ご一緒したお一人が、全員へ記念にプレゼントしてくださった独楽。
 なんと折り紙で作られている。


 上海からローマまでの飛行機の中でも、いろいろな折り紙を折って、中国人の子供たちに見せておられたそうな。

 席が私たちより後方だったので気づかずにいたが、子供たちばかりかキャビンアテンダントまで、仕事そっちのけで、教わっていたそうだ。
 思わぬところでの国際交流、良い方とご一緒できた。
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by t_ichib | 2013-03-16 09:06 | 今日もまた旅の空
南イタリア⑥ ポンペイ遺跡
 今回の旅の最大の楽しみとまでは言わないまでも、かなり期待度の大きかったものが「青の洞窟」。

 船がカプリ島に着く少し前になったら、他の観光客より早く下船の準備をして、「いち早く洞窟に入る船に乗り込もう」と、必死に『作戦』を説明する添乗員だったのだが、ナポリからカプリ島に渡る船自体が欠航

 無情にもナポリ港手前でユーターン。 考えようでは、カプリ島についてからガッカリするより良かったかもしれない。
 気を取り直して、【世界遺産:ポンペイ遺跡】に出発。


f0066555_9515163.jpg 【ポンペイ遺跡入り口の海の門】

 左側の小さい方が人の通る門、右が馬車用。
 中に入ると石畳の道なのに、くっきりと轍の跡が刻まれている所もある。

 こんな大きな門をくぐると、「すごい遺跡にやってきたんだ」という興奮をおぼえる。



f0066555_10183197.jpg 【遺跡のメインストリート】

 ここに来るまで、商店が並んでいた跡だとか、モザイクが敷かれた金持ちの家などいくつもを見てきた。

 配布されたイタリア語の地図では、場所を確認できないが、たぶん遺跡の真ん中より大分手前か? 本当に広い。

 広々とした空間に、裁判所の跡だとか神殿らしき柱などが並び、絶好の記念撮影ポイント。



f0066555_1110416.jpg 【ポンペイに悲劇をもたらしたヴェスヴィオ火山】

 写真は遺跡の直前のバスの中から撮ったものだが、遺跡の中からも美しい姿が見られ、「こんなきれいな山が」と思ってしまう。

 バスの中でガイドは「フィニクリフィニクラ~♪(イタリア語)」と歌った後、「鬼のパンツは~♪(日本語)」と続け笑わせてくれた。
 このときも日本語の達者なガイドだった。



