最終日はザンビア側からのバスが、私たちをホテルまで迎えに来てくれる。
3日前に出迎えてくれたザンビアのガイドの顔が、懐かしい。 ジンバブエへの国境を越える前に、最後のイベント。 地元の小学校を訪問する。 ![]() 当然学校はお休み、私たちのために何人かが集まってくれた。 右端の男性は、この学校の副校長。 幼稚園から、中学校までがこの学校に通う大規模校。 2部制で、午前中だけ通う子と、午後に通う子がいる。 ![]() 英語の授業はもちろん、数学や理科、歴史などの科目はすべて英語で教えられる。 地元のアフリカの言語は2つあるという。 (両親が話す方を選択するのだろうか?) アフリカならではの教科というか、HIVの予防が教科に組み込まれている。 好きな教科、将来は何になりたいなどの質問には、ハイハイと活発に手が上がる。 以前には逆に日本人への質問として、「どうして、大人なのに英語がしゃべれないの?」というのがあったそうだ。 ![]() そんな心配は不要だったようで、1枚写真を撮るたびに、写ったデジカメの画像に子供たちが群がってくる。 ジンバブエではムガベ大統領が、独立後白人を追い出しその資産を国有化するなど、その強引さに国際的な非難を受けていたりする。 添乗員がガイドに「あなたは、ムガベが好きか?」と聞いたところ、「それには答えられない。 もし嫌いだと言ったら、ここに生きておられないだろう」とのこと。 ![]() 一応は橋の中央には、ここから先はザンビア、あるいはジンバブエだと示す標識がある。 私たちは「この橋を歩いとて渡ろう」と。 ここを歩いて渡る人も多いようで、橋の上にはお土産を売る人も。 ![]() ![]() 橋の下を覗いてみるとこの高さ、ここまで来て飛び降りずに帰る人もいるんじゃないか。 あるいはここでの収益に対する税金はどちらの国に納めるのだろうか? と思いつつ、国境を越える。 リビングストン、ヨハネスブルグ、香港と飛行機を乗り継いで、中部空港に着いたのは日曜の夜。 ▲
by t_ichib
| 2014-11-15 19:55
| 今日もまた旅の空
今日の出発もゆとりがあり、朝食前にホテル周辺を散策。
ケープタウンでは、「ヨハネスブルグほどではないけど治安が悪いから・・・」と、外出を控えるように言われていた。 ジンバブエでは、あまり心配しなくても良いのだろう。 もっとも、ホテルはビクトリア・フォールズの町のずっと郊外、散策したのも広いホテルの敷地内だけ。 ![]() バオバブにもいくつもの種類があるようで、どこかで見たような「上と下とをひっくり返しても、区別がつかない」ような木ではない。 それでも、幹はバオバブらしい太さ。 ![]() 太い幹に直接いくつもの実がなっている。 逆に枝先には実を見つけられなかった。 実がなっているってことは、その前には幹から直接咲いていた花もあったはず。 ![]() 至近距離にいるお互いにも、私たちをも意識することなくのんびりと。 昨夜ボナ・ディナーに出かけたことを知っていたら、少しは意識しただろうか? ![]() 一度に3、4人づつ分乗して、上空からの眺めを楽しむ。 パイロット横の特等席をかけたじゃんけん勝負に、私たち2人は負けた。 販売用のビデオ撮影していたスタッフは、じゃんけん勝負をする4人を、きっと不思議な思いで見ていただろう。 ![]() どちらがザンビアで、どちらがジンバブエ側か、添乗員が傍にいないので聞くこともできない。 2日前あそこをバスで通過し、明日は歩いて渡ることになる。 ![]() いつも税関通過の時には、「写真を撮らないように」と言われるが、上空からなら...。 妻は発電所も見えたと言うのだが、私は見落とした。 ![]() 左端がデビルズ・キャタラクト、中央に見えるのがメイン・フォール。 さらに写真より右に、レインボー・フォールなどへと続く。 滝の上流に見える中州の岩などは、雨季には隠れてしまうらしい。 ![]() 滝から上がる水けむりは、乾季の今でも日によってずいぶん高くまで上がり、私たちの泊まったホテルからでも、滝の方角の見分けがつく。 ![]() 公園内に入ると、まずジンバブエの民族舞踊の人が歌と踊りで、そのあとリビングストンの銅像が私たちを出迎えてくれる。 ![]() 「水しぶきを避けるため」傘やレインコートが必要なところらしいが、乾季の今はその必要もない。 やや狭いところなので水量が多い時なら、さぞ「悪魔の大滝」だろうと、想像するしかない。 ![]() ファイア・ボール・リリーという花だとか。 ファイア・ボールまでは納得できるが、最後のリリーには違和感が。 ![]() 渇水期とはいえ、せめてこれくらいでないと。 2日前のザンビア側から眺めただけだったら、がっかりだろう。 ![]() その時、「あんな所に!」