【ルクセンブルグ】
ルクセンブルグの国土は、神奈川県くらいの大きさ。 欧州に7つあるミニ国家の一つで、その中では最も広い。 ルクセンブルグに向かう車中で、「その7つの国名は?」と、問いかけられる。 周りには、海外旅行の経験の多い参加者ばかり、さすがに次々に正解が出てくる。 (私たちが実際にいったことがあるのは、バチカンくらいだが) ルクセンブルグは小国とは言いながら、ECの本部が置かれる。 EC関連のビルや、欧州銀行を含め各国の銀行のビルなどが立ち並ぶ、近代都市を抜け、ペドリュス渓谷を見下ろす絶景ポイントへと案内される。 ![]() アドルフ橋は、左側のノートルダム大聖堂などの美しい町並みが広がる旧市街と、右側の私たちが通り抜けて来た新市街とを結ぶ。 この渓谷は攻め入る敵に対して、天然の要塞になっているばかりか、いくつかの人工の要塞が築かれている。 更にこの下に、数キロに及ぶ地下道が築かれ、すばやく兵士たちが移動できるようになっていた。 ルクセンブルグ唯一の世界遺産は、旧市街とこの自然の要塞が一体として登録されている。 ![]() 絶景ポイントからはほぼ対岸に移動し、ボック砲台へ。 砲台は19世紀にオーストリアにより築かれた。 右下にはアルゼット川とグルント地区の建物が見える。 ![]() このグルント地区は、敵が侵入してきたときには川を堰きとめ、地区の一部を水没させ、堀にして旧市街を守る。 砲台と堀、難攻不落の防衛施設だっただろう。 ![]() 慰霊碑の高い塔の上には、金の女神が。 憲法広場は、ルクセンブルグでも最も眺めが良い場所とされ、観光客を乗せたミニトレインが、このあたりを走る。 先ほどのアドルフ橋や旧市街、ペドリュス渓谷などを望むことができる。 ![]() ![]() ![]() 広場に建つ女性は、ルクセンブルグ大公シャルロッテ。 ルクセンブルグの正式な国名はルクセンブルグ大公国、現国王は彼女の孫。 ルクセンブルグの公用語は、フランス語、ドイツ語、ルクセンブルグ語。 国名「ルクセンブルグ」はドイツ語読み。 今日の午前中はルクセンブルグ、午後はマーストリヒトへ向かう。 大きな観光地を2つもめぐると、どうしても頭の容量をオーバーし、結果として印象が薄くなる。 【マーストリヒト】 オランダに戻る。 この地名で一番に思い出すのは、ECの創設を決めたマーストリヒト条約の名。 ![]() 地名マーストリヒトは、マース川の渡河地点という意味。 ここで私たちを迎えたガイドは、日本人の祖父を持つ日系メキシコ人女性。 現在はオランダ人と結婚して、マーストリヒト市民。 独身時代に筑波大学に留学した経験を持つが、日本語はややたどたどしくて、着いていくのに少しもどかしい。 マース川に架かる橋の真ん中あたりで、いくつもの資料を見せ町の歴史を紹介してくれる。 熱意は伝わるが、川風の寒さに震え上がる。 ![]() 中世には町を取り囲むように第1城壁、その外側に第2城壁が築かれていた。 当然歴史的な建造物は第1城壁の中。 城壁の外に、(観光用に?)マース川方面に向けた大砲が置かれていた。 ![]() 中世のヨーロッパでは恐れられたペスト、そのペストに罹った人をこの門から町の外へ追い出した。 そのことからこの名が付いた。 門外にペスト患者を収容するペストハウスがある。 ![]() ![]() 当時は通りの名はあっても番地がなかったので、「船乗りの〇〇さん」とか分かるようにしていた。 確かに、番地を発明した人は偉い! ![]() 本当は4つ星ホテルで、真ん中の赤地の星はマーストリヒトの州旗。 シャレなのか(詐欺ではないだろう)、おかげでマーストリヒトの州旗は、この次に見たときには ![]() フライトホフ広場に建つ聖セルファース大聖堂、すぐ左に聖ヤンス教会があるほか、カフェなども多い。 聖セルファースは4世紀ごろの大司祭、彼の遺骸をここに埋葬したことが大聖堂の起源。 現在の建物は11世紀のもの。 ![]() ![]() 実は本屋さん。 中に入ってみると、高い位置にステンドグラスが入っていて、広々とした贅沢な本屋。 「世界一美しい本屋」に選ばれたこともある。 当然かな。 ガイドさんによると、教会を子供の遊び場として再利用しているところもあるという。 (保育所とは違うらしい) マーストリヒトでは、この本屋さんが印象に残った。 日本語の本がないのが、残念。
by t_ichib
| 2014-04-14 14:21
| 今日もまた旅の空
|
プロフィール
カテゴリ
以前の記事
その他のジャンル
記事ランキング
|
ファン申請 |
||