f0066555_1118129.jpg 【火山噴火の犠牲者】

 西暦79年8月の噴火と、その翌日の大火砕流で多くの市民の命を一瞬のうちに奪った。

 犠牲者の遺体は腐り果て、中に空洞が残った。
 その空洞に石膏を流し、死の直前の姿を残している。

 この男性は腹部のベルトから、奴隷だっただろうと。

 皮肉なことに、一瞬で時が止まってしまったポンペイは、古代ローマの市民生活を最も忠実に残していると言われる。



f0066555_11283790.jpg 【大通りの十字路】

 きちんとした都市計画に基づいた、たてよこにまっすぐな道路が。
 その両側に個人宅や商店、役所などが並ぶ。

 道路わきには馬をつなぎ止めた跡もあり、古代の「駐車場」だったと。



f0066555_1135046.jpg 【これは何?】

 ガイドの問いに頭をひねっていると、「運送屋の看板」だと。
 この時代にそんな職業が既にあったことに驚きつつ、確かに良く分かる看板だと感心する。

 私たちの間から洩れた声は、驚きとも納得とも。



f0066555_1141778.jpg 【古代のパン屋】

 パン屋のカマド。
 写真の手前には小麦から粉を引く石臼が、2つ、3つもあった。

 両方とも保存状況が良く、パン屋とまでは分からなくとも、石臼・カマドとはすぐ分かった。



f0066555_11481397.jpg 【古代のファーストフード店】

 路地を挟んでパン屋の向かいにあったこの店。
 石造りのカウンター上の穴には、ワインを並べていたとか。

 冷たいもの・暖かいものなどが出され、賑わったことだろう。



f0066555_11542454.jpg 【水のみ場】

 道路沿いには、何ヶ所も水のみ場が作られていた。
 女性の顔らしいが、素朴な表情が面白い。


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              【通りに残る水道管の一部】

 ローマ水道橋で遠くから運ばれてきた水は、こんな水道管で町中に供給されたいた。


f0066555_15493045.jpg 【その水の大きな需要先、公衆浴場】

 この部屋はそっけない作りだが、熱や蒸気で剥がれてしまうためとかで、脱衣所とか水風呂とかにはレリーフやフレスコ画などの装飾があった。

 ローマの公衆浴場は皇帝が、自分の名声と人気取りのために作ったが、さらに有力者が選挙対策で自分の名を刻んだ設備などを寄付したりした。



f0066555_1636411.jpg 【いけにえを捧げた祭壇】

 手前の白いのが、犠牲のヤギやヒツジなどを乗せた祭壇。

 「...時々人間も」と言ったガイドの言葉は、ジョークなのか本当のことなのか(人間と猛獣との戦いをショーとして楽しんだ古代のことゆえ)判断がつかず、早々にこの場を後にした。


 立派な玄関を持ち、表通りから裏通りまで一軒の家がつながった大金持ちの邸宅や、モザイク・フレスコ画などにも息を呑む。



f0066555_16502962.jpg 【遺跡からの出口にはお墓が並ぶ】

 通りの名にも、Via delle Tombe とあり、たくさんのお墓が並ぶ。

 入り口の海の門からも、こちらからも遺跡は高い丘になっているのに、火砕流にそっくり飲み込まれてしまった。
 大規模な噴火だったんだろう。

 通りの反対側には水道橋の遺構が一部残っている。



f0066555_16593348.jpg 【秘儀荘近くに残るワイナリー】

 遺跡から少し離れた秘儀荘の鮮やかなフレスコ画を見た後に、このワイナリーを見る。

 当時のポンペイは海に近く商業都市として、また(当時近くにブドウ畑があり)ワインの生産地でもあったことがうかがえると言う。




 「青の洞窟」に行けなかった代わりとしての観光が、昼食後に出かけたナポリ考古学博物館。
 遺跡の中から発掘された神々の彫刻も多かったが、遺跡の中でレプリカで見たものを。


f0066555_17163923.jpg 【金持ちの大邸宅の庭先にあったブロンズ】

 玄関を入ったすぐに雨水を貯めるための浅い水槽があり、その中に置かれた獣神?(小さな尻尾がついていた)

 この時ガイドに遅れて入ったので、よく分からなかった。

 人間の身長の1/3くらいの、そんなに大きくない像。
 価値が高いためか、腐食を防ぐためか、ガラスケースに収められている。



f0066555_1743324.jpg 【売春宿のフレスコ画】

 私たちが歩き回った狭い範囲にさえ2、3軒もの売春宿があり、女性陣は「多すぎ!」と眉をひそめていたが、当時は性におおらかな時代だったから。

 遺跡の中で立ち寄ったのは1軒だけだったが、その中にも同様のフレスコ画が描かれていた。

 最近ある本を読み、フレスコ画がどのようにして描かれるか(恥ずかしながら)やっと分かった。
 出来上がった白い壁に絵を描くのではなく、漆喰が生乾きの状態で絵を描く。
 そうすることで漆喰の中にまで絵の具がしみ込み、簡単には絵が消えない。



f0066555_18395817.jpg 【お金持ちの玄関を飾ったモザイク】

 玄関と言っても、表から良く見える屋外。

 モザイクのあちらこちら、特に写真より左側の部分は、長い間踏まれ磨り減ったり、剥がれ落ちたりで、絵が分からなくなっている。
 そこに生活と歴史がうかがえるのだろうが。
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by t_ichib | 2013-03-15 22:33 | 今日もまた旅の空
南イタリア⑤ 世界遺産2ヶ所をめぐる
 何度か旅をしてきて、世界遺産エリア内のホテルに泊ったことがあったかもしれないが、世界遺産の観光に歩いて出発というのは初めて。