という声によく見てみると、滝の上のプールのような場所で水につかる人たちの姿が。 今日はペットボトルの水をがぶ飲みする暑さ、私たちの場所では滝のしぶきもかかってこない。 「気持ちいいだろうな」と、うらやましくなる。 ![]() 水量不足の今は、スダレかレースのカーテンくらいにしか見えない。 高さではビクトリア、滝の幅ではイグアス、水量ではナイアガラが世界一になるそうだが。 しかしビクトリアは雨季になると、水量でもナイアガラを超えるらしい。 個人的には、イグアスがもっとも迫力があったと思う。 ![]() 広くて静かな流れなので、勘違いしてしまいそうになるが、ここはビクトリアの滝の上流。 少人数の私たち以外はフランス人の団体が乗船。 すごい望遠レンズつきのカメラを持っているので、身振りでほめると、「覗いてみろ」とこれも立派な双眼鏡を貸してくれる。 彼らの持つ立派なカメラは、ニコンとかキャノンとかの日本製、悪い気はしない。 私たちの一行は、いずれもコンパクトなデジカメくらいしか持っていなかったが。 ![]() 「3頭いる」と言っていたので、1頭は潜っていた? 「カバは泳ぐのではなく、水中を歩く」と聞いていたので、あのあたりはそんなに深くない? ![]() けっこう長い時間船が止まり、もっとも良い位置で写真を撮ろうと、乗客たちが船内を右往左往したのが、対岸にゾウの群れが現れた時。 子供でも大人にまけず、太い枝を鼻でバシッと折り、むしゃむしゃ食べる。 枝そのものを食べてしまうのか、樹皮の部分だけを食べているのかは、遠くてよく分からない。 ![]() ただし空には雲が多く、今夜も南十字星は見られそうもない。 後半の3連泊の宿は郊外にあり、星空を見るには絶好なので、「南十字星はどの方角に見える?」と、みんなが気にし始めた。 残念ながら、3日間とも空振り。 ▲
by t_ichib
| 2014-11-14 09:28
| 今日もまた旅の空
チョべ国立公園へ行くには、アフリカ4カ国目となるボツワナに入る。
![]() その木々の中に黒くこげたものもある。 ブッシュ・ファイアといって、油を多く含んだ木が太陽の熱で自然発火するんだそうだ。 その後からは、新たに太陽の光を浴びた若い木々が育つ。 もうこのあたりの林の中でも、さまざまな動物の姿が見える。 チョべ国立公園では見られなかったバブーン(ヒヒ)の姿も。 前にも書いたが、ボツワナではビザ取得は無料。 しかも建物に入る手前で、係員がビザ申請書類(だと思う?)を記入してくれる。 その書類とパスポートを提示して入管を通過。 ![]() 国立公園内にはトイレがないので、ドライブインでトイレ休憩を取った後、いよいよ公園内に入る。 ![]() 添乗員を入れても8名なので、全員が1台に。 2時間ほどの短いドライブだが、最初にチョべ川(ザンベジ川の支流)沿いに。 水辺のほうが、動物が多く見られる。 ![]() 動きがすばやく警戒心の強い生き物は、教えてもらっても気づく前に隠れてしまうこうとも。 ![]() 聞いたけど忘れたものも多いが。 これも、どうやらサギの仲間らしいことぐらいしか。 ![]() 広げた羽の色がきれいに見えたので。 ![]() こちらはワシやタカの仲間? ![]() これはホロホロ鳥。 ・・・たぶん。 ![]() (実はホテルの庭にもいた。) 角がないから、こちらはメス。 ![]() ![]() ...というか、それよりずっと前に、車が行きかう町の通りで見かけた。 イボイノシシも近くを車が通り過ぎても平気だし、買い物をしている客もイボイノシシのことを気にもしない。 そういう国なんだ! ![]() 別名スカラベ。 日本では見かけない虫なので、その愛らしい姿をしばらく眺める。 ファーブル昆虫記にも登場し、エジプトの王の墓にも描かれる立派な虫なんだと。 ![]() 添乗員から、「キリンを見るのは難しいが、ゾウなら確実に...」といわれていたのになかなか見つけられなかったゾウにやっと遭遇。 さすが動物園での最大人気者。 この前での滞在時間もかなり長い。 チョべ国立公園の土にはカルシウム分が少なく、そのためこのゾウたちの牙は大きくならないのだとか。 車でのサファリ体験はここまで。 ドライブイン(船着場)で昼食を摂ったあと、今度はチョべ川をボートサファリ。 ![]() 上流に向かって進む。 左側がチョべ国立公園、右側は何キロにも続く長い中州。 さらに右は隣国ナミビアになる。 ![]() その中で、草食動物であるにもかかわらず、地元のレンジャーが「ライオンより怖い」と恐れるのがカバだという。 のんびりしているようで、走り出すとけっこう早い。 怒らせたら、あの巨体には対抗できそうもない。 ![]() もっとも動物園で見るのと同じで、こちらは船でカバは中州のはるか向こう。 