今回の旅の最大の楽しみとまでは言わないまでも、かなり期待度の大きかったものが「青の洞窟」。
船がカプリ島に着く少し前になったら、他の観光客より早く下船の準備をして、「いち早く洞窟に入る船に乗り込もう」と、必死に『作戦』を説明する添乗員だったのだが、ナポリからカプリ島に渡る船自体が欠航。 無情にもナポリ港手前でユーターン。 考えようでは、カプリ島についてからガッカリするより良かったかもしれない。 気を取り直して、【世界遺産:ポンペイ遺跡】に出発。 【ポンペイ遺跡入り口の海の門】 左側の小さい方が人の通る門、右が馬車用。 中に入ると石畳の道なのに、くっきりと轍の跡が刻まれている所もある。 こんな大きな門をくぐると、「すごい遺跡にやってきたんだ」という興奮をおぼえる。 【遺跡のメインストリート】 ここに来るまで、商店が並んでいた跡だとか、モザイクが敷かれた金持ちの家などいくつもを見てきた。 配布されたイタリア語の地図では、場所を確認できないが、たぶん遺跡の真ん中より大分手前か? 本当に広い。 広々とした空間に、裁判所の跡だとか神殿らしき柱などが並び、絶好の記念撮影ポイント。 【ポンペイに悲劇をもたらしたヴェスヴィオ火山】 写真は遺跡の直前のバスの中から撮ったものだが、遺跡の中からも美しい姿が見られ、「こんなきれいな山が」と思ってしまう。 バスの中でガイドは「フィニクリフィニクラ~♪(イタリア語)」と歌った後、「鬼のパンツは~♪(日本語)」と続け笑わせてくれた。 このときも日本語の達者なガイドだった。 【火山噴火の犠牲者】 西暦79年8月の噴火と、その翌日の大火砕流で多くの市民の命を一瞬のうちに奪った。 犠牲者の遺体は腐り果て、中に空洞が残った。 その空洞に石膏を流し、死の直前の姿を残している。 この男性は腹部のベルトから、奴隷だっただろうと。 皮肉なことに、一瞬で時が止まってしまったポンペイは、古代ローマの市民生活を最も忠実に残していると言われる。 【大通りの十字路】 きちんとした都市計画に基づいた、たてよこにまっすぐな道路が。 その両側に個人宅や商店、役所などが並ぶ。 道路わきには馬をつなぎ止めた跡もあり、古代の「駐車場」だったと。 【これは何?】 ガイドの問いに頭をひねっていると、「運送屋の看板」だと。 この時代にそんな職業が既にあったことに驚きつつ、確かに良く分かる看板だと感心する。 私たちの間から洩れた声は、驚きとも納得とも。 【古代のパン屋】 パン屋のカマド。 写真の手前には小麦から粉を引く石臼が、2つ、3つもあった。 両方とも保存状況が良く、パン屋とまでは分からなくとも、石臼・カマドとはすぐ分かった。 【古代のファーストフード店】 路地を挟んでパン屋の向かいにあったこの店。 石造りのカウンター上の穴には、ワインを並べていたとか。 冷たいもの・暖かいものなどが出され、賑わったことだろう。 【水のみ場】 道路沿いには、何ヶ所も水のみ場が作られていた。 女性の顔らしいが、素朴な表情が面白い。 【通りに残る水道管の一部】 ローマ水道橋で遠くから運ばれてきた水は、こんな水道管で町中に供給されたいた。 【その水の大きな需要先、公衆浴場】 この部屋はそっけない作りだが、熱や蒸気で剥がれてしまうためとかで、脱衣所とか水風呂とかにはレリーフやフレスコ画などの装飾があった。 ローマの公衆浴場は皇帝が、自分の名声と人気取りのために作ったが、さらに有力者が選挙対策で自分の名を刻んだ設備などを寄付したりした。 【いけにえを捧げた祭壇】 手前の白いのが、犠牲のヤギやヒツジなどを乗せた祭壇。 「...時々人間も」と言ったガイドの言葉は、ジョークなのか本当のことなのか(人間と猛獣との戦いをショーとして楽しんだ古代のことゆえ)判断がつかず、早々にこの場を後にした。 立派な玄関を持ち、表通りから裏通りまで一軒の家がつながった大金持ちの邸宅や、モザイク・フレスコ画などにも息を呑む。 【遺跡からの出口にはお墓が並ぶ】 通りの名にも、Via delle Tombe とあり、たくさんのお墓が並ぶ。 入り口の海の門からも、こちらからも遺跡は高い丘になっているのに、火砕流にそっくり飲み込まれてしまった。 大規模な噴火だったんだろう。 通りの反対側には水道橋の遺構が一部残っている。 【秘儀荘近くに残るワイナリー】 遺跡から少し離れた秘儀荘の鮮やかなフレスコ画を見た後に、このワイナリーを見る。 当時のポンペイは海に近く商業都市として、また(当時近くにブドウ畑があり)ワインの生産地でもあったことがうかがえると言う。 「青の洞窟」に行けなかった代わりとしての観光が、昼食後に出かけたナポリ考古学博物館。 遺跡の中から発掘された神々の彫刻も多かったが、遺跡の中でレプリカで見たものを。 【金持ちの大邸宅の庭先にあったブロンズ】 玄関を入ったすぐに雨水を貯めるための浅い水槽があり、その中に置かれた獣神?(小さな尻尾がついていた) この時ガイドに遅れて入ったので、よく分からなかった。 人間の身長の1/3くらいの、そんなに大きくない像。 価値が高いためか、腐食を防ぐためか、ガラスケースに収められている。 【売春宿のフレスコ画】 私たちが歩き回った狭い範囲にさえ2、3軒もの売春宿があり、女性陣は「多すぎ!」と眉をひそめていたが、当時は性におおらかな時代だったから。 遺跡の中で立ち寄ったのは1軒だけだったが、その中にも同様のフレスコ画が描かれていた。 最近ある本を読み、フレスコ画がどのようにして描かれるか(恥ずかしながら)やっと分かった。 出来上がった白い壁に絵を描くのではなく、漆喰が生乾きの状態で絵を描く。 そうすることで漆喰の中にまで絵の具がしみ込み、簡単には絵が消えない。 【お金持ちの玄関を飾ったモザイク】 玄関と言っても、表から良く見える屋外。 モザイクのあちらこちら、特に写真より左側の部分は、長い間踏まれ磨り減ったり、剥がれ落ちたりで、絵が分からなくなっている。 そこに生活と歴史がうかがえるのだろうが。
by t_ichib
| 2013-03-15 22:33
| 今日もまた旅の空
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