 いざ【世界遺産:アルベロベッロ】に出発。


f0066555_205759.jpg 【ホテルを出てすぐトゥルッリの中へ】

 ちょっと残念だったのは、今日も小雨の中の観光開始となったこと。

 この後すぐに傘を閉じても良くなったが、荷物を一つ余分に持つことには変わりがない。


 童話に出てくるようなこのトゥルッリと呼ばれる家は、当時ここを支配していた領主が、住民たちに「すぐに壊せる家を作れ」と命じ、その結果生み出された形。

 国王から領主への課税は、戸数で決められており、(国の調査の時には)簡単に壊すことができたという。



f0066555_913388.jpg 【このトゥルッリはいくらぐらい?】

 住民たちにも圧制をしいた伯爵家も、倒されて久しい。
 当時に比べ、きっとしっかりした作りになっているのかもしれないが、白い壁の部分は1mほどの厚みがあり、暑さ寒さにも快適という。

 ガイドが「この家はいくらぐらいと思いますか?」と、なんと20平方m位で2,500万円位もするとのこと。

 やや住みにくいと思われる家からは、住民が周辺の近代住宅へと移転し、トゥルッリは「お金持ちの別荘?」になっているのかも。



f0066555_917273.jpg 【トゥルッリの断面図】

 上の写真の丸い屋根の下の部分が一つの部屋。
 この家はいくつかの部屋が、中でつながっているようだ。

 壁に窪みをつけ、そこに家具を置いたり、あるいはクローゼットにもなり、とんがり屋根の下も屋根裏部屋として活用された。



f0066555_9313868.jpg 【家の中のようす】

 実際のおうちに(チップをお支払いして)入らせていただいた。

 この写真は妻が撮ったもので、私は入っていない。
 この時は、日本語の達者なガイドだったので、先頭にガイド・後方に添乗員が付き見学していた。
 その後方の添乗員と2、3名だけが入る。 残念だったが、写真で見られたので。



f0066555_956059.jpg 【集落を見下ろす絶景ポイントから】

 おもちゃのような家が、びっしりと並んだ童話の世界。

 この前で次々に記念写真を撮る人で、添乗員とガイドはおおわらわ。

 町の中心のポポロ広場あたりが低くなっているので、その向こうのモンティ地区が見えているのだと思うけど、方角はあっている?



f0066555_10345888.jpg 【屋根に記された魔よけ】

 時々屋根に白く文字か記号のようなものが描かれている。
 魔よけだとの説明。

 モンティ地区の坂道の両側に、おみやげを売る店が並ぶ。
 ガイドは「ギンザ」だという。 …アクセントが違っていて、銀座だと気づいたのは数秒後。

 女性が店頭に立ち、「赤ずきん」、「おおかみ」と一瞬で早や変わりする人形を見せていた。



f0066555_10451240.jpg 【聖アントニオ教会】

 モンティ地区に入ったところで、自由散策。
 地区の高台にあり、配られた地図では一番端っこ。
 私たちのほかはお店などに立ち寄り、ここまで来た人はいなかった。

 「教会までトゥルッリ風の屋根をしているんだ」と。
 まさかこれまで壊したり、作り直したりはしなかっただろうが。



f0066555_10551884.jpg 【地区の中心にあるポポロ広場】

 散策後の集合場所が、この近くのタバコ屋の近く。
 左側にはカフェやリストランテ、右側の通りには野菜・果物や衣類など市が立つ。

 すぐ近くに市役所・警察もあったらしいのだが。




 アルベロベッロから次の【世界遺産:マテーラ】までは、1時間半。
 アマルフィ・アルベロベッロに比べ知名度が低く、どんなところかも当日やっと知った世界遺産ではあるが。


f0066555_11414336.jpg 【マテーラのサッシ群】

 バスを降り少し進むと、目前にこんな家々が広がり「おおーっ」となる。

 が、バスの中で添乗員から簡単な説明があった「貧しい人たちが長い間、苦しみに耐えた地区」とは違うような。

 「水も電気もない暮らし」というのは昔のこと、遠くからでもパラボラアンテナなどが見える。

 国の施策で第2次大戦後住民の移住が進み、今ここにはお金持ちが住みやすく改装して暮らしているとか。


f0066555_11391566.jpg 【昔ながらの洞穴住居跡】

 谷に向かって左側が上の写真の今も人が住む地区、右側(この写真)は保存地区となっている。

 立入り禁止になっているようで、この後歩いたのは左側の地域。

 サッシ(洞窟住居)のことをガイドがサッソと言うので、添乗員が確認すると、「イタリア語では単数形は末尾がO、複数だとIになる」と教えてくれる。
 …とすれば、今朝見たものもトゥルッロ(単数)とトゥルッリ(複数)となるらしい。