安全距離をとってのカメラ撮影だから。 ![]() ガイドによるとワニに襲われて亡くなるのは、ボツアナでは、年間で1、2名。 意外に少ない。 生活に川の水を利用することの多い対岸のナミビアでは、2、3倍被害が多いとのこと。 カバと同様に離れて見ているから、「ハンドバック何個分?」などと言っていられる。 ![]() 船は、そこでエンジンを止めしばらく動かない。 ![]() するとそこに、砂地と区別がつきにくく分かりにくいが、ひな鳥が何羽も顔を出す。 船のエンジン音や他の動物の気配がすれば、ヒナたちは砂の中に隠れてしまうのだろう。 ![]() サバンナなどのドキュメント映像で、よくライオンの餌食になっているシマウマだが、食べてみても「まずい!」というのが、ケープタウンのガイド、アンジェラさんの意見だったが。 ![]() バブーン(ヒヒ)の姿をチョべ国立公園の中では見かけなかったと書いたが、サルも見なかった。 写真はホテルの庭で見たもの。 庭といっても、ずいぶん広い。 むしろ林の中にホテルがあると言った方が。 このサルはホテルのどこにでもいて、ふと窓の外を見るとベランダに上がってきていたという人もいた。 その夜は、ボマディナー。 昼間に見た動物たちの何種類かは、食材として出されるとか。 ![]() 写真はそのショータイムのもの。 この後観客たちに太鼓が配られ、教えられながら懸命にリズムに合わせる。 かなり難しいが、時々リズムにうまく合わせられる時もあった。 肝心の食材、ワニの肉は普通に並べられており、気づかないうちに食べていて、まずまずおいしかった。 イボイノシシとホロホロ鳥は、皿に載せてもらったが、たまたま小骨が多いところだったので、口から吐き出してしまい、よく味が分からなかった。 他の人はおいしいと言っていた。 ▲
by t_ichib
| 2014-11-13 09:08
| 今日もまた旅の空
今日で南アフリカを出国し、ザンビアへ、さらにジンバブエと向かう。
早朝の出発にかかわらず、朝食はお弁当ではなくホテルで。 そのほうがうれしいが、荷物のパッキングなどあわただしい。 ヨハネスブルグの空港から、ザンビアのリビングストン空港に向かう。 ザンビア入国時には、ビザの取得が必要。 といっても添乗員に80ドルとパスポートを預け、私たちの人数分の手続きをしてもらう。 時々思うのだがこの査証代というのは、この国の外貨獲得の手段なのだろうか? ビザは、一度だけ入出国する「シングル」と、2回以上入出国するビザとでは値段が違う。 それにしても80ドルとは、円安の今だと1万円に近い。 この後のジンバブエでもダブルのビザが必要で、費用は45ドル。 その先のボツワナでは、ビザの費用は無料だった。 ザンビア空港で私たちを出迎えてくれた現地ガイドは、温和そうな青年。 短い時間だが観光の案内と、ザンビア=ジンバブエの国境の入出国のお手伝い、そのあとホテルまで送り届けてくれる。 好ましく思えたのは、まだ勉強中らしい日本語でたどたどしく説明してくれたこと。 ![]() 今は乾季だそうで、滝はやせ細って見る影もない。 雨季にあたる1月になると、水量も増え細い筋が一面の水の壁になるそうだ。 そんなことを言われても、ナイアガラやイグアスの豪快さは微塵もない。 ![]() 雨季だと、傘やレインコートが役に立たないほど、着ている服がぐしょぐしょになるそうだが、こんなに遠くへもう一度やってくる気にはなれないし。 ジンバブエ側からなら、もう少し豪快な滝が見られるかもしれないと、期待を残して...。 ![]() この後通過する国境の橋が見える。 かのセシル・ローズが計画したアフリカ鉄道が通り、バスや車などでも通ることができる。 近年この橋からのバンジージャンプも有名。 橋の架かるザンベジ川はビクトリアの滝の下流にあたる。 ザンベジ川はザンビアが源流で、アンゴラやザンビア=ジンバブエの国境を流れた後、モザンビーク海峡に注ぐ。 このザンベジ川には目の前のを含め、橋は4つしか架かっていないそうだ。 アフリカで4番目に長い川だというのに...。 バスで国境を越えるのは初めてではないが、この近くの国々では「添乗員がまとめてパスポートを預かって・・・」というやり方ではなく、一人ひとりが並んでスタンプを押してもらう。 ![]() 早めにホテルにチェックインし、夕食前にちょっと一息。 写真はマンゴウの実。 熟す前の青い実だと、教えてもらわないと区別がつかない。 ![]() 見た目どおりのソーセージツリーという名だそうだ。 むろん食べられない。 ホテルの広い庭には、サルやシカ、イボイノシシの姿も見える。 ▲
by t_ichib
| 2014-11-12 08:39
| 今日もまた旅の空
経済発展の著しい新興国をあらわす BRICS という言葉を始めて聞いたのはいつだったか?
4つまではすぐに分かったが、Sが分からなかった。 それが南アフリカ。 (BRICs、最後のsは複数形で4カ国だとする説も有力) 5つの国のうちすぐ近くの国だけは、近いがゆえに隣接する国々と摩擦を繰り返す姿に、眉をひそめることが多い。 南アフリカはどうなんだろうか? アパルトヘイトの時代は、もちろん周辺国から孤立していただろう。 著しい経済発展は、周辺国から警戒感をもたれているだろうが、どこかの国のようには大気汚染の輸出や、軍事的脅威をもたらしてはいないように見える。 南アフリカには首都が3つあるという。 立法の首都は、今朝までいたケープタウン。 確かに車窓からではあるが、国会を目にした。 司法はブルームフォンテン、行政は今夜宿泊するプレトリア。 ただし、経済面ではヨハネスブルグ、人口の面も含め南アフリカの最大都市。 19世紀に金鉱脈が発見され、爆発的に人工が増加した。 貧富の差が原因で、治安が悪いとされる。 今朝は早朝7時にホテルを出発し、ケープタウンからヨハネスブルグまで飛行機で移動。 ![]() 残念ながら、日本はここに来るまでに敗退したので、日本のサポータたちはこのスタジアムを見ていないかもしれない。 今日はこの旅行中唯一の雨。 雨の少ないこの国では恵みの雨なのだろうが、観光にはやはりうっとうしい。 ![]() ソエトは、アパルトヘイト時代に多くの黒人たちが、ヨハネスブルグから強制移転された地区で、実際にマンデラ氏がここに住んだ期間は短い。 近くにツツ主教の住んだ住居もあって、2人ものノーベル平和賞受賞者が住んでいた町は珍しいとされる。 ![]() 1976年、南ア政府はすべての黒人学生にアフリカーンス語を学ぶように強制した。 アフリカーンス語は、イギリスとともにもうひとつの特権階級であったオランダ系のアフリカーナーの言語だったため、これに反発した学生のデモに対し警官が発砲、死者は176人に達した。 抗議行動は間もなく鎮圧されるが、その後も続く衝突により経済は混乱し、南アフリカ政府を危機に陥れた。 今回の旅行の大きな目的の一つが、満開のジャカランダの花を見ること。 その一面のジャカランダを見られるというのが、プレトリアだということだったが、残念ながら季節的にプレトリアではもう終わりだという。 南半球ではジャカランダ前線は北から南へ下がってくる。 ヨハネスブルグでなら、少しなら見られるという。 ![]() 中南米が原産とされるが、私が始めてみたのはスペインだった。 色が異なるがサクラにも似ていて、ハワイに移住した日本人にも愛され、ハワイザクラの異名もあるとか。 ![]() ![]() さらに「珍しい白いじゃガランだがある」と。 この花はタネでは増えず、接ぎ木で増やすそうだ。 そのあたりもソメイヨシノと同じで、ますます日本のサクラのよう。 ![]() 1947年、この地域の石灰石の採掘場から、類人猿の頭蓋骨が発見された。 当初は中年婦人、ミセス・プレスと名づけられたが、後に若い男性と判明。 気楽な観光旅行のつもりが、こんな学術的な場所まで来てしまい、ちょっとびっくり。 ![]() 今世紀に入りこの地で貴重な発見があり、再び南アフリカが注目を集めている。 スタークフォンテン地区は、「人類のゆりかご」として世界遺産に登録。 ![]() 枝の先に虫かごのようにきれいに編まれた巣がぶら下がっている。 はじめは「何かな?」と見ていたところ、小鳥が飛んできてここに留まる。 分かりにくいが、巣の左に黄色い小鳥が。 ![]() いよいよプレトリアに。 ここはヨハネスブルグやケープタウンよりは治安がいいのか、ガイドからも外出を止められなかった。 夕食まで少し時間があり、雨も上がったので、少し散歩に出る。 ホテル近くの大きな公園の背後にあるユニオンビルには、大統領府などの行政機関が入る。 ![]() マンデラ氏は今も多くの人々から敬愛されているようだが、続く二人の大統領はいくらか評価が低い。 自分の出身部族に利益を誘導しているというのが、その理由だ。 ▲
by t_ichib
| 2014-11-11 08:42
| 今日もまた旅の空
今日の観光のメインは、喜望峰。