f0066555_12463574.jpg 【ムッソリーニの時代に作られた井戸】

 大戦前にここを訪れたムッソリーニは、あまりに悲惨な住民の暮らしを目にし、何ヶ所もの井戸を作らせた。
 当時のファシスト党のシンボルが残る井戸もある。

 ドイツに比べ独裁者に対する評価がずいぶん違うように思う。 (ガイドの口ぶりにも)



f0066555_1253323.jpg 【地区内の博物館:カーサ・グロッタ】

 Casa Grottaとは「グロッタさんの家」の意味で、当時の農民の暮らしぶりが分かる。

 アルベロベッロでも、Casa D'Amoreと言うのがあったが、愛の家ではなく「ダモーレさんの家」、こちらは領主の圧制から解放され、初めて漆喰で固められた(壊れない)2階建ての歴史的な家とされる。


f0066555_13201771.jpg 【雨水を集める取入れ口】

 カーサ・グロッタの入り口の床に溝が掘られており、そこから地下の貯水槽に雨水を貯められるようになっている。

 ムッソリーニの井戸以前は、こんな工夫・苦労をしていたんだなと。




 二つの世界遺産の見学を午前中で済ませ、昼食後はナポリまで255Km、約5時間。

 夕食のナポリ港付近はバスが入れない地域で、レストランまでの10分少々を歩く。 最悪のタイミングで強い雨が降り出す。
 旅行中、お天気にはツキがなかったけど、この時が最低。
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by t_ichib | 2013-03-14 20:49 | 今日もまた旅の空
南イタリア④ 移動日
 あらかじめ日程表で承知していたとは言え、添乗員から「今日は移動日です」と告げられると、思わずため息が。


f0066555_11155440.jpg 【雲に覆われたエトナ山】

 2日間のシチリア島を後にする前にもう一度エトナ山に目をやるが、昨日と同様に雲に覆われたまま。

 まあ、移動日に絶好の日和を期待してもしょうがない。

 その分、明日以降がいい天気であれば...。



f0066555_11451528.jpg 【メッシーナから乗船したフェリー】

 シチリアに来るときは10時間以上もかかったのに、帰りのフェリーは30分足らず。

 向うずねからボールまで(ナポリ=パレルモ)の距離と、つま先からボールまで(レッジョ・ディ・カラプリア=メッシーナ)の距離の差なのだろう。

 この後は靴底を、つま先からかかと(アルベロベッロ)に向かって進む。
 この距離は265Km、約5時間、その間を昼食と小休止のみで。



f0066555_17201576.jpg 【アルベロベッロのかなり手前でも】

 この移動の間、天気が今ひとつさえないし、途中に大きなあるいはきれいな町並みもない。

 で、うつらうつらしていた目に、時々こんなとんがり屋根が見え始める。

 添乗員が言っていた到着時間からすると、ここはまだ大分手前のはず。

 その周囲には、青々とした牧草か小麦かの畑が続く。
 その畑の一つ一つが石積みで囲われている。

 たぶん、ここは元々石ころだらけの土地だったんだろう。 長いこと苦労して石を取り除き、「邪魔者の石で囲いを作ったなだな」と。
 日本でも見ないわけではないが、同じような歴史があるんだと。





 イタリアのホテルでの夕食時間は、どんなに添乗員がせっついても7時半がやっと。
 1日中バスに座りっぱなしだったので、近くにスーパーがあると聞き、時間つぶしに出かけてみる。

 たまたま同じホテルに、もう1組の日本人ツアー客が到着しており、さして大きくないスーパーは(時間差は合ったにしても)50名くらいの客でごった返すことに。
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by t_ichib | 2013-03-13 10:50 | 今日もまた旅の空
南イタリア③ カルタジローネからタオルミーナへ
 昨夜泊まったアグリジェントのホテルを出発し、120Km2時間で【世界遺産:ヴァル・ディ・ノート】の町々の一つ、カルタジローネに着く。