行ったことはなくともケープタウンなどとともに、目にし耳にしてきた地名だ。 どんな所なのか楽しみにして来た。 ![]() 小さな貧しい漁村と言う説明だったが、露天でお土産品を売る人たちも見かけ、「それなりの恩恵もあるのでは?」と聞くと、「あの人たちは、不法移民の外国人」とのこと。 今まで観光地で、路上に品物を並べる人たちを良く見かけ、地元の人と思い込んでいたが、中にはこういうケースもあったのかな?と。 ![]() アザラシは歩くのが苦手で、陸上では這って歩く。 オットセイは左右の手を交互に動かし、上手に歩ける。 水族館などでいろんな芸を見せるのはアシカを含むオットセイの仲間。 ![]() アンジェラさんの話を参考に、ちゃんと訂正して欲しいな。 岩の上でのんびり昼寝をしている姿は「ぐうたら」というイメージだが、えさを採るためか荒い波間で、泳いだり潜ったりもする。 ![]() このあたりは眺めも良く、ニッサン・トヨタなどもここでCMを撮ったこともあるそうだ。 その一方でここから転落し、奇跡的に一命を取りとめたドライバーもいる。 その車は欧米の名車で、そのメーカーが「わが社の車だからこそ、無事だった」と宣伝し、対抗するメーカーは「わが社の車なら、転落しない安全設計」と宣伝したのだとか。 景色は良いが、そんな話を聞くとちょっと怖い。 ![]() しかしここもケープ植物保護地域の一部で、何百・何千の植物種の宝庫。 黄や赤の花の塊が随所に見られ、後方の白い岩のように見えるものも、菊の仲間の花の群生だったりと。 時おり、シカやサルの群れも見え隠れする。 ![]() 喜望峰という名からイメージする、春のようなうららかな地とはかけ離れ、この看板の前で記念撮影しようとしても、強風で転びそうになる。 はじめてこの地に来たポルトガル人たちは、このあたりの海流の激しさから、ここを嵐の岬と名づけた。 しかし、この航路は香辛料貿易の新たなルートとなったため、ポルトガル国王が「喜望峰」という名に改めさせた。 そこに来たこともない人が、そこの「地名をつける」なんてことも、けっこうあったことなのかもしれない。 ![]() ...知らなかった。 最南端は50Kmほど離れたところにあり、正しくは最南西端。 しかも喜望峰付近には、小さな岬が3つもあり、古い灯台の建つこの岬はケープポイントと呼ばれる。 ![]() 灯台までの坂道はコンクリートで舗装されているが、強い風に吹き付けられ危ない。 下りは舗装されてはいないが、風下側の安全な道を選ぶ。 ![]() 元の灯台のほうが高い所にあるのだが、霧が多いため岩場に座礁する船が絶えず、新たな灯台が築かれた。 新灯台には、観光客が近づけそうなルートはなさそうだった。 ![]() ボルダーズは年間6間人の観光客が訪れるペンギンの生息地。 ペンギンを保護するため、観測通路や人工の巣箱などが設置されている。 ![]() もうすぐ毛が生え変わる。 種類はケープペンギンというのだが、騒がしい鳴き声からジャッカス(ロバ)ペンギンとも呼ばれる。 ![]() ただ珍しいからと、写真撮影しただけだが、幼児が積み木を並べたような家。 住み心地は、色とは関係ない? ![]() だったら、駐車違反ではないらしい。 屋根はなくとも近くに車が置ければ、都会では御の字。 ▲
by t_ichib
| 2014-11-10 09:44
| 今日もまた旅の空
![]() 写真は、その中心にあるクロックタワー。 港を出入りする船舶の管制塔だったが、現在はもっと新しい施設がその役目を担っている。 ![]() ロベン島は17世紀の終りごろ、当時ここを支配していたオランダにより、植民地の政治犯を収容する監獄として使われた。 島の周囲を流れる海流は激しく、脱獄は困難だったとか。 アパルトヘイト政策の時代に、当時の南アフリカ政府によりマンデラ元大統領など、多くの政治犯が収容され、負の遺産として世界遺産に登録。 ![]() 次々に島に着く定期船の観光客は、何台かのバスに分かれガイドに案内される。 ガイドはパブリックと呼ばれる公式のガイドと、プライベートと呼ばれる元受刑者のガイドとがある。 私たちは、たまたま数少ないプライベートのガイドに。 反アパルトヘイトの指導者といえば、マンデラ元大統領の名くらいしか知らなかったが、ここでローバート・ソブクウェの略歴を聞く。 彼が議長をしていたPACは、黒人に身分証明書を常に携帯するよう義務付けた「パス法」に対する抗議行動を起こす。 警察署の前まで出かけ、身分証明書を投げ捨て「逮捕せよ」と迫るというものだった。 それに対し、警察が一斉射撃を行い69名の死者が出たのが、「シャープビルの虐殺」だった。 この後、PACもマンデラ氏の属していたANCも非合法化され、両氏とも投獄される。 が、この事件により反アパルト運動は大きく前進していく。 ![]() 当初は、島の施設の建設や、細かく砕いて道路の舗装に用いられたが、後には使用目的のない無益の労働だった。 写真中央の四角に切られた穴は、暑い時の休息場所だったが、政治犯たちはここで政治権力を取り戻した後の構想を練っていた。 ガイドは「最初の国会」とジョークを飛ばしていた。 ![]() 収容施設は当初は刑事犯なども一緒だったが、後に政治犯の思想が広がるのを恐れ、いくつかの施設に分離された。 