 ヴァル・ディ・ノートとは、1693年の地震で壊滅し、後期バロック様式という統一された建物で再建された8つの町を指す。



f0066555_17382033.jpg 【サンタ・マリア・デル・モンテの階段】

 カルタジローネの観光の中心は、142段あるというこの階段。

 サンタ・マリア・デル・モンテの名は、階段上部にある教会の名前から。

 世界遺産にもかかわらず、ガイドなしの自由散策。
 「階段を中心に左右の町並みを楽しめばよし」と。

 実はこの日、ついに小雨が降りだし、私たちも早々と集合場所に指定された、写真の背後にあるインフォメーションセンターに避難することになってしまった。


f0066555_17485191.jpg 【陶器で美しく飾られた階段】

 カルタジローネではもともと陶器が作られていたようだが、一時シチリアを支配したアラビア人により、新しい技術が持ち込まれ発展した。

 他の7つの町には行っていないが、この町は陶器製造でも有名な町のようだ。


            【階段を彩る陶器】
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 階段の陶器は下から上に(写真では左上から右下に)、作られた時代が新しくなる。

 その間の技術の進歩がうかがえるという。 例えばガス釜の発明により高温で焼けるようになり、赤などの多彩な色が使えるようになったとか。

 左上の下段中央には、陶器の製作者の名が書かれているそうだ。



f0066555_1892848.jpg 【幾枚もの陶器で描かれた絵】

 階段を登りきった正面の建物の壁に描かれた陶器の絵。
 ガイドが同行していないので、何の絵だか分からない。

 モザイク画とは異なるが、幾枚もの陶器の絵柄がぴたりと合うところに技術を感じる。


f0066555_1931164.jpg 【階段の中途にあった陶器工場】

 階段の上下や中途にある通りや路地を覗いてみても、素人にはどこが後期バロック様式なのかは分からない。

 それでも、階段の左右に飲食店やおみやげ屋(陶器が多い)のほかに、陶器の工場を見つけ「さすがカルタジローネ」とも。


f0066555_19273981.jpg 【カルタジローネ市役所】

 「たぶん、これが『後期バロック様式』なのだろう」との独断で、市役所の建物を見上げる。

 もし違ったとしても、「公の建物にはユーロ・イタリヤ・シチリアの旗が掲げられている」ことの証明くらいにはなるか?

 『今昔物語』の仁和寺の法師の件り、「少しのことにも先達…」を思い出し、自嘲。


 ここで昼食をとったあと、115Km2時間半を移動し、タオルミーナへ。




f0066555_19404953.jpg 【タオルミーナにつながる山道】

 タオルミーナには大型バスでは入れず、少し下の駐車場で何台かの車に分乗してホテルに着く。

 この写真はホテルから撮っており、タオルミーナの町はそのホテルのすぐ後ろ。

 一度部屋に入り一息入れてから、再集合・観光への出発。 たまにはこんなのも楽でいい。


f0066555_204970.jpg 【タオルミーナの入り口・カターニア門】

 中央の大通りに3つの門があり、カターニアの町の方向にあるこちら側がカターニア門。
 反対側はメッシーナの町の方角なのでメッシーナ門。
 中央は時計がついているので時計塔と呼ばれている。

 実に単純な命名方式なので覚えやすい。 (ただし3日もすれば忘れる)

 この門の左側の坂道を少し上がったところにスーパーがあり、観光後のフリータイムにはここでおみやげを物色する人でいっぱいに。



f0066555_20185379.jpg 【ドゥオモ広場】

 こちらは世界遺産ではないが、案内のガイドがつき説明してくれる。

 カターニア門を入るとすぐドゥオモ広場、その先に見えるのはカテドラル。

 写真では見えないが、左側はシティホールだとか。



f0066555_20303067.jpg 【4月9日広場】

 真ん中の門、時計塔を抜けるとチェック模様の鮮やかな「4月9日広場」に出る。
 その向こうには昔教会だった建物が、今は市立図書館となっている。

 右側からの海への見晴らしが良く、記念撮影のスポットとなっている。

 「4月9日…」の意味は、1860年のこの日にスペインの支配から開放するために、ガリバルディがシチリアに上陸したとの噂に市民が狂喜した。
 実は誤報で、上陸は1ヶ月後。 しかしその時の歓喜を忘れず、広場に「4月9日」の名をつけた。



f0066555_20481121.jpg 【ギリシャ劇場】

 一度メッシーナ門に突き当たってから、少し戻り右側に折れるとギリシャ劇場に出る。

 観客席後方から舞台を見下ろす。


f0066555_2111463.jpg 【舞台下の大きな溝は?】

 ガイドによればこの溝は、「オーケストラボックスや役者たちの控え室として使われただろう」と。

 朽ちてなくなっているが、「当然この上には板などが張られていただろう」とも。


 ギリシャ劇場の観光を最後に、フリータイム。
 後は途中で目に付けたおみやげ屋に寄る人、スーパーで買い物をする人などに分かれる。


 ホテルの真正面に見えるエトナ山
 イタリアで一番高い火山だとか。 (いやヨーロッパ一だったか?)
 午前中の雨は上がり薄日が差し始めたものの、頂上付近には厚い雲が残る。 残念!
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by t_ichib | 2013-03-12 17:10 | 今日もまた旅の空
南イタリア② パレルモからアグリジェントへ
 シチリア島は、イタリア半島のつま先で蹴られたサッカーボールの位置にある。
 島といっても日本の四国と岡山県をあわせたほどの広さを持ち、シチリア州という1つの州となっていることに納得する。

 地中海では最大の島、2番目がサルデーニャ島、3番目が今問題となっているキプロス。

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 左は州の紋章、右はどこだったかの建物に刻まれた(微妙に異なるが)同様の紋。
 中央の顔は神話のメジューサで、右の紋では髪の毛が蛇になっているのが良く分かる。
 奇妙な3本の足は、パレルモ・シラクーサ・メッシーナの3つの岬を象徴している。

 州旗もほぼ同様のデザインで、公の建物にはユーロ旗・イタリア国旗とともに、州旗が掲げられている。



f0066555_9585637.jpg 【近づいてくるパレルモ港】

 内側キャビンの私たちは、外に出て寒さに震えながら夜明けのパレルモ港を眺める。 (イタリア滞在中は、連日予想に反して寒い日が続いた。)

 昨夜8時ころに出航した船で、早朝6時に簡単な朝食をとり、7時には下船完了。


f0066555_108336.jpg 【乗船して来たフェリー】

 昨夜は暗くてよく分からなかった船を間近で見る。
 大きい…、クルーズ船といって良いほど。

 ここで現地ガイドが同行。
 イタリアでは各観光地ごとにローカルガイドがつく。 雇用確保のためだろうが、資格を持つガイドの同行なしでは、添乗員が説明することができない。

 前回のイタリア旅行では、日本人ガイドと「何にもしない」ガイドの2人がやってきた。 実は「何にも…」の方が有資格者。
 今回は、英語か日本語ができるガイドが案内し、「何にも…」はついてこなかった。
 日本語の習熟度にばらつきがあり、なかには私たちが「何にも理解できない」ガイドもいた。



f0066555_1026568.jpg 【マッシモ劇場】

 マッシモ劇場は19世紀末に、33年の期間を要して建てられた美しい劇場。
 たまたま停まっていた馬車まで、持っていたガイドブックの写真と同じよう。

 パレルモはシチリアの州都で、美しい通り・建物がいくつもあり、ガイドの説明も熱が入る。


f0066555_10373123.jpg 【ノルマン王宮】

 ノルマンというと、スカンジナビア半島のバイキングを思い浮かべるが、11世紀にはノルマン王がイタリア・シチリアを支配した。

 地中海交易の絶好の地にあるため、古くからギリシャ・ローマ・アラビア…と、支配は次々と変わったが、パレルモ港を見下ろす高台にあるため、紀元前8世紀にはここに城砦が築かれた。
 ノルマン王は大規模な改築を加え、ここを王宮とした。