島からはテーブルマウンテンが眺められ、「世界遺産の中から、別の世界遺産が見られる唯一の場所」と、ガイドの自慢。 ![]() マンデラ氏は釈放された時は別の監獄にいたが、あわせて27年もの間、収容されていた。 政治犯の待遇も国際世論の高まりにより徐々に改善され、後には通信教育などを受けることができるようになった。 政治犯たちは権力を取り戻した時には、そうした知識は必要だと認識していた。 ![]() そこに掲示されていた写真により、政治犯たちはここで石を砕くなどの単純作業をさせられていたことが分かる。 マンデラ氏の目は石灰石の粉などにより悪化し、大統領就任後彼の写真撮影はフラッシュ禁止だった。 ロバート氏のPACが、「白人を排し黒人による政権を」というものだったのに対し、マンデラ大統領は白人との融和を説いた。 そのことが、流血を伴わない平和な政権移行となったのだろう。 そのことにより、政治犯たちが受けた迫害という重苦しい思いから、少しほっとすることができる。 ![]() ここは港としてだけでなく、カフェなどの飲食店が多く、またお土産屋やスーパーマーケット、ブランド品のショップなどの商業施設となっている。 私たちはここで昼食、ワイナリーへと出かけた後、もう一度ここに戻りお土産などのショッピング、さらに夕食もここ。 何年か後に再びケープタウンに来たとしても、ここだけは記憶に残っているかもしれない。 ![]() 船が通る水路にかかる歩行者用の橋。 勝鬨橋のように上に持ち上がるのでなく、対岸の一ヶ所を支店に水平に回転する。 歩行者が渡っていないのは、ちょうど今もとの位置に戻った直後。 普通に渡れていたら、この仕掛けに気がつかなかった。 ![]() テーブルクロスも、しっかりと写っている。 「今日は風が強くなるから...」というガイドの予言どおり、この後強風のためケーブルカーは運航停止。 そればかりか、翌日にはロベン島への定期船も強風で休止。 ![]() ウォータフロントに戻って以降、空に浮かぶ雲の形を「日本ではあまり見ない形だね」と言い、しきりに雲の写真をとっている人もいた。 ワイナリーで少しと、ウォーターフロントのスーパーで少しお土産を買った後、ガイドのアンジェラさんの案内で、タバコの吸えるカフェへ。 彼女もかなりの喫煙者、お酒もいけるので私より数段上。 ただしコーヒーの味は想定外、今回の旅行では食後にコーヒー紅茶が出されることが多かったが、そちらのほうが何倍も上。 口直しに、小高い山の上からの美しい夜景を。 ![]() ただしここに向かう道は、舗装も悪く、狭いところもある坂道。 ハラハラドキドキの往復であった。 ▲
by t_ichib
| 2014-11-09 12:37
| 今日もまた旅の空
ケープタウンで出迎えてくれたガイドは、日本語が堪能なアンジェラさんという白人女性。
ワインと植物について詳しく、アルコールがまったくダメな私たちに息子へのお土産の相談にも乗っていただいた。 日本語が達者だが当初日本に来た時には、「当然英語が通じる国」と思ってきたそうで、それからの猛勉強で話せるようになったとのこと。 今も毎年のように日本に来ているそうだ。 観光ではなく、仕事で。 ![]() この写真は実は翌日、ウォータフロント側から撮ったもの。 空港からケープタウンに向かう側からでは、この山の背後から近づくことになるので、あまりテーブルらしくない。 そして山頂を覆う白い雲、地元ではこの雲をテーブルクロスと呼んでいるそうだ。 ![]() このケーブルカーは優れもので、内側のフロア部分が回転する。 登り降りの短い間とはいえ、どの位置に立っても不公平なく周囲を見渡すことができる。 ![]() このトカゲは名前も分からないので、アフリカ固有のものなのかどうか。 ちょっと珍しい色だったので。 ![]() ダシ(Rock Dasiie)という名で、見かけは太ったネズミのようだが、象の仲間と言う説明を受けビックリ。 写真のように、大きな岩の上での日向ぼっこを好むようだ。 ![]() 大きさもからすよりずいぶん小さく、泣き声もかわいらしい。 飛んでいるときは下の方の茶色の部分が目立ち、きれいに見える。 ![]() 「世界遺産:ケープ植物区保護地域群」の中心。 もっとも、世界遺産の保護地域はここだけでなく、テーブルマウンテンも、更に翌々日に向かう喜望峰までを含む広い範囲であるらしい。 ![]() 左の図の赤い丸で囲まれた範囲がそれで、フィンボスとも呼ばれている。 5000種の固有種を含む8000種の植物は、熱帯雨林の多様性を上回るという。 ![]() マンデラ氏の肖像を見て、改めて南アフリカがアパルトヘイト政策により、長い間世界から孤立していたことを思い出す。 ![]() 極楽鳥花の一種のこの花は、元大統領の名にちなんでマンデラ・ゴールドと名づけられた。 ![]() これはエジプトガンの親子。 芝生に広がるいくつかの敷物は、ここでピクニックを楽しむ人たちのもの。 ここは広々としているし、花々も美しく家族で遊びに来るには絶好の場所。 ![]() 草の陰で、しかも2羽重なっているので少し分かりにくいが。 実はこの数日後、ジンバブエでこのホロホロ鳥の料理をいただくことになる。 ![]() この花は来る途中の道にも、テーブルマウンテンでも見た。 いくつもいくつも教えていただくので、聞いたそばから忘れてしまう。 この花の名も3度目にやっと覚えることができた。 ピンクッション、確かにまち針をいっぱい刺した「針山」、赤やピンクなどの色も有った。 この小さな花に止まっている小鳥がいた。 動きが早すぎてシャッターチャンスを逃してしまったが、花の受精を助けているのだそうだ。 ![]() 南アフリカ原産で、南アフリカの国花になっている。 他に覚えたのは、エリカというかわいい花。 他の地区ではわずか26種しかないのに、このフィンボスでは600種もあるというから、この地区の多様性に驚く。 南アフリカに来るまでは、ビクトリアの滝とジャカランダの花、それと喜望峰のことくらいしか予備知識がなかったが、この世界遺産はすっかり気に入った。 そのジャカランダの紫色の花は、ケープタウンでも何度も見かけた。 ただ、ジャカランダは外来種なので、世界遺産の指定を受けた後は、新たに植えられないよう規制されていると言うこと。 ▲
by t_ichib
| 2014-11-08 09:12
| 今日もまた旅の空
このところ、ブログへの投稿は旅行記ばかりとなってしまっている。
もっともっと「日常のことを」と思いつつも、パソコンに向かうのが億劫になっている。 せめて「楽しんできた旅行の後だけでも」と、自分にプレッシャーをかけて、数ヶ月ぶりのブログに。 中部空港に集合し、添乗員に「今回の参加人数は?」と聞いたところ、「今お集まりの7名です」と。 たしかこのツアーは「最少催行人数が15名」だったはず。 「えっ」と絶句した後、「エボラ出血熱の関係で、キャンセルが...」と納得。 今回の旅は、香港で乗り継ぎヨハネスブルグ、更にケープタウンに向かう。 その後ふたたび、ケープタウンからザンビア・ジンバブエ・ボツアナで、ビクトリアの滝や野生動物を目にする。 ガイドの説明によると、以前はこの逆に回るのが普通だったが、南アフリカ政府がザンビア方面などから入国する場合には、「黄熱病の予防接種」を必要としたため、コースが逆になった。 ![]() 香港までが3時間半、ここからヨハネスブルグまでは13時間半、さらにケープタウンまでが2時間。 適当にうつらうつらしながらも、文庫本を2冊読了。 実に長い。 ![]() 南半球では季節は初夏、ちょっと不思議な気のするクリスマス。 ・・・かな? 実際にはヨハネスブルグ着が翌日の朝、ケープタウンは翌日の昼になっていた。 さっそく2日目の観光に出発。 ▲
by t_ichib
| 2014-11-07 20:04
| 今日もまた旅の空
実際には前日の午後と、今日の帰国までの時間がフリータイムとなり、自由に町歩きを楽しむ。
【でも、その前に】 ![]() 観光の初日から添乗員・ガイドから何度も注意されたのは、自転車のこと。 オランダは国全体が平坦なので、エコに関心のある国民性とあいまって、自転車が利用されている。 自転車道が車道と歩道との間に整備されている。 その自転車道では、自転車優先が徹底している。 歩行者が自転車道に入り込んで事故が起きたときは、歩行者に責任がある。 かなりスピードも出ているから、「歩行中は気をつけて」という。 ![]() 自転車道は車道の両脇にあり、それぞれが一方通行。 政府もそういう方面に力を入れているようだ。 エコ重視の国民性は、レストランで出されるミネラルウォーターもビン入り。 他のヨーロッパでは、プラスチック。 (飲みきれなかった時には、持ち帰りに便利だが・・・) 【4月16日午後】 私たちのホテルは、市内散策には便利なムント広場、ムント塔のすぐそば。 ホテル近くの「花市場」を通りぬけ、シンゲル運河に沿って歩く。 ![]() アムステルダムには、アムステル川という天然の川が流れ込み、その水が中央駅あたりを中心にしたクモの巣状の運河に注ぐ。 洪水の脅威から土地を守るために、風車と運河を築き、アムステルダムでは、運河を水上輸送に使う。 「なかなかしたたかな国だな」と。 ![]() トラムの通りで左に折れ、「アンネ・フランクの家」方面へと向かう。 やがて西教会にさしかかる、そこから運河沿いに曲がると、「アンネ・フランクの家」が見えてくる。 