 現在は州議会場、短時間で、かつ見た角度が悪かったためか、あまり王宮らしく感じなかった。


f0066555_1182987.jpg 【パレルモのカテドラル】

 王宮からは歩いて移動できる距離にある美しい大聖堂。

 パレルモの中心にあるため古くから教会があり、支配者が変わるごとにモスク・キリスト教と変遷。 その後もいくつもの改装が施されてきた。

f0066555_11311390.jpg イスラム教の支配時代は、宗教には寛容な統治がなされ、ノルマン朝にもその施策が引き継がれた。

 右の写真、モスクから改修された大聖堂の柱に残るコーランの彫刻。
 あえて削り取らずに、それを残した。
 同行のガイドはシチリア人の「寛容さ」の表れと誇らしげに…。



f0066555_1261493.jpg 【モンレアーレのドゥオモ】

 モンレアーレはパレルモから8Km、15分ほどの距離。 同じガイドが同行。

 パレルモでは中に入らなかったが、ここでは内部の豪華さに驚く。


f0066555_12261916.jpg 【中央には大きなキリストのモザイク画】

 正面のキリストばかりでなく、壁や天井さらに床にいたるまで、宗教的な絵や模様までがすべてモザイクで描かれている。

 写真の大理石の柱を除くすべてがモザイクで覆われ、その面積は6500平方メートルに及ぶ。


f0066555_1240405.jpg 【天井近くの壁面に描かれたアダムとイブ】

 低い位置から見上げたときには、絵画としか見えなかったが、これもモザイク画。

 上段に旧約聖書、下段に新約聖書のエピソードが、当時の文字が読めなかった人にもわかりやすく描かれていた。
 日本で言えばお寺などに伝わる「〇〇縁起絵巻」のようなものかと、興味深い。




 昼食後は、140Km2時間半移動して、【世界遺産:アグリジェント神殿の谷】へ。
 イタリアは世界で一番世界遺産が多い国だが、シチリアだけでも4つあり、今回はそのうち2つを回る。


f0066555_13323251.jpg 【ヘラ神殿】

 神殿の谷という名前に反して、どう見ても丘という場所にある。
 全部で5つの神殿が並び、その一番東にあるのがゼウスの妻を祀ったヘラ神殿。

 柱は大理石ではなく、石灰岩で表面には漆喰が塗られていた。 (下の方の一部に白く漆喰が残っている。)
 当時は真っ白に輝く美しい神殿だったと。


f0066555_13543992.jpg 【神殿周囲に残る城壁】

 城壁に使われていた石灰石は、神殿の修復などに転用されたりして一部が残る。
 さらに後には、キリスト教徒のお墓にも使われた。 穴一つが1人のお墓とか。

 アグリジェントのガイドは元気いっぱいで陽気な男性。
 私たちの列は縦に長くなり、うっかりすると置いていかれそうになる。


f0066555_14101575.jpg 【コンコルディア神殿】

 コンコルディアはギリシャ神話の平和・協調の女神。

 建物が二重になって見えるが、内部はモスクとして、後には教会として使われた建物。
 それが補強財となって、最も完全な形で残っている。

 ガイドの説明によれば、「ギリシャのオリンポス神殿と同じ様式」という。
 そういえば、規模は小さいが良く似ている。


f0066555_1418992.jpg 【ゼウス神殿】

 神殿といわれても、一つ手前にあった「ヘラクレス神殿」や遠くに見える「カストル・ポルクス神殿」には何本かの柱が残っているのに比べ、まったく瓦礫の山。

 ただし、ヘラ・コノコルディア神殿などに比べ広さは10倍近く、高さは2倍強の大きなものだった。

 写真の大きな岩に残る字形の溝は、運搬や吊り上げるときにロープをかけるためのものだそうだ。

 近くには大きな岩を斜面に沿って引き上げるために用いられた、石でできたレールのような遺構も残されていた。




 世界遺産も、世界遺産になっていないものも、どちらも興味深くスゴイなぁと。
 支配層が変わるため改装されたり、あるいは修復で当時のものが一部しか残っていないとしても。

 紀元前とか、〇世紀と聞くたびに隣で妻が「日本だと縄文?弥生?それとも石器時代?」と、おかげで私まで頭がごちゃごちゃに。

 交易の絶好の地にあったため、支配したり支配されたり、大変だっただろうが、その分文化の発達も早く、繁栄もしただろう。
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by t_ichib | 2013-03-11 21:36 | 今日もまた旅の空
南イタリア① 「エメラルドの洞窟」って?
 南イタリア①としたが、中部国際空港を出発したのは昨日。 集合時間が早かったため空港内のホテルに前泊したので、この日でもう旅の3日目。

 中部空港からの直行便がないため、乗り継ぎやその待ち時間などで、昨日はローマ空港に着いた後は、ホテルで寝る時間だけの日程。


 今日はホテルを出発してから、途中ナポリで昼食休憩があるだけで、ひたすら【世界遺産:アマルフィ】を目指す。


f0066555_2044371.jpg 【ポタジーノの丘から望むアマルフィ海岸】

 アマルフィの町だけではなく、ソレントからサレルノまで続く30Kmの海岸線が世界遺産として登録されている。

 途中で通過してきた町々も、道路からは見上げるような急斜面に家が貼りついている。
 車を持っている人は路上駐車するしかない。

 ポタジーノの丘は、たぶんアマルフィよりはだいぶ手前。 少し前からカーブを曲がるたびに、アマルフィ海岸の絶景が見え隠れしていた。

 ちょっと不安にさせるのは前方の低い位置にまで、雲が下がっていること。



f0066555_217484.jpg 【本当はこの先で「エメラルドの洞窟」を見られたはず】

 カプリ島の「青の洞窟」は有名だが、アマルフィ近くにも「エメラルドの洞窟」があることを今回の旅行ではじめて知った。

 洞窟はそんなに深くはないらしいが、それでも海の上からアマルフィ海岸を眺めるのも悪くない。

 …と思っていたのだが、船着場に着く間もなく「欠航になっている」と運転手が告げる。
 波が高いからだとか。 見た目にはそんなでもないようなのに。

 洞窟にはこの写真の向こう側から入れるようで、残念ながら入り口さえ見られなかった。



f0066555_21375598.jpg 【アマルフィ旧市街・ドゥオモ広場】

 広場はアマルフィの町の中心。

 中央は町の守護聖人アンドレアの銅像、台座にはユニークな噴水がある。

 天使が抱える魚から、男性の持つ水がめから、そして女性の胸からも水が注がれる。


f0066555_2153541.jpg 【広場から見上げるドゥオモ】

 アマルフィはイタリア半島を長靴に見立てたときの、むこうずねに当たる部分にある。

 実際に歩いてみると、町はそれほど大きくないように思える。

 このあたりの海岸は海から急に切り立った崖が続く中、嵐などを避ける入り江のようになっており、ドゥオモが立てられた当時は交易でおおいに栄えたという。

 だからこの町にドゥオモが…?


f0066555_22145737.jpg 【所々で2階部分がつながった、アマルフィの通り】

 通りの両側は、ブティック・喫茶店・ジェラードのお店・パン屋・陶器や小物のおみやげ屋など、さまざまなお店が並ぶ。

 ここで、ジェラードは歩きながら食べ(妻が)、チーズはおみやげに。

 この通りの右にも左手にも山が迫り、人の住む地区は意外に狭い。
 通りそのものも先へ進むほど急な坂道になっており、道路の下には谷川の水が集まっているようで、ごうごうと音を立てて流れる。



f0066555_22213892.jpg 【アマルフィの町を箱庭にしたかのような】

 その箱庭には、かわいらしい色あざやかな人形たちが。 町の男女や天使や神も。

 最初だったので珍しさで撮ったが、この後のシチリア島でも何度か目にした。
 こんな人形を売る店も。



f0066555_2235493.jpg 【アマルフィの海岸】

 写真は手前の桟橋から撮る。
 私たちの滞在中には1艘の船も見なかったが、どれくらいの大きさの船が入港可能なのか?

 アマルフィでの散策時間は1時間ほど。
 通りの先で見かけた紙の博物館(Museo Della Carta)や「天空の回廊」にも立ち寄る暇もない。

 バスに戻ったのは私たちが一番最後。 集合時間前だったのに…、ちょっと寒かったので他の人は早く戻った?

 こんなに時間に余裕がないのは、この後にシチリア島に渡るため、ナポリまでの80Kmを戻らなければならないため。



f0066555_22504029.jpg 【出航するナポリ港】

 ナポリ市内で夕食をとり、20時の出航に合わせ乗船。
 あたりはもう真っ暗で、写真の隣の船さえ良く分からない。

 シチリア島パレルモまでは、12時間。 後は船室で寝るのみ。

 大きな船だったのに、乗客はまばら。
 翌日の下船時の混雑もなく、「こんなんじゃ、運行すればするほど赤字だろうな」と添乗員さんが言ったほど。
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by t_ichib | 2013-03-10 20:49 | 今日もまた旅の空