というよりは、そこに入館しようとしている人たちの長蛇の列が。 後で、そこに入った人に聞いてみると、「私は45分待ちだったが、出るころには1時間以上だった」と。 ![]() 近くにもう一つの列があり、そちらは運河めぐりの観光船に乗ろうという人。 そちらの列は観光船が着くと、ほとんど消えた。 別の乗り場からだが、日本語の音声ガイドの船があり、私たちの一行の多くはそちらを利用。 トラムの通りを逆に戻り、ダム広場方面へ。 ![]() ダム広場には新教会と王宮が並ぶ。 現国王、というより代々のオランダ国王はこの教会で即位式を行っている。 ダム広場は、アムステル川をせき止めるダムがあった場所で、アムステルダムの名はそのことに由来する。 ![]() 写真はトラムの通りから撮った(裏から)もの。 破風の上に建つ、蒼穹を背負うアトラスの像が面白い。 元は市役所として建てられてこの建物は、王宮といっても国王がここで暮らしているわけではなく、儀式のときに使われるのみ。 ダム広場にはスーパーマーケットで、ちょっとした買い物をする目的でも足を運んだ。 水、チーズなど、重い物ばかりで一度ホテルに戻ろうかと思ったが、面倒なので重い物をぶら下げたまま、散策続行。 ダム広場からは歩行者天国となっており、アムステルダム中央駅を目指す。 ![]() 日本の東京駅とは姉妹駅となっている。 赤いレンガ造りで雰囲気は似ている。 この駅には改札口があり、ホームへは入れなかった。 ホームへ入れないのは、ヨーロッパでは珍しい気がする。 ![]() 写真は午前中のキューケンホフ公園からの帰路、バスの車窓から摂ったもの。 船の形をした変わった博物館、その屋根のスロープではのんびりと過ごす人々。 面白そうだからそこへ行こうと思ったものの、中央駅から建物は見えているのに、行けども行けども近づいてこない。 そして、まだ明るいのだが閉館時間を過ぎてしまったのか? 屋根でのんびりしていた人たちの姿が消えた。 で、半分くらい来た所で引き返す。 ![]() 教会近くの運河沿いの道と交差する路地のあたりは、「飾り窓の・・・」の営業地帯。 昨夜「後学のため」と、見学に出かけたご夫婦が「すごかった」との感想。 私たちは歩いたのはまだ明るい時間だったので、たっている女性はほとんどいなかったが、たまに ![]() 広場には花や骨董の市が開かれることもあるそうだが、この日はガランと。 この建物は元は計量所だったところで、アムステルダムの文化財。 現在はカフェとして営業している。 中世には、町を取り囲む城壁の一部であった。 【4月17日:出発まで】 出発までの3時間あまりだが、それぞれが散策などに飛び出す。 私たちは昨日の続きを。 ![]() 運河を埋め立ててできた広場、音楽堂の背後に市役所がある。 「I amsterdam」の文字は観光キャンペーンの看板で、他の場所でも見られた。 ![]() 1691年から同じ場所にこの橋があり、当初は狭い橋だったようで、この名がついた。 「Magare Brug」は細い橋と意味だそうだ。 アムステルダムで最も古く、最も美しい橋とされる。 夜景がすばらしいのだそうだが、今からでは無理。 開閉部分の下の方の左右に信号機がついている。 現在の赤が青に変わるのを見たい気がするが、それも無理。 街中の運河にもいくつか見られるが、この橋はアムステル川本流に架かる。 ![]() 「繋留」と書いたが、運航できるものもあるのだろうが、ここに見えるものは動きそうに見えない。 当初は住宅難の窮余の一策だったかもしれないが、現在は人気がありなかなか取得できないそうだ。 バス、トイレはもちろんのこと、設備の整った住居。 ![]() レンブラントは「夜警」を製作したころは、経済的にも絶頂でこの豪邸を購入した。 が、浪費癖もありやがて破産。 この家は競売されることになる。 レンブラント生誕300年を機に、博物館・美術館として残されることになった。 レンブラントの肖像がかかる左隣は新館。 ![]() そろそろ集合時間が気になりだし、大急ぎでフリーマーケットを見学。 古着ばかりか、靴の使い古しなども売られており、ちょっとビックリ。 生活雑貨は何でも揃うと思われる。 目に付いたのは自転車関連、自転車そのものからベルや盗難防止のチェーンとか、品揃えも充実。 最もにぎやかな場所では写真を撮り忘れ、ここは外れの方。 そして、フリーマーケット全体は、今朝の最初に来たウォータールー広場の一角にある。 集合時間には余裕を持って間に合い、無事帰国の途に。 ▲
by t_ichib
| 2014-04-17 12:01
| 今日もまた旅の空
|
プロフィール
カテゴリ
以前の記事
その他のジャンル
記事ランキング
|
ファン申